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ジャパン(JAPAN)『孤独な安らぎ(SOMETIMES I FEEL SO LAW)』(1978年)+蘇る美しき方々と蒼い刻♪ 

懸賞 2010年 01月 27日 懸賞

ジャパン(JAPAN)『孤独な安らぎ(SOMETIMES I FEEL SO LAW)』(1978年)+蘇る美しき方々と蒼い刻♪ _c0222662_18154968.jpg

★明後日29日は『sub-culture』のパーティーなので今週はNewWave週間と勝手に決めて書いている。次から次へと心の曲たちが蘇り、軽く少女時代にタイムスリップしている。相当な年月の経過にはたと気付いてはみるものの、実年齢だけは増えてゆけども気分はあまり変わってはいない。現実を見つめて生きてゆかねば!と頭では考える。けれどいったい現実って何なのだろう...。でも今、この時を生きている私は事実居る。でも、ずっと大切な心の住人たち(人物に限らない)が居るからこそ、泣いても笑うことをも忘れず生きてゆける。そのようにしてずっと生きてきた気がする。私はもっと強靭な人間になりたいとも願うけれど、毎日は苛酷ですぐ挫けそうになる。人生とはそういうものだ。辛いことの方が多いのだから!泣いた数と歓喜する心の数のバランス。時に不調(協)和音で心がざわめくけれど、こうして心が躍る蘇るあの刻がある。愛するものたちともっともっと向き合い、さらに心に刻んでおきたい。

洋楽のレコードを買い始めてまだ20枚も持っていない頃。しつこいようだけれど、ボウイの『ジギー・スターダスト』がまったく売っていなくて(80年代初めにようやく)、他の気になるレコードを買っていた。ジャパン(JAPAN)の音楽との出会いはそんな頃。それも、初めて買った輸入盤である(それもUS盤だった)。1978年の2ndアルバム『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』。予備知識まったく無しという状況でのジャケ買い。奇しくも私は「耽美派少女のための変態雑誌」とも云われていた『アラン』の発売をまだかまだかと待っている日々と時はほぼ同じ。この『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』以外にも作品はリリースされていたので、好きになり発売を待ってというのは80年代に入ってからだけれど、日本では本国より先に人気があったこともあり、『アラン』仲間(一人だけ)の同級の女の子、そして、エアチェックしたカセットや情報交換の友人(これまた彼女ただ一人)とボウイやジャパンのお話ができた。私はいけないことだったのだろうけれど、ラジカセを学校に持参するようになっていた。重いとか感じもしなかったな。ああ、若気の至り。

ジャパンはパンク全盛の折にデビューしている。なんとも不可思議な時代とのズレ。けれど、とんでもなくカッコいい!!と想えたのだ、殊に妖しいメンバーのルックス。デヴィッド・シルヴィアンの髪の長い頃はミック・カーンの方が好きだった。今はデヴィッド・シルヴィアンが大好き!まあ、ジャパンとはシルヴィアンのバンドのようなものでもあったのだし。当時は気付かなかったけれど、シルヴィアンのヴォーカルに何の抵抗もなく、”素敵なお声!”と聴き入っていたのは、既にブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)が好きだったからかもしれない。そうそう!私はブライアン・フェリーも大好きで、これは逸れてしまうけれど、映画好きでもあるもので、「美少年・美青年・美中年・美老人の系譜」らしきものがいつの間にか存在するようになった。勿論ボウイも居られるのだけれど、その源流はダーク・ボガードへと行き着くと気付いた時、想起するお方にブライアン・フェリーが居たのである。理由など分らない。ボウイは直結しないみたい。ヘルムート・バーガーとは直結する。ああ、何を書いているのやら。大変なことになってしまった。ヘルムート様のお名前が出るとニヤけてしまい、浮かぶは初めて観た『雨のエトランゼ』のお姿が!いつも、このジャパンとの出会いの頃を回顧するとこんな具合になってしまう。2年半程前に綴ったものを読み返してみても我ながら呆れる。

ジャパンのこと、シルヴィアンのこと、名曲の数々のこと...追々に。嘗ての日本盤の邦題が好き。邦題で覚えている曲というのは付き合いの長い証でもある。「苦悩」とか「孤独」とか「影」とか「絶望」とか...そんな厭世的な世界に惹かれていた蒼き刻。けれど、私の大切な想い出たちでもある♪



「妖しくも美しき英国バンドJAPAN★最初に貼ったポスター」

★懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃はまだ一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり~♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ~!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにしてもらい電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ~さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その友人の方がは塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれど貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。
2007.6.29.

(追記)
※あのトキメキたちが蘇り、取り留めのないことになってしまいました。2年半程前に書いたものに一部修正したいです。今でもひろみが大好きです。少しブランクがあったけれど、昨年より再びひろみの新曲をチェックするようになりました。また、JAPANは80年代に入ってからのルックスの方がより好きです。洗練されていったのでしょうね。サウンドはどの時代のJAPANも好きです♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-01-27 19:00 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

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