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アンドレア・パーカーのガーリッシュ・ヴォイスが大好き!★『MELYS』ウェールズ出身のバンド♪

懸賞 2010年 05月 17日 懸賞

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★土曜日の『星空サロン 夢見 VOL.2』も楽しく終え、昨日はまったくお仕事していないという有様ですが、今日からまた頑張らねば!と。イベントでかけさせて頂いた曲たちは『耽美』かつ『夢見』ということで私なりの好きな楽曲たちを。今回はシャンソンやフレンチポップスが前回よりも多かった気がしますがジャンルは結構色々でした。意外なアーティストの或る一曲が私にはとっても『耽美』であることも多いのです。

音楽は大好きなのであまりジャンルに束縛されずに聴く性質ながら、優先順位のようなものはあり、どうしても『女性ヴォーカル』には弱く点も甘いです。そして、バンド形態のサウンドでもヴォーカルが女性であったり男女混声であったりすると、やはり気になります。たおやかなヴォイスも好きですが、ドリーミーなキュート・ポップ、可憐なガーリー・ヴォイスは大好きです。当店の在庫を少しばかり整理していたのですが、インディーズ多いのです!メインストリームもローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイ、ケイト・ブッシュやエンヤ、エディット・ピアフやイヴ・モンタン、バルバラやブリジット・フォンテーヌ、フランソワーズ・アルディやセルジュ・ゲンスブール、シルヴィー・ヴァルタンやジョニー・アリデイ、ミレーヌ・ファルメールやエチエンヌ・ダオ...と主要なアーティストは毅然とあるのですが、インディーズもの多いのです。なので、今後はいまだにCD化もされていないような「さり気なく名盤」としてのひっそり隠れた名曲たち(私の独断ですが)、メジャーに移籍前の曲など...個人的に好きなアーティストや曲たちも此方で取り上げてゆこうと想います。

そこで、MELYSという英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のウェールズ出身の男女バンド。1996年にデビューしており現役で活動中。初期はゴーキーズ・ザイゴティック・マンキやスーパー・ファーリー・アニマルズの在籍でファンの皆様はご存知だと想いますが「ANKST」というウェールズのインディー・レーベルからもリリースしていたバンド。何が好きかと云うと、ヴォーカリストの女性アンドレア・パーカー嬢のお声が実に愛らしくスウィートで安堵するのです。サウンドもどこかミステリアスなドリーミー・ポップ(初期の方がユニークに想えます)!このアンドレア嬢はルックスも可愛いのですがジャケットでは判らないのです。なので、上にお写真を掲載させて頂きました。右側に写っている大きな男性はかのジョン・ピール氏です。そこではアンドレア&ポール・アダムスと記されていたのでこのお二人はご夫婦になられたのかもしれません(勉強不足で定かではないのですが)。サウンドの要はこのポール・アダムスが担っていると云えそうです。ウェールズ語で歌われる曲もあります。ウェールズはケルト圏に属しますが、アイルランドやスコットランドのゲール語ではなく、公用語は英語とウェールズ語。このMELYS(メリーズ)のウェールズ語の意味は英語のSWEETの意味を持つそうです。そんなバンド名にピッタリのスウィート・ヴォイスのアンドレア嬢。甘過ぎず、まったく力みの無いふんわり感がデビュー時から好きでしたが、あまり売れませんでした。下の動画はウェールズのテレビ用のものみたいです♪



MELYS作品★(RECORD&CD SHOP VELVET MOON) ← にて取り扱っております(未登録在庫も順次に)。無料の会員登録もお願いいたします。未登録作品が多数ございますが毎日更新しております。また、私宛への伝言等がございましたら、お気軽に「お問い合わせ」よりください♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-05-17 07:44 | ガールズ・ポップ★洋楽

『レプラコーンという妖精の靴屋さん』~画:ジェイムズ・サント(JAMES SANT)『フェアリー・テイル』♪

懸賞 2010年 05月 06日 懸賞

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★レプラコーンという妖精の靴屋さんがいるらしい。背丈は人の指くらいで、妖精たちが踊りですり減らした靴を修理する、たいそう腕の良い職人さん。このレプラコーンを見つけても、ちょっと目を離すと姿を消してしまうそうだ。人間にはなかなか捕まらないらしく、騙すのも逃げ足も速いという。くしゃみをしているうちに逃げられてしまったという例もあるそうだ...残念☆

