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郷ひろみ『恋の弱味』(1976年)★近田春夫&ハルヲフォン『恋の弱味』のカバー(1978年)♪

懸賞 2010年 05月 05日 懸賞

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★5月5日(GOGO!)なので久しぶりの我が永遠のアイドル&スターである郷ひろみ(HIROMI GO)!名曲ヒットは多数あるのだけれど、幼い私でも"カッコいい!"とこの曲を下手なのに口ずさんでいた。ひろみの1976年16枚目シングルで、B面は初主演映画『さらば夏の光よ』のテーマ曲を収録。共に、作詞は橋本淳、作曲は筒美京平。近田春夫&ハルヲフォンは、アルバム『電撃的東京』の2曲目で『恋の弱味』(編曲は近田春夫)をカバーされていた。近田春夫さんにはたいそう感謝している私。まだ洋楽に目覚める前なので毎月のお小遣いは少女マンガに消えていた頃。けれど、ひろみの新曲が出ると知るとシングル盤を買い始めていた頃。そんな情報を逸早く知ることができた番組があった。近田さんの担当されていた「オールナイト・ニッポン」の深夜二部(電波が悪い上、私の同年代で聞いている友人は居なかった)。近田さんはひろみファンでもあるので「ひろみ君の新曲だよ」とかけてくださりコメントもしてくださっていた。発売前にかかったこともあった気がするのだけれど勘違いかも...。その近田さんが「近田春夫&ハルヲフォン」としてひろみのカバーを歌っていると知った時も嬉しかったな。ハルヲフォンのメンバーにはギターで小林克也さんが居られた。

2000年代になって、近田さんの書かれたご本を読んでいるとやはり「郷ひろみ讃歌」されており、私は信用できるお方だ!とあの少女時代のトキメキが蘇るようでもあった。

くどいようだが郷ひろみはすごいと思う。それに異論を唱える人はいないだろう。だが、そのすごさについて語ろうとする時、結局「何だか判らないけどすごい」ということの先に進むのが難しい。・・・・・郷ひろみは謎めいた元気さというものを定着させようと思っているのではないだろうか?それは二枚目なる概念が、もはや世間では決してまっすぐな形では通用しなくなった。故のきびしいプロフェッショナルな読みだと私は思っている。郷ひろみは「何だか判んないけどすごい」人を、クールに演じている。すごいのは、そこなのだ。すごいのはその意思であり、また決して(そういった戦略のあることの)しっぽをつかまれない遂行の見事さである。・・・・・断言する。郷ひろみの目指すのは、トム・ジョーンズとジョン・トラボルタの丁度中間あたりである。 (近田春夫)

このように語っておられ愉快!この「何だか判らないけどすごい」というのはよく耳にすることでもある。時代時代にヒット曲を持ち続け、あの可愛いアイドル時代から今なおスターであり続けるHIROMI GOって?!また「謎めいた元気さ」という表現も流石に近田さん!長年洞察されている鋭さを思うのである。ひろみは日本が不景気な時代にこそ必要とされているのか妙なタイミングでヒット曲と不景気が一致するとも(一概には云えないけれど)。あの輝く「陽」が元気を伝授するのかも。野球を愛し、太陽の似合う郷ひろみは原武裕美(本名)が垣間見られる瞬間でもある。

原武裕美の夢。郷ひろみが夢を果たせること。郷ひろみの夢。素晴らしいミュージカルを作ること。そして、40才になろうが、50才になろうが生きている限り、歌いつづけること。そして、この夢を果たすために、心の欲張り屋であること。心の欲張りを保つために、たくさんの真の友を持つこと。真の友を持つために、人間に対して誠実であること。人間に対して誠実であるために、自分自身に正直であること。自分自身に正直であるために、愛を信じ育むこと。世界に愛を育むために、僕は生きている限り、歌い踊りつづける・・・ (二十才の記 郷ひろみ)