この優美な絵画は英国画家ジェイムズ・サント(JAMES SANT)による『フェアリー・テイル』と題された作品。「レプラコーンという妖精の靴屋さん」のお話を優しい母が息子に伝承しているようでもあるので勝手に関連付けました。ジェイムズ・サントの1860年~1916年という生涯のどの時期に描かれたものかは不明(勉強不足)。100年程彼方の英国。やはり空想の異国の旅をしているようです♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-05-06 11:58 | 音楽・映画・文学★美しい関係

ハンサムな女性ロッカー★クリッシー・ハインド(CHRISSIE HYNDE)『プリテンダーズ(PRETENDERS)』♪

懸賞 2010年 03月 01日 懸賞

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★「ハンサムな女性」という形容が似合ってしまうプリテンダーズ(PRETENDERS)のクリッシー・ハインド(CHRISSIE HYNDE)!現在58歳なれど相変わらずタイトでカッコイイお方。1979年のキンクスのカバー曲『ストップ・ユア・ソビン(Stop Your Sobbing)』でデビューし、1980年に1stアルバムをリリース。幾度かのメンバー・チェンジを経て今日も健在(一瞬、ジョニー・マーもメンバーだった)。

初めてこのプリテンダーズを知ったのはサンテレビだったかな...MTVではないけれど洋楽のビデオクリップなどと共に紹介してくださる洋楽番組があった。その番組名は失念。英国のバンドやアーティストが多かったように記憶している。学校の授業が6時間目まであると急いで帰宅しないと終ってしまう位の時間帯の放送だったので、毎回観ることは出来なかったし途中からだったりした。運良く私はこの番組でプリテンダーズの動くお姿を拝見でき、ヴォーカルのクリッシー・ハインドにコロリ。男性メンバーの中の紅一点というお方も多いけれど、プリテンダーズの場合は断然!クリッシー・ハインドのバンドであり、バックに男性を従えている、あるいは率いているといった感じ。他のメンバーはその時はまったく目に入らずクリッシー・ハインドに釘付け状態だった。

ずっと後にパンク・ロックのヒストリー企画のような映像を観ることができたのだけれど、クリッシー・ハインドが当時の証言者のお一人として登場され語っておられた。その時に知ったのは、ずっとイギリス人だと想っていたけれどアメリカ生まれ(オハイオ出身で70年代前半に渡英)で、NMEの記者であったという。また、初期のダムド(THE DAMNED)のメンバーでもあったそうだ。キンクスのレイ・デイヴィス、シンプル・マインズのジム・カーとの結婚&離婚もちょっと驚いたりしていたものだ。2005年にプリテンダーズは「ロックの殿堂入り」を果たしている♪


※ああ、素敵☆1981年のライヴでの『ブラス・イン・ポケット(Brass in Pocket)』です♪


※こちらも素敵☆曲は『タトゥード・ラヴ・ボーイズ(Tattooed Love Boys)』(1980年)です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-03-01 10:28 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

好きなギタリスト&アーティスト★ピーター・ペレット(PETER PERRETT) 『THE ONLY ONES』♪

懸賞 2010年 02月 25日 懸賞

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★ジ・オンリー・ワンズ(THE ONLY ONES)が好き。私より店主の方がより好きかもしれない。とりわけピーター・ペレット(Peter Perrett)の醸し出す雰囲気や佇まいがたまらなく好き。何というのだろう...良い意味でも良くない意味でも「ナイーヴさ」とか「やさぐれ感」の中に垣間見られる悲哀のようなもの。内省的なものにずっと何かを感じて来た。キース・リチャーズの弟みたいなアーティスト&ギタリストが私は好きでもある。私の一等好きなロック・バンドはやはりローリング・ストーンズ!ストーンズが存在する限り誰もロック・モンスターを超えることなどできはしない。キング・オブ・ロックなのだから。どう考えてみても凄すぎる!ピーター・ペレットは嘗てキース達のドラッグ・ディーラーでもあったというお話も聞いたけれど違和感などない。そうした経緯も含め、けれど今56歳のピーター・ペレットのあの華奢な身体から放たれるスピリッツは衰えてはいない。