もうすぐデビューされて40年の郷ひろみ(現在54歳にして美麗なり!)。私はひろみが歌い続ける限り「郷ひろみ讃歌」を続けるだろう。まだ一桁の子供だった私が毎日口ずさんでいたひろみの曲たち(当時の昭和の歌謡曲たち)は今も色褪せぬもの。私はすっかり星空の光を愛するようになったけれど、妙な憂愁を伴う、けれど一際輝き続ける星に何かしらのエネルギーを頂いていると感じ夜空を仰ぐ。郷ひろみとはそんな星のようなお方なのだろう!では、郷ひろみの『恋の弱味』(1976年)と近田春夫&ハルヲフォンの『恋の弱味』(1978年)を☆どちらも大好き!




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by musiclove-a-gogo | 2010-05-05 02:22 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

ショーケン(萩原健一)にみる青春群像あるいは唯一無二の俳優&ロック・ヴォーカリスト♪

懸賞 2010年 03月 05日 懸賞

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★今年7月26日で還暦を迎えるショーケンこと萩原健一。私は俳優ショーケンとして子供の頃から好きだった。嘗てテンプターズというグループ・サウンズでのアイドル時代や歌手ショーケンとしても多くレコーディングされているお方だと知ったのは80年代に入ってからのこと。私の永遠のアイドルが郷ひろみ(HIROMI GO)ならば、当店主はショーケン(萩原健一)のようなのである。店主やその友人たち(今は私もお友達)のお陰で歌手であるショーケンを知った。レコードを借りて聴いたりしていたけれど、「凄い!」と想ったのはライヴ以来のこと。

これまで、4回ショーケンのコンサートに行ったけれど、最初は夏の夕方からの野外コンサートだった。後にも先にも私の野外コンサート体験はこの日のみ。殊に夏は溶けてしまいそうな位に太陽が苦手である。けれど、彼等に連れられて行った。開演前から凄い人の数。大人のカップルも多く、お子様もご一緒のお方も。その時から男性ファンが多いと感じていた。また、「ショーケンもどき」な男性ファンのお方も多かった。その時に歌われた曲はほとんど知らないものだったのだけれど、あの高音の裏返る歌い方が大好きになった。醸し出す雰囲気もなんとも云えないし。

『傷だらけの天使』や『前略おふくろ様』が好きだった。『太陽にほえろ!』も勿論だけれど、もっと後の『豆腐屋直次郎の裏の顔』も面白くて観ていた。また私は岸恵子さんが子供の頃から好きなので、ショーケンと共演した映画『約束』や『雨のアムステルダム』も大好き!私が年を重ねる中で、段々とショーケンのあの姿が記憶されていると感じ、今ではさらに好きになっている。どうしてだろう...とずっと想っていたのだけれど、語らないけれどショーケンを観たり聴いたりする店主やその友人方の眼差しに興味を抱いて来た。ふと、「駆け抜ける青春」という姿がオーバーラップした。ショーケンの走る姿が好きなのだ!と。年月が定かではないけれど、初めてショーケンを「カッコいい!」と想ったのは最初の奥様だったお方とのロマンスをスクープされた折の報道番組だった。その美しき女性を庇う様にカメラが追いかける中二人は走る(逃げる)。その時にカメラに向かってショーケンは挑発的な眼差しを投げた。何か云われたかもしれないけれど覚えていない。そして、さらに後、ジュリーこと沢田研二が『勝手にしやがれ』で日本レコード大賞を受賞された折のこと。ジュリーは素敵で笑みを浮かべていた。そのジュリーの受賞の際に会場から舞台へショーケンが花束を抱えてお祝いに駆けつけた。私の間違った記憶かもしれないけれど、全身真っ白なスーツ姿のショーケンであった。司会の方に盟友のジュリーへの祝福の弁を求められたショーケンは、「遅いんだよ!今頃なんて」というような言葉だった。登場シーンからその言葉まで、すべてが私の好きなショーケンであった。なので、横に居る素敵なジュリーよりもショーケンが脳裏に焼き付いたまま。

例えば天使のようなひろみ、耽美なボウイ、アウトローなミック、挑発のゲンスブール...比較など出来ない。ショーケンは事件も多くハラハラすることも多い。けれど、ファンは離れない。会場にゆくと、男性ファンのお方が「ショーケン!」とか「ハギワラ!」と叫ぶ。それらに興味を抱いてきた理由がようやく少し分るようになってきたところ。彼等はショーケンにみる青春群像が好きなのではと。走る姿が好きな理由はやはり「青春」である。振り向かずに突っ走るその姿は青春でもある。決して上手いヴォーカルではないだろうけれど、誰にも真似の出来ないショーケン・スタイルがあり、あのヴォーカルは驚異的でもある。先日、トーク&ライヴというものがあったそうだけれど、私は行くことが出来ずに残念だった。また、ライヴをして欲しいし、アルバムも聴きたい。あのヴォーカルは奇跡でもあるので歌わないショーケンは勿体無い。

そうそう!初めての野外ライヴの折。夏で暑い中、ショーケンはステージにホースを引っ張り出し、会場のファンに向けてお水を撒き出した。一瞬驚いた私だけれど、私もそのお水がかかって嬉しかった!そんな想い出はショーケンのライヴでしかないこと。その後、アルバムをもっと聴くようになり、今聴いてもやはり素晴らしいので、ショーケンのレコードも早く登録しなくては!とお仕事に追われながらも、再発見に嬉々とする日々です♪


※井上堯之バンドと柳ジョージ&レイニーウッドとの伝説の『熱狂雷舞』の頃の映像と想われる『どうしようもないよ』。残念ながらこのライヴは体験しておりませんので拝見でき嬉しいです♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-03-05 11:38 | 昭和のアイドル・歌謡曲・TV曲

『バイ・バイ・ベイビー(BYE BYE BABY)』ベイ・シティ・ローラーズと郷ひろみ(共に1975年)♪

懸賞 2010年 03月 03日 懸賞

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★永遠のアイドル!郷ひろみ(HIROMI GO)の1975年の12月に発売されたシングル『バイ・バイ・ベイビー』。原曲はベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)で共に1975年のヒット曲。この頃の私は小学生でまだひろみのLPは持っていなくてシングル盤は買って貰っていた。何年だったかな...毎年の人気投票の1位は郷ひろみって決まっていたのに、一度だけこのベイ・シティ・ローラーズに抜かれた事があった。それ程凄い人気だった。タータンチェックも大流行で知らないうちに私もチェックのスカートを穿いていた。「少女マンガと郷ひろみ」がその頃の私の宝物。秀樹好きの女の子と仲良くしていて、彼女とは高校が離れても時々遊んでいた。吉田まゆみさんの漫画が大好きな方で夏休みによく私の家にやって来ては一緒に音楽を聴いたり、私の好きな萩尾望都さまの漫画を交換したりして。その女の子がいつの日からかすっかり秀樹からベイ・シティ・ローラーズのファンとなっていた。中でもパット・マッグリンが大好きだったようで、色々雑誌などを見せてくれた。熱狂的で本当に色んなものをお持ちで読ませてもらったりした。私は一度も個人的にベイ・シティ・ローラーズのレコードを買ったことはないのだけれど、彼女のお陰で結構好きな曲もあったり。私はちょっとだけ在籍していたギター(ヴォーカル)のイアン・ミッチェルがメンバーの中では好きな方だった。可愛い少年っぽさで。でも、周りは凄い人気のようだけれど、私にはひろみを超える存在ではなかった。スコットランドのエジンバラ出身の外国のアーティスト数名に一時人気を抜かれても平気だった。ひろみは一人でその後も抜き返した(その後、また狩人という兄弟デュオに一度抜かれたけれど)。でも、今もHIROMI GOはスターであり続けているのだし。