THE ONLY ONESは1976年から1982年までの活動。2007年に再結成。その間にも「PETER PERRETT IN THE ONE」(1996年)としての作品もあるし、THE ONLY ONESの前身のようなENGLAND'S GLORYでの作品も残されている。キース・リチャーズ、ルー・リード、ボブ・ディランの影響はその頃から感じられるけれど、THE ONLY ONESはパンク・バンドのようでそうでもないような。なのでパンク・ブームに乗れなかった。彼らにはパンク的なものもありながらどこかグラム・ロックなものも感じる。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランというよりも、ボウイがとても影響を受けたシド・バレット経由のあの感じかな。あの高めの甘いヴォーカルも大好き!彼等の最も有名な曲は『Another Girl, Another Planet』だろう。1978年の1stアルバムに収録されている。後に、サイケデリック・ファーズとのカップリング・シングルとしてもリリースされていた。

古い友人から下の映像を教えて頂いた。カッコいい!70年代当時のライヴ映像。その下のものは1996年のバンド編成で、ついつい、若き美形ギタリストのジェイ・プライス(Jay Price)にも目がゆくけれど、やはりピーター・ペレットはカッコいい!!「カッコイイ!」ことに理屈は似合わない♪


※1978年のTHE ONLY ONESです!


※1996年のサングラス姿のピーター・ペレット!横の美形ジェイ・プライスも素敵です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-02-25 11:02 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

キンクス(KINKS)『ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT』と郷ひろみ『花とみつばち』のイントロは似ている♪

懸賞 2010年 02月 15日 懸賞

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★英国のキンクス(KINKS)の『All Day and All of the Night』(1964年)が大好き!カッコいいし。他にも美しいメロディーの英国的な香りのするポップ・サウンドが大好き!郷ひろみ(HIROMI GO)の古いレコードを最近よく聴いている。何故ならば、ひろみはライブなどで多くの洋楽カバー曲を歌っていた。そのお陰で知った外国のバンドやアーティストは多い。前からずっと想っていたけれど、ひろみの『花とみつばち』(1974年)のイントロはキンクスの『All Day and All of the Night』に似ているなあって。そのぼんやりした想いに確信が持てたのは、ひろみの1974年のライヴ・アルバム『HIROMI ON STAGE』を聴き直してみてのこと。当時のバック・メンバーは「アニメーション」という青年バンドでとても巧い。そして、このライヴ・アルバムはロックでもある。この『HIROMI ON STAGE』の中の『花とみつばち』はシングルとしてヒットしたあのヴァージョンより、さらにキンクスであった!イントロが一緒としか想えない程似ている。どちらも大好きな曲なので嬉しい♪

『HIROMI ON STAGE』の中の『花とみつばち』の音を掲載できないのですが、キンクスの『All Day and All of the Night』のイントロから聴けるヴァージョンと、お若い少年時代の郷ひろみの『花とみつばち』(途中までですが)の映像も掲載させて頂きます♪


※このイントロが『HIROMI ON STAGE』での『花とみつばち』とそっくりなのです♪



※テレビでの映像のようです(ここではキンクス似のイントロは聴けません)。でも、この映像のひろみは知らなかったので掲載させて頂きます。たまらなくキュートなひろみ♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-02-15 21:13 | 洋楽ロック・ポップス★60年代

デヴィッド・ボウイ(DAVID BOWIE)『クリスタル・ジャパン』★宝焼酎『純』CM曲とご出演の年(1980年)♪

懸賞 2010年 02月 14日 懸賞

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★デヴィッド・ボウイ(DAVID BOWIE)の『クリスタル・ジャパン(CRYSTAL JAPAN)』は1980年にシングル盤となった曲であり、当時このCMになんと!ボウイがご出演されていたのである。私は洋楽にのめり込む真っ只中であり、かつボウイの『ジギー・スターダスト』のアルバムに遭遇できずに色々と新たな出会いに歓喜していた頃。毎日ラジオを聴きエアチェックは習慣となっていた。カセットテープが今でも大好きなのは多くの音楽との想い出があるからかもしれない。この『純・ロック・ジャパン』あるいは『時代が変わればロックも変わる』という麗しいお姿でブラウン管に登場されたボウイ!この時の私の感動やときめきは言葉では表わせない。でも、今も然程変わってはいないけれど、「きゃあ~☆!」という瞳も心も輝き躍るというような存在。