私は好きなものの核は今も変わらない。でも、前述の女の子は「マイ・ブーム」らしき波がやって来ては熱狂する。凄い熱い想いで語ってくれていた。小学生の頃から長らくベイ・シティ・ローラーズのファンだったけれど、次はマッチ(近藤真彦)になって行った。私は洋楽を聴き始めていたけれど、歌番組は観ていて、ひろみとジュリーが好きだった。その女の子はとっても乙女ちっくで「恋は盲目」と云うけれどそんな感じ。でも、マイ・ブームが去るとあっさりしていた。そのお友達にデヴィッド・ボウイのお話をしてみても、マッチしか目に入らないらしい。私はそんな頃から今も然程変わってはいないように想う。もう大好きな心の住人たち、それも年月も経てゆくなかで、それらはさらに確固たるものとして存在しているようだ。広がってはゆくけれど、大好きな人(もの)を忘れることはできない。友人にしてもそうであまりお会いする機会が減ったとしても関係ない。好きな友人のことを忘れることはないし、嫌いになんてなったことはない♪


※ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンが歌う『Bye Bye Baby』♪


※郷ひろみの日本語でのカバー曲『バイ・バイ・ベイビー』(訳詞は安井かずみさん)です。ひろみヴァージョンの方が私はやっぱり好きです☆B面の『夢みる頃をすぎて』も名曲です♪


※ベイ・シティ・ローラーズの中で唯一ちょっと好きだったイアン・ミッチェル(後にロゼッタ・ストーンへ)在籍の頃の映像もございました♪

★こうして、懐かしく拝見でき、やはりひろみが一等素敵なアイドルだと再認識してしまいます♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-03-03 08:27 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみ『HIROMI ON STAGE(ヒロミ・オン・ステージ)』(1974年)には70年代ロックがいっぱい♪

懸賞 2010年 02月 16日 懸賞

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★郷ひろみ(HIROMI GO)の1974年のライヴ・アルバムである『ヒロミ・オン・ステージ(HIROMI ON STAGE)』。このアルバムを購入したのはリアルタイムではなく数年後になって。そして、まだ洋楽を好きになり始めの頃なので、歌われている曲の半分くらい(ひろみのヒット曲だけ)しか分らないのだった。このアルバムを去年とっても久しぶりに聴きたくなって聴いていた。すると!凄い楽曲たちであることに感動してしまった。

いまだにCD化されていないので、その古いレコードの中のカラー・フォト集や歌詞カードを手許に。『HIROMI ON STAGE』は1974年10月20日、大阪PLランドにて収録。歌・構成は郷ひろみ、演奏はアニメーション、プロデューサーは酒井政利。

先ずはオープニング(「オープニング・テーマ」)とだけ題されている45秒のインスト曲で始まる。これはレッド・ツェッペリンの『移民の歌』であった!カッコいい!といきなり感激。ひろみの登場で映像は発売されていないので、当時の光景など知らないのだけれど、勝手に浮かんでくる。そのライヴ会場に居られたひろみファンの声援はこのアルバムに欠かせないもの。あたかもその場を体験しているかのような、正しく臨場感というものがこのアルバムには在る!凄い!2日前に19歳になったばかりのひろみが語り歌う。エルトン・ジョンの『彼女はツイストを踊れない』(日本語でのカバー)。そして、当時の最新ヒット曲かつ歌謡曲史に残る大名曲である『よろしく哀愁』。もうファンの皆様の自然と一体化した声援(掛け声)が凄くワクワクしてしまう。『夢を破らないで』と筒美京平曲が続く。そして、『ジェット』なのであった!ポール・マッカートニーのウィングス時代の名曲の一つを英語でカバー。そして、『イマジネーション』も英語でカバー(グラディス・ナイト&ピップスの)。そしてA面ラストは『メリー・ジェーン』。B面に裏返し針を置くと『裸のビーナス』そして『モナリザの秘密』とひろみのヒット曲が続く。そして、『ザッツ・マイ・ガール』はオズモンズの曲を日本語カバー。次は先述のイントロがキンクスである『花とみつばち』、そして『ユタ』(オズモンズのカバーを英語で)と続く。ここ!!この原曲は今も未聴だけれどいい曲。さらにこの曲の寸前というか最初がなんと!なんと!デヴィッド・ボウイの『サフラジェット・シティ』で始まるというにくいアニメーション!そして、『君は特別』と『小さな体験』と岩谷時子&筒美京平によるひろみのヒット曲で終える。

実際のライヴは倍以上の時間があったと想うけれど、この貴重なライブ・レコーディングは凄いアルバムなのだと今の方が感動できる。それは、私も当時子供だった頃より聴いてきた音楽も随分増えているのだから。レッド・ツェッペリンもエルトン・ジョンもウイングスもデヴィッド・ボウイもオズモンズも知らなかったのだから。ましてや永遠のアイドルであるHIROMI GOと永遠のロック・カリスマであるデヴィッド・ボウイがこのライヴで繋がった。このHIROMIとボウイという基盤は揺るぎようの無いもの!他にも好きな音楽はいっぱいあるけれど、まったく浮気心は皆無である(女性アーティストたちの歌姫は別として)。そして、これはまだ定かではないけれど、多分この頃だったと想う...友人のお姉さんにひろみファンの方が居たので仲良く遊んでもらっていた。明星か平凡か何かだったと想うカラーでのひろみのページに「今年はデビッド・ボウイーに挑戦だ!」というような活字があったのを覚えている。ひろみが挑戦するというデビッド・ボウイーって誰だろう?って想った。なので、ボウイのお名前はひろみによって知ることとなったのである。そして、後にようやくボウイの映像と音楽に遭遇し、一気に洋楽熱は高まったのである。あんなに買っていた少女マンガをレコードに変えることが簡単にできた。ボウイの『ステージ』を買うまでは、持っていた洋楽は母に買って貰ったビートルズのボックスだけだったのだから♪

HIROMI ON STAGE - よろしく哀愁 - 1974年

SIDE A
1.OPENING THEME
2.YOUR SISTER CAN'T TWIST
3.よろしく哀愁
4.夢を破らないで
5.JET
6.IMAGINATION
7.MARY JANE

SIDE B
1.裸のビーナス
2.モナリザの秘密
3.THAT'S MY GIRL
4.花とみつばち
5.UTAH
6.君は特別
7.小さな体験

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-16 11:56 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

松本ちえこ 『恋人試験』(1976年)とバスボンのコマーシャル♪

懸賞 2009年 12月 04日 懸賞

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★松本ちえこの1976年の3rdシングルとなる『恋人試験』の歌詞が好き。あまりハッキリと覚えていなかったのだけれど、YouTubeのお陰で再見することができた。バスボン(シャンプー)のコマーシャルもなんとなく可愛かったなあ...って、うる覚えだったのだけれど、やはり可愛い。お化粧気のない「16歳の少女らしい少女」という感じのお方。今も女優として活動されているそうだ。

0点なんかじゃ許さない 100点取る人大嫌い 
知っているのに わざと間違える 65点の人が好き 好き 好き
 
この部分が焼きついていた箇所。今も好き。この少女の気持ちが分かるようで。私もそんなシャイでいじらしい人が好き。それは恋愛に限らず云えることかもしれない。

子供の頃の歌謡曲なのに覚えているものが多く、不思議な新鮮さを感じている。「ポップ」であるということ、「ポップ・ミュージック」であるということは、記憶に残るメロディと歌詞を持つことでもあると想う。歌うお方の個性や声質にピッタリ合うとヒットになったり、いつまでも色褪せない曲として記憶されるのだろう。この曲も、当時16歳であったあの愛らしいお声で歌うから可愛いのである。そう考えると、やはり儚き刻を想う。結局は「少女愛惜」であり「少女愛好」な私のようだ。次々と浮かぶ曲たちで音符だらけ♪

★松本ちえこ/恋人試験☆キャンディーズのお姿も♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-12-04 18:49 | 昭和のアイドル・歌謡曲・TV曲