このコマーシャル出演の情報は、当時クラスメイトに「ボウイ隠密」と云われていた私は事細かに音楽雑誌をチェックしていた頃に。不思議なもので本屋さんでパラパラっと雑誌を眺める時、「デビッド・ボウイー」という活字は直ぐに飛び込んで来るのだった。ボウイの事が少しでも書かれていたら見つけた雑誌は何でも買っていたという頃。そんな中で知り得た情報でドキドキと本当だろうかという想い。父は時代劇と刑事ドラマが好きだった。母は家族ドラマ。そして、吉本新喜劇と松竹新喜劇を毎週観て育った。石原軍団よりも池辺良や高倉健という世界が、または、私の好きな日本の男性像が次第に確立して行った。そして、フランスのフィルムノワールの世界が今も大好きなことにも繋がってゆく。石原プロものというと『太陽にほえろ』が最も馴染みのあるドラマだったけれど、このボウイのCMが毎週確実に観れたのは『西部警察』という石原軍団による刑事ドラマがあり、提供にこの『宝酒造・純』が入っていたことによる。というよりも、私はボウイが出演される『純・ロック・ジャパン』のCMが観たいが為に『西部警察』を観ていたと云える。けれど、毎週観ていると結構面白く、中にお一人だけ大きなバイク(ハーレーだったと想う)に乗って登場し活動する刑事が居られた。それは舘ひろし。抜きんでカッコよかったのでその刑事の登場を待っていた。そして、舘ひろしというお方はクールスというバンドのヴォーカルでもあったということも知る。矢沢永吉のあのキャロルの親衛隊でもあったそうだ。この辺りのことは今もほとんど知らない。

このボウイの『クリスタル・ジャパン』はボウイによる楽曲でインスト。キーボードとシンセサイザーによる主旋律でボウイ流の「雅(みやび)」が奏でられるという美しい曲でもある。このシングルは日本盤にしかなっていない。また、B面も大好きな曲。クルト・ワイル&ベルトルト・ブレヒトによる『アラバマ・ソング(ALABAMA SONG)』を歌うボウイの名曲カバーの一曲が収録されていた。この曲は以前の来日公演でも演奏されたという。私は『シリアス・ムーンライト・ツアー』が最初のボウイ・ライヴ体験なので残念。この当時の家のビデオはどういう訳か小さなビデオテープ対応のもので録画したこのボウイの映像がデッキの故障と同時に観れなくなってしまった。YouTubeで拝見できたので嬉しかったけれど、このシングル・ジャケットにあるヴァージョンは入っていない。贅沢は云わず感謝しなくては!何かの雑誌で「このボウイは田宮二郎に似てる」と書かれていたので、「タイムショック」や「白い巨塔」しか知らなかったけれど東映、東宝時代のお若き姿を後に拝見すると蒼白顔のカッコいいお姿であったと田宮二郎を再認識することにもなった。ああ、やはり日本映画やドラマは「昭和」で時が止まっている私である♪


※なんて!美麗なのでしょう☆我が永遠のカリスマ・ボウイさま♪

(追記)
★このYouTubeで朝からボウイを拝見。今もまた観たくなって観ていた(そんな為にブログに掲載してもいる)。このシルクのシャツも綺麗です。この想い出も蘇ります。このCMが放送中か直後の頃、梅田の阪急三番街の上の方の階にレコード屋さんがあったのでよく行っていた(今は無いけれど)。日曜日に友人と行くと、手の届かない入り口の高い場所に「デビッド・ボウイーが着ていたシャツ!」と飾ってあった。確か100万円と書かれていたと記憶している。私は拝見できるだけでぽお~っという想いだったけれど、クールな友人は「ボウイが着ていたシャツと同じ物で、ボウイが本当に着ていたものかは分らないよ」と興醒めなことを云った。でも、今では私も定かではないなっと想う。当時、この展示されていたシャツの事をご存知のお方も居られると想います。懐かしいです♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-14 10:50 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

オール・アバウト・イヴ(ALL ABOUT EVE)『DECEMBER』(1989年)『SCARLET AND OTHER STORIES』より♪

懸賞 2010年 01月 29日 懸賞

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★ベティ・デイビス主演の『イヴの総て』を由来とする『ALL ABOUT EVE(オール・アバウト・イヴ)』というグループが1985年にデビューした。ポジティヴ・パンクなるちょっとしたブーム。バウハウスはその元祖、そのまた元祖にはデヴィッド・ボウイと遡る事も可能だと思う(ゴシック・ロック(GOTH)を遡れば)。当時のポジティヴ・パンクなるムーブメントに於いては、シスターズ・オブ・マーシーがダントツ!に好きだった。あの地を這う様なアンドリュー・エルドリッチのヴォーカルは唯一無二なお声だった。そして、そこから派生したのがミッションとゴースト・ダンス。オール・アバウト・イヴは、ミッションのリーダーであるウェイン・ハッセイのプロデュース作品ともあり一躍話題になって行った。X-マル・ドイッチュラントやジーン・ラブズ・ジザベル人脈からなるインディーズ時代のシングルは、荒削りながらも当時の「4AD」のアーティスト達に感じられた様なある種の耽美な世界を漂わせていた。勿論、すんなりと引き込まれてしまった。

それから、トントンとメジャー・デビュー。1stの『イヴの序曲』も好きだけれど、2ndの『スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ』はさらに好き。それは、ジュリアンヌの存在がさらに全面化し優しいアコースティック感覚、美しい旋律に溶け込むようなジュリアンヌの清楚でしっかりとしたヴォーカルが際立っていると思うから。彼らはブリティッシュ・ロックの正統派的な流れを汲んでいる。プロデュースがポール・サミュエル・スミス(元ヤードバーズ)とあり、ファン層は拡大されたようにも想う。

私にとって、ジュリアンヌ・リーガンはケイト・ブッシュとミレーヌ・ファルメールの中間に位置する様な存在なのだ。大好きな曲の一つである『DECEMBER』(アルバム『SCARLET AND OTHER STORIES』よりの2ndシングル)が決定的だった(あまりにも個人的な歓び!)。端正な美しい顔立ちを際立たせるかの様な赤い口元。60年代のサイケデリック、英国ならではのトラッド・フォークの芳香、枯葉の似合う妖精、ラファエル前派の絵画のモデルの様なジュリアンヌだと!

可憐なワンピースやロングスカート姿でギターやタンバリンを持つジュリアンヌはとても自然に映った。その様なスタイルの対極に位置する麗しの女性達も好きだったけれど(例えばマラリアのメンバー達の様な)。ジュリアンヌのお声には毒が無い。私は猛毒を持つような女性ヴォーカルにも惹かれるけれど、この正統さが大切なのだと思う、このグループには。奇を衒う事は何も無い。意外だったのはジュリアンヌの突然のポップなソロ・ユニット:MICE(マイス)の登場だろうか?ちょうど、VELVET MOONをオープンした頃の作品で贔屓目たっぷり!に大推薦していた。ブリット・ポップという括りでも好盤であったと思う。独特の個性的な歌唱法でもなく、決定的な声の個性でも無い。きっと、そこがジュリアンヌの魅力だと思う。優美なサウンド、彼らの音楽を聴いていると19世紀の英国にまで行ける。こんな美しい旋律と共にジュリアンヌのお声が時空を超える。

80年代に活躍したグループは随分消滅してしまったけれど、オール・アバウト・イヴは健在だ。一時、解散状態だったけれど復活してくれて嬉しい。私の好きな"英国"が詰まったグループであり、その歌姫であるジュリアンヌ・リーガンは憂愁の追憶でもある。

※2004年9月5日に『憂愁の追憶★ジュリアンヌ・リーガン:JULIANNE REGAN (ALL ABOUT EVE)』として綴ったものに、動画を加えました。もっと追記したいことも多いのですが、ALL ABOUT EVE然りながら、我が心の歌姫のお一人であるジュリアンヌ・リーガン(JULIANNE REGAN)ですので、他の作品のことを追々にと想います♪



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by musiclove-a-gogo | 2010-01-29 09:37 | NEW WAVE★ニュー・ウェーブ

ジャパン(JAPAN)『孤独な安らぎ(SOMETIMES I FEEL SO LAW)』(1978年)+蘇る美しき方々と蒼い刻♪ 

懸賞 2010年 01月 27日 懸賞

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★明後日29日は『sub-culture』のパーティーなので今週はNewWave週間と勝手に決めて書いている。次から次へと心の曲たちが蘇り、軽く少女時代にタイムスリップしている。相当な年月の経過にはたと気付いてはみるものの、実年齢だけは増えてゆけども気分はあまり変わってはいない。現実を見つめて生きてゆかねば!と頭では考える。けれどいったい現実って何なのだろう...。でも今、この時を生きている私は事実居る。でも、ずっと大切な心の住人たち(人物に限らない)が居るからこそ、泣いても笑うことをも忘れず生きてゆける。そのようにしてずっと生きてきた気がする。私はもっと強靭な人間になりたいとも願うけれど、毎日は苛酷ですぐ挫けそうになる。人生とはそういうものだ。辛いことの方が多いのだから!泣いた数と歓喜する心の数のバランス。時に不調(協)和音で心がざわめくけれど、こうして心が躍る蘇るあの刻がある。愛するものたちともっともっと向き合い、さらに心に刻んでおきたい。