郷ひろみ『花のように 鳥のように』~『誘われてフラメンコ』(1975年)★HIROMI GO & METSの時代♪

懸賞 2009年 10月 20日 懸賞

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私が初めて胸ときめいていたお方である郷ひろみ。すっかり少女時代にタイムスリップしたままのここ数日なのですが、しつこくもう少し続けます。ジャニーズからバーニングに移籍してからの第一弾シングルとなる『花のように 鳥のように』(通算12枚目)と、続く『誘われてフラメンコ』(13枚目)。作曲は筒美京平(名曲を沢山作られてきた凄いお方!)と変わらないけれど、作詞が石坂まさお~橋本淳によるヒット曲です。ひろみのバックで踊っている方々は、一緒に移籍した元JJSのメンバーの6人による「METS(メッツ)」です。ひろみは19歳。美少年から徐々に大人への階段へ...もう、こういう通過儀礼は少年も少女も同じ!誰もがその刻を過ぎゆくのだから。個人差は様々ながら。私はこの辺りから読んでいた少女マンガの記憶の断片が定かではないけれど脳裏に焼きついている。そんな頃であるけれど、まだ一桁代の歳だったもので、そんな記憶はあやしいものでもある。

次はそんな幼少時の少女マンガの世界に耽溺してゆく私を回想しながら綴る予定です♪


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪



★上は『花のように鳥のように』を歌う紅白歌合戦の映像。赤組の素敵なお姉様歌手の皆様のお優しい表情たちも良い雰囲気です。「ひろみくん、可愛いわね♪」という感じだったのでしょう。また、このお衣装も大好きです!ひろみは紫やピンク色のお衣装が結構多かった気がします。男の子がピンク色のお洋服を着るということは、まだ当時の日常では珍しいことだった時代。けれど違和感まったく無し!流石です。下は『誘われてフラメンコ』の夜のヒットスタジオでの映像です。歌い出す前の表情が特に好きです!真面目さが表れています♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-20 07:50 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみの最初に買って貰ったシングルは『裸のビーナス』♪

懸賞 2009年 10月 19日 懸賞

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★あまりにも可愛い!美少年時代の郷ひろみ!なので、続けます。見ていて男性だとかそういう意識が消える存在であった。そういう事は年月を経た今の私の大切なことであり、「美しい!」と想う世界の基本にあるものでもある。古い記憶が色々と甦りドキドキ。女の子(女性)のアイドルや歌手の方が好きだったのだけれど、郷ひろみだけは別格であった。兎に角、大好き!で仕方がなかった。少女マンガでは『なかよし』を読み始めていた頃でもある。ひろみの5枚目のシングルとなる『裸のビーナス』(1973年・17歳)が初めての郷ひろみの入手レコード。まだお小遣いも貰ってはいない歳だったので、ここから暫くは母に買って頂いていた。そして、1974年の大晦日の紅白歌合戦には西城秀樹も初出場となり、晴れて「新御三家」が揃って出場の年。そんな懐かしい映像がYouTubeにあったので嬉しくて仕方がない。この紅白では、ひろみの初期の曲でもとびっきり大好きな『花とみつばち』(1974年・18歳)で8枚目のシングルである。『裸のビーナス』のジャケットのお衣装など、当時のロンドンでのグラムロックな華やかで艶やかな影響が窺える。記憶がハッキリしないのだけれど、この時期だったと思う。『明星』か『平凡』(私は『明星』派であったが、お友達やそのお姉さん達から貸して頂いたりと交換し合っていた)だったのだろう...「今年はデビッド・ボウイーに挑戦だ!」という大きな見出しのひろみのカラーページが掲載されていた。ライヴのお写真が載っていたようにも想うけれど定かではない。私がボウイの名を初めて知ったのは郷ひろみからである!この事実は揺るぎようの無いもの。他にもまだまだ連鎖してゆくのだけれど、取り合えず映像を!なかなかこのようなお衣装の似合うお方は居ないだろう!ひろみは体の線がとても美しい。手足も細くて長く体毛も薄い天性の素材は稀なるもの。やはりジャニー氏の才能がフルに活かされていたとしか想えない。1974年の紅白での『花とみつばち』ではひろみのバックで秀樹と五郎が一緒に踊っている。秀樹は率先して走ってゆかれ同じく白いスーツ姿で素敵。また、五郎は三人の中で最も歌唱力があると云われていたけれど、このようなリズムの曲で踊る姿はイメージになくて、この映像に歓喜していた。「新御三家」は「運動部の秀樹、文化部の五郎、帰宅部のひろみ」とも呼ばれていた。ひろみは運動神経も良いのだけれど...そんなことも懐かしい。素敵な貴重な映像をあげてくださったお方に感謝感激♪