洋楽のレコードを買い始めてまだ20枚も持っていない頃。しつこいようだけれど、ボウイの『ジギー・スターダスト』がまったく売っていなくて(80年代初めにようやく)、他の気になるレコードを買っていた。ジャパン(JAPAN)の音楽との出会いはそんな頃。それも、初めて買った輸入盤である(それもUS盤だった)。1978年の2ndアルバム『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』。予備知識まったく無しという状況でのジャケ買い。奇しくも私は「耽美派少女のための変態雑誌」とも云われていた『アラン』の発売をまだかまだかと待っている日々と時はほぼ同じ。この『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』以外にも作品はリリースされていたので、好きになり発売を待ってというのは80年代に入ってからだけれど、日本では本国より先に人気があったこともあり、『アラン』仲間(一人だけ)の同級の女の子、そして、エアチェックしたカセットや情報交換の友人(これまた彼女ただ一人)とボウイやジャパンのお話ができた。私はいけないことだったのだろうけれど、ラジカセを学校に持参するようになっていた。重いとか感じもしなかったな。ああ、若気の至り。

ジャパンはパンク全盛の折にデビューしている。なんとも不可思議な時代とのズレ。けれど、とんでもなくカッコいい!!と想えたのだ、殊に妖しいメンバーのルックス。デヴィッド・シルヴィアンの髪の長い頃はミック・カーンの方が好きだった。今はデヴィッド・シルヴィアンが大好き!まあ、ジャパンとはシルヴィアンのバンドのようなものでもあったのだし。当時は気付かなかったけれど、シルヴィアンのヴォーカルに何の抵抗もなく、”素敵なお声!”と聴き入っていたのは、既にブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)が好きだったからかもしれない。そうそう!私はブライアン・フェリーも大好きで、これは逸れてしまうけれど、映画好きでもあるもので、「美少年・美青年・美中年・美老人の系譜」らしきものがいつの間にか存在するようになった。勿論ボウイも居られるのだけれど、その源流はダーク・ボガードへと行き着くと気付いた時、想起するお方にブライアン・フェリーが居たのである。理由など分らない。ボウイは直結しないみたい。ヘルムート・バーガーとは直結する。ああ、何を書いているのやら。大変なことになってしまった。ヘルムート様のお名前が出るとニヤけてしまい、浮かぶは初めて観た『雨のエトランゼ』のお姿が!いつも、このジャパンとの出会いの頃を回顧するとこんな具合になってしまう。2年半程前に綴ったものを読み返してみても我ながら呆れる。

ジャパンのこと、シルヴィアンのこと、名曲の数々のこと...追々に。嘗ての日本盤の邦題が好き。邦題で覚えている曲というのは付き合いの長い証でもある。「苦悩」とか「孤独」とか「影」とか「絶望」とか...そんな厭世的な世界に惹かれていた蒼き刻。けれど、私の大切な想い出たちでもある♪



「妖しくも美しき英国バンドJAPAN★最初に貼ったポスター」

★懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃はまだ一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり~♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ~!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにしてもらい電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ~さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その友人の方がは塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれど貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。
2007.6.29.

(追記)
※あのトキメキたちが蘇り、取り留めのないことになってしまいました。2年半程前に書いたものに一部修正したいです。今でもひろみが大好きです。少しブランクがあったけれど、昨年より再びひろみの新曲をチェックするようになりました。また、JAPANは80年代に入ってからのルックスの方がより好きです。洗練されていったのでしょうね。サウンドはどの時代のJAPANも好きです♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-01-27 19:00 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

ケイト・ブッシュ(KATE BUSH)『嘆きの天使(MOVING)』東京音楽祭にて(1978年)♪

懸賞 2010年 01月 24日 懸賞

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★ケイト・ブッシュとしての来日コンサートがまだ実現していない。個人的にそれを願って結構長くなる。ケイト・ブッシュ、そして、ミレーヌ・ファルメール、そして御大ロバート・ワイアット。ケイトは大の飛行機嫌いなのだそうだ。嘗てボウイもそうだったので船での来日だったのだし。ケイトの唯一の日本でのライヴというと、1978年6月18日の「第7回 東京音楽祭」に出場された折に歌われた『嘆きの天使(MOVING)』。私は偶然そのテレビを観た。まだケイト・ブッシュの音楽を聴いたことがない頃だったけれど、映像として不確かながらも覚えてはいる。けれど、歌った曲は忘れていた。YouTubeが苦手だった私をYouTubeが私に再発見させてくださる日々。貴重な映像を掲載してくださる方々に感謝!※上の画像はこのライヴのものとは関係ございませんが近い頃のものです♪

1978年というと、私は洋楽は聴き始めていたけれど、まだ歌謡曲も大好きで聴いていた。ひろみとジュリーがやはり好きだった。なので、当時の資料など持ち合わせていないので調べてみると、なんと!!そのケイトの出場された会場の審査員に前述のジョニー・アリデイが居られたと知る。ああ、ビックリ!他にもカトリーヌ・ドヌーヴ、ミシェル・ルグラン、ジャック・ルボー、そしてそしてマーク・レスターまで!!感動☆ケイトは銀賞で、その時のグランプリはアル・グリーンだったそうだ。また、他の出場者の中に私の好きなリディア・バーキンも居られたとは!!無冠であったようだけれど。(参照:Wikipedia)

ケイトもこの頃はとても細かったのだな~と時の流れを感じながらも、やはり大好きなケイトを再認識出来しあわせである。ピンクの綺麗なお衣装がお似合いだし、強烈なアイメイクもこの頃ならでは♪



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by musiclove-a-gogo | 2010-01-24 05:37 | ガールズ・ポップ★洋楽

マリアンヌ・フェイスフル(MarianneFaithfull)『ブロークンイングリッシュ(BrokenEnglish)』(1979)

懸賞 2010年 01月 22日 懸賞

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★2004年に『マリアンヌ・フェイスフルのベスト・アルバムを聴きながら』と題して綴ったもの。私の大好きな女性ヴォーカル(歌姫)のことについて、最初に書いたのはマリアンヌ・フェイスフルのことだったのだ。ブログなど知らない頃だったけれど、Velvet Moonのサイト内に私の趣味のサイト「BRIGITTE」を作って頂いて、最初に書いたものでもある。5年半程経て、今の私にとって、マリアンヌ・フェイスフルという存在は、我がカリスマかつ永遠のヒーローであるデヴィッド・ボウイに匹敵するくらいに大好きなお方であると感じている。ビートルズ~ジョン・レノンが12歳、ボウイが14歳、ケイトが15歳、そしてマリアンヌ・フェイスフル、ニコ、ブリジット・フォンテーヌ、フランソワーズ・アルディ...15歳から16歳と永遠に忘れることのできない素晴らしき出会い。

同じ頃、私は腎臓を患い帰宅部となってしまった。寂しい想いを学校の図書館とお家でのレコード鑑賞&エアチェックに集中することに向けていた(当時、意識していたのではないけれど)。部活を辞めるように病院の先生に云われ、仲の良い友人たちとの時間を失うことになった。もしも、病気にならず過ごせたなら、今の私はもう少し(否、もっとかも)違っていたように想う。思春期に受けた病気の辛さ、一人で帰宅する寂しさ、孤独感のようなものを一身に味わった。今では全然大したことではないけれど、その後の私の向かう好きな世界は暗鬱なものへ。そんな入り口で出会えたアーティストや音楽たちは時を経て今も私の心にさらに深く刻まれてゆく。

※1980年の「BROKEN ENGLISH」を歌うマリアンヌ様のライヴ映像(ドイツでの)です♪



~『マリアンヌ・フェイスフルのベスト・アルバムを聴きながら』~

★私は女性ヴォーカルが大好きだと言える。そして、「女性ヴォーカル」というとまず浮かぶお方の中にマリアンヌ・フェイスフルは欠かせない。お小遣いでレコードを真剣に買い始めたのは中学生の頃。中学に上がる直前の春休みに母から買ってもらったビートルズ・ボックスが洋楽への入り口。そして、日増しに音楽、特に洋楽にのめり込んで行った。そして、音楽雑誌を買い求め隅から隅まで耽読していた。ラインを引いたりノートに書き出したり。美麗写真を模写してみたり...毎日が狂っていくかの様に。中学生の私は既にジョン・レノンやデヴィッド・ボウイに夢中だった(ジョンは間もなくして死んでしまったけれど)。一枚ずつ少しずつ作品を集めた。お小遣いでは追いつかない欲求はラジオへ向かった。「FM fan」を毎日チェックし、気になる番組の為には早朝から深夜遅くまでエアチェックに費やしたものだ。レコードは少しずつ数を増すけれどカセット・テープはどんどん急速に増えていった。専用のノートを作りお気に入りの曲に一つ一つ感想を書いたりしていた。お家に遊びに来た友人には「おかしい。変わってるよ。」とからかわれたりしたけれど黙して一人遊びを続けていた。夜中ライナーノーツを読みながら異国へ夢を馳せた。ヘッドホーンで歌詞を追いながら知らない内に大きな声で歌っていた。夜中だと父に叱られた...昨日の事の様。