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪



★上の『花とみつばち』での1分27秒~28秒辺り!!飛び上がりそうにキュートです。下の『裸のビーナス』~『誘われてフラメンコ』では58秒辺りの初々しさに胸躍る!紅白では、赤組からも声援が聞こえる。白組の先輩方はちょっと反応に戸惑いが見える気もするけれど、赤組の先輩方はにこやか。多くの方が、この時点で今もなおスターである郷ひろみを想像などしていなかっただろうとも想う。批判的(偏見)なお声もとても大きなものであったのだから。このようなアイドルはこれまで居なかったのだから仕方の無い現象でもあったと想う。同じお衣装をタッキーが着ても綺麗かもしれない。でも、やはりこの「可愛さ!」「キュートさ!」はひろみしか居ないと想う。ジュリーもこの年3度目の出場で姿が見える。ジュリーも好きだったけれど、「可愛い!」と想える存在ではなく「スター」であった。後に、このお二人の対談があった。80年代後半頃かな...。ジュリーは一等賞が好きだと仰っていたけれど、ひろみは二等の方がいいと。50代になりひろみは「郷ひろみを極めたい」と語った。それを願っているファンはどんなに多いことだろう!欲張りな私は俳優のひろみも応援します!
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-19 07:42 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

美少年の原点に郷ひろみ(HIROMI GO)あり♪

懸賞 2009年 10月 18日 懸賞

★今日10月18日は郷ひろみの54歳のお誕生日。あまり、これまで郷ひろみについて綴っていない(「ボウイ館」で好きであることは記しているけれど)。1971年(15歳)から1975年までジャニーズに所属。その後、まだ大きなプロダクションではなかった現在のバーニングにも大きな功績を残したお一人だと想う。確か移籍当時のバーニングは所属スターも少なかった。ジャニー喜多川氏のショックは大きなものだったという。そうであろう!そして当の郷ひろみは母親と自殺まで考えたと云われる程の有る事無い事を書き立てるマスコミに傷ついた大きな年(時期)であったようだ。フォーリーブスの弟的な存在としてデビューし、一躍アイドルとなる。スカウトしたのはジャニー氏であるので流石の審美眼である。後に、元フォーリーブスの江木俊夫が近年、「今でもジャニーさんの理想とするアイドル像は郷ひろみであろう」と語っている。

いつまでも現役でスターとして生き続ける郷ひろみはストイックである。完璧主義者と云われるお方で潔癖症でもある。天性の素養に努力が積み重なり今日のHIROMI GOがある!時に自己をパロディ化するような時もあるけれど、高慢ちきでは決して無い。デビューはNHKの大河ドラマ『新・平家物語』の平経盛役(1972年)。同年の8月にシングル『男の子女の子』で音楽デビュー。その年の日本レコード大賞の新人賞に輝いている。1972年!私にとってこの年は何か運命的なものが幾つも重なっている。デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』の年でもある。当然、まだ幼少の私はボウイのお名前すら知らない頃。郷ひろみもその新人賞を受賞した年や紅白初出場の1973年は記憶があまりない。小学生になり少女マンガを読み始めるのだけれど、ほぼ同時期に「郷ひろみが好き!」と意識していたようだ。次第にアイドル雑誌も少女マンガと一緒に買うようになった。けれど、お友だちのお姉さんに見せて頂いたりそんな具合だった。

雑誌の人気投票では確か何年もの間1位だった郷ひろみなのに、私の周りはあまりファンがいなかった。きっともう少しお姉さん達に多かったようだ。私はどうしてか、私よりもずっとお兄さんのような郷ひろみが好きだった。初めて、絵の中の人物ではない「可愛い!」と心がトキメク「男の子」は郷ひろみであった。また、クラスの女子や男子から「女みたい」とか「おかまみたい」とからかわれた。けれど、人気投票では1位であることが私の誇りでもあった。ボウイのこともずっと後に「気持ち悪い」とか「おかまロック」とか云われた。私の少女時代はとにかく批判されからかわれることが日常茶飯事であった。母は似ているので、「ひろみは可愛い」と一緒にテレビを観ることができた。父ですら、番組欄を見ては「今夜ひろみが出るぞ」と教えてくれていた程。弟は、今でもひろみが好きで私より最近の曲に詳しい。オールナイト・ニッポンというラジオ番組の第二部は私の地域では電波が悪くラジカセのアンテナをぐるぐる回しながら聞いていた。何曜日だったかな...近田春夫さんの担当日があり、近田さんはひろみのファンなので、ニュー・シングルが発売になる前に逸早く曲を聴かせてくださるのだった。その電波の悪い音源を必死で聴き入っていた私。深夜起きているといけない子供なのに、私は小学生の頃から夜遅くまで起きていた。部屋の電気がついているので、ご近所の方々は私が遅くまで勉強をしているお利口さんだと想っていたようだ。両親も早く寝るので私が遅くまで起きていることなど知らずにいた。

日本で初めて「可愛い!女の子みたいな男の子」としてのアイドルで、かつヒット曲も継続されたのは郷ひろみだろう。今も54歳になられてもカッコイイと想う。ジャニーズは可愛い男の子たちが続々登場するけれど、郷ひろみが移籍してからは冬の時代が暫く続いたのである。私はたのきんやシブガキ隊、少年隊の世代であるのだけれど、その頃は既に洋楽を主に聴いていた。けれど、ひろみと東山紀之(ヒガシ)は好きで今もやはり好きである。嵐だって好き。J-ポップと呼ばれるようになり、日本のロックな音楽が認知されるようになり、すっかり歌謡曲、歌謡番組はなくなってしまった。それでも、郷ひろみは今もその「歌謡界」でスターであり続けていることは凄いと想うのだ。長年ひろみ・ファンであり続けておられる多くの方と私はちょっと違う。けれど、あんなに新曲の発売にワクワクし、テレビに魅入っていた刻。YouTubeで私の記憶に無かった映像があったもので、歓喜していた!その映像を観てやはり「可愛い!」って胸躍る存在であるのだと再認識できた。郷ひろみは俳優としても多くの映画やドラマ、舞台作品がある。映画もほとんど観ているので俳優としても好きなお方。

青年期以降はバラード曲の方が好きな曲が多いかもしれないけれど、今も街中でひろみの声の曲が流れると嬉しくなる。訃報が飛び込んできた!加藤和彦さんの悲しい死の知らせ。嘗ての奥様であり数々の昭和の名曲の作詞をされたお方でもある故・安井かずみさんも好きだった。とても素敵なお方。郷ひろみの初期の名曲の一つに『よろしく哀愁』がある。その作詞をされていたのは安井かずみさん。

まだまだ取り留めの無いことを綴り続けそうなので、また時々記してゆこうと想う。私にとって、間違いなく「アイドル」という存在であったお方、また、今でもやはり好きであるので。「スターがスターであった時代」、「歌謡曲が歌謡曲であった時代」というような時代が好き。スターは彼方に居られるのが美しい☆


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪

★この映像は1972年のデビュー曲『男の子女の子』(お衣装は『花とみつばち』のもの)だけど、1973年の紅白初出場の折の映像。ひろみを肩車している方々の中に、フォーリーブスのメンバーと野口五郎の姿も見れる。西城秀樹はこの年紅白は落ちてしまい翌年から「新御三家」と呼ばれていた三人が揃って出場することになる♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-18 07:27 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

懸賞