とても鮮明に回顧する事が可能なのは何故?見つけたから、夢中になれるものを。お陰で友人とのお付き合いは悪くなって行ったのは残念だったけれど。それでも早くお家に帰り音楽を聴きたかった。勉強中もずっと音楽が流れていた。そんな勉強の仕方を担任の先生は「現代病やな。」と笑った。叱られなくて良かった。そんな想い出達と一緒にマリアンヌ・フェイスフルという女性に惹かれて行った日々がある。最も多感な少女期に出会えたこの様な方々は忘れられない、決して!「MUSIC LIFE」の中に再発のレコード評を発見。その気怠く物憂い一枚のレコードジャケット。それは「ブロークン・イングリッシュ」だった。ブルー地に映る退廃的なお写真。すぐに飛びついた!ジョンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカバーが入っていて嬉しかった。そして、嗄れたお声とエレクトロな音。NEW WAVEなるシーンがラジオでも紹介され聴いていた頃なので全くマッチした。そして、それまでの経歴や作品を知るようになりミック・ジャガーが大嫌いになる!(ところが、数年後ハイドパークのライヴを観てすっかりファンに成るのだけれど。)

このベスト盤はその「ブロークン・イングリッシュ」で始まる。そして、唯一の60年代の収録曲「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」で終える。この17歳の初々しいお声を後から知った時とても驚いた。そして、マリアンヌ・フェイスフルという女性の生き様におののきと感銘を受けていく。貴族の血統、その高貴な気品と可憐な美貌から真っ逆様にスキャンダルにまみれどん底へ。でも生きていた!死のうと何度も思っただろう。悪夢を見た者は道は分かれるだろう。でも、マリアンヌは生きる事を選んだのだ。底から這い上がる様を思うと胸が締め付けられる程だった。私には到底持ち合わせていない強靱な意志、精神力に憧れた。ミックとのカップルは最高にお似合いだったと思う。でも、その破綻、裏切りから傷付いた心。ドラッグやアルコールでボロボロになる身体。可憐な容姿は次第に哀しみを帯びた堕天使の様に変貌して行く。でも同時にアーティスト:マリアンヌ・フェイスフルは成長して行き今も圧倒的な存在感を誇っているのだと。呪詛とさえ称されるあのお声は深みを増しますます唯一無二な存在に。決して気品は失せないまま。

この作品中には「SHE」という1994年当時の新曲が収録され、さらに忘れてはならない曲が!パティ・スミスの「ゴースト・ダンス」を取り上げているのだ。パティはマリアンヌ様の大ファンだから嬉しかっただろう。そして、この曲のプロデュースはキース・リチャーズ!(&ドン・ウォズ)だという事に狂喜乱舞。長いキャリア同士、色んなトラブルを経験し同じ時を過ごした古い悪友の様なキースとまたお仕事を一緒にされたのだから。お二人の笑顔で写るツーショットを同時期に拝見することが出来た...とてもとても素敵だった。そして嬉しかった。
2004年7月11日

<追記>「BROKEN ENGLISH」のシングルは1979年。ずっと後に、ようやく動くマリアンヌ・フェイスフルを!その為に観に行ったのが「デレク・ジャーマン映画祭」(今はもう無い大阪の小さなシアターで)。そして、デレク・ジャーマン監督映画に魅了されて行った。でも、エイズで死去されてしまった。サイモン・ターナーのライヴで遺作の『ブルー』が映し出されていた。私の好きなアーティストに同性愛のお方は多い。意識してのことではないので不思議なこと。でも、デレク・ジャーマンがエイズという病に日々蝕まれて行くご自分の身体と向き合いながら、最後まで撮り続けていたお姿に胸を打たれた。そうして、エイズの恐怖と同時に考え学ぶことを教えて頂いたように想う。

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by musiclove-a-gogo | 2010-01-22 09:37 | ガールズ・ポップ★洋楽

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