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『雨に唄えば』シェイラ&B.デヴォーション(1978年)★原曲ジーン・ケリー同名映画(1952年)♪ 

懸賞 2011年 02月 17日 懸賞

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★シェイラ(SHEILA)はシルヴィ・ヴァルタン、フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ等と共に60年代のフレンチ・ポップス・シーンのアイドルのお一人。本名はアニー・シャンセルといい、1945年8月16日生まれのイル・ド・フランス圏のクレテイユ出身。稼業のお菓子屋さんのお手伝いをしていた明るい少女だったと想像しています。シェイラは、明るく健康的な可愛らしさが魅力の一つ。イェイェ・ブームの折は大ヒット曲がいっぱいですが、次第に時代と共にアイドルから脱皮してゆく時期が訪れる。それは、アイドルの宿命なので、古今東西の人気アイドルたちに共通するもので、その軌跡を追うのも好きです。消えてゆくアイドルが多い中、才能やルックスだけでは先が無いことを熟知し、ダンス・レッスンを重ね方向転換して行ったシルヴィ・ヴァルタン。このシェイラも70年代後半になると、ディスコ・ブームに乗るかたちで、英語圏にアピールできる作品を発表してゆく。

シェイラ&B.デヴォーション(SHEILA&B.DEVOTION)と名義も変わる。黒人バックダンサー3人との踊って歌える歌手シェイラと変身!個人的にはこのシェイラ&B.デヴォーション以前、以後という感じで聴き分けているような感じもあります。シェイラもカバー曲の多いお方で、イェイェ時代のキュート・ポップに好きな曲が多いのですが、70年代以降の雰囲気もまた素敵だと思えます。そこで、今日はシェイラ&B.デヴォーションの1978年のヒット曲『雨に唄えば(SINGIN' IN THE RAIN)』を。シングル・ヴァージョンとディスコ・ヴァージョンがあります。英語圏でも殊にイギリスでは大ヒット!という曲でシェイラも英語で歌っています。オリジナルはジーン・ケリー主演のミュージカルの名作『雨に唄えば』の主題歌です。私はジーン・ケリーやシド・チャリシーが好きですし、ミュージカルって大好き!この名曲のディスコ・ヴァージョンが26年程経て、フランス人のシェイラが歌いヒットしたという時代。ディスコ・サウンドは詳しくないのですが、こうして出会えるのは大抵女性ヴォーカルです。まだまだシェイラの楽曲や作品など、追々更新してまいります♪

★歌って踊るシェイラ&B.デヴォーション/雨に唄えば(1978年)♪

★ジーン・ケリー/ミュージカル映画『雨に唄えば』より(1952年)♪

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by musiclove-a-gogo | 2011-02-17 11:50 | ガールズ・ポップ★洋楽

『二人だけのデート』ダスティ・スプリングフィールド(1963年)★ザ・ツーリスト(1979年)♪

懸賞 2011年 02月 11日 懸賞

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★"ガールズ・ポップ"というと50年代から60年代のアメリカン・ポップスのガールズ・サウンドから始めないとならないのでしょうが、この辺りになるともの凄く!後追いで今もまだまだ知らないサウンドがいっぱいです。洋楽は英国のアーティストから入ったので、今回はブリティッシュ・ガールズポップを。『二人だけのデート(I Only Want to Be with You)』という名曲です。オリジナルはダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield:1939~1999)の1963年発売のヒット曲です。私が知ったのはベイ・シティ・ローラーズ(The Bay City Rollers)のヴァージョンでした(1976年)。ベイ・シティ・ローラーズファンの女の子が居たのでよく聴かせてもらいました。私は郷ひろみファンでしたが、その友人は西城秀樹ファンだったはずなのに、いつの間にかすっかりベイ・シティ・ローラーズに関するものを集めていて色々お持ちでした。その彼女も暫くすると、近藤真彦ファンとなっていました。

★ダスティ・スプリングフィールド/二人だけのデート(1963年)♪

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私はひろみで知ったデヴィッド・ボウイ、ケイト・ブッシュへと洋楽の比重が一気に傾いていたのです。なので、自分で購入した最初の『二人だけのデート』は今も大好きなアニー・レノックス(Annie Lennox)がヴォーカルのユーリズミックス(Eurythmics)の前身バンドとなるツーリストあるいはツーリスツ(The Tourists)のヴァージョンでした。でも、ユーリズミックスを先に購入したのでこれまた後追いでしたが。当時は映像など観たこともなかったのですが、何でもあります天晴YouTube!

★ユーリズミックスの前身バンドのツーリスト/二人だけのデート(1979年)♪

ベイ・シティ・ローラーズ関連だとひろみがカバーした『バイ・バイ・ベイビー』(1975年)の事を以前綴りましたが、この曲は郷ひろみヴァージョンの方がやはり好きです。『明星』ではずっとひろみが人気投票1位でしたが『平凡』では他の方に1位を奪われることもあったように記憶しています。そのせいか分かりませんが『明星』派でした。映画雑誌も『ロードショー』も偶に購入していましたが、母の時代から我が家は『スクリーン』派でした。やはりベイ・シティ・ローラーズ・ヴァージョンも♪

★ベイ・シティ・ローラーズ/二人だけのデート(1976年)♪

★関連記事:『バイ・バイ・ベイビー(BYE BYE BABY)』ベイ・シティ・ローラーズと郷ひろみ(共に1975年)♪
★関連記事:麗しのアニー・レノックス★ユーリズミックス(EURYTHMICS)『スイート・ドリームス(SWEET DREAMS)1983年♪
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by musiclove-a-gogo | 2011-02-11 02:20 | ガールズ・ポップ★洋楽

プラスチック・ベルトラン(PLASTIC BERTRAND)『CA PLANE POUR MOI(恋のパトカー)』(1977年)♪

懸賞 2010年 06月 01日 懸賞

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★プラスチック・ベルトラン(PLASTIC BERTRAND)のデビュー曲にして世界的大ヒットとなった『Ca Plane Pour Moi』。1978年の1stアルバム『AN 1』にも収録されていますが、先にシングル盤としてベルギー、フランス、ドイツ等で発売。正しく、時代の寵児的に彗星の如くポップ・シーンへ登場したようです。ポップなロックンロール・ナンバーで時代がパンク旋風という中でなんともユニークな存在だったと想像します。

プラスチック・ベルトランとはロジェ・ジューレ(ロジャー・ジューレー)という男性アーティスト。1958年に、フランス人の父親とロシア人の母親の間に生まれたベルギー(ブリュッセル)出身のお方。ファッショナブルでどこかキュートな明るいキャラクターは一躍アイドルに!その後、ダリダの『BAMBINO』のカバー曲などもヒットさせていて、今も現役で活動されています。『フランスの郷ひろみ』とも云われていたそうです。そんな風にお聞きするとますます好きになります。とにかく、"ポップ!"です。フレンチ・ニュー・ウェイヴともパンクともカテゴライズされますが、『Ca Plane Pour Moi』はフランス発世界ヒット曲のポップナンバーであり、シングル曲以外の楽曲もどれも愉しいのです。プラスチック・ベルトランはやはりポップ・バンドを極めているとアルバムを聴いて想えます。アメリカでも大ヒットしたらしく、当時ビルボード及びキャッシュボックス共に登場。日本では1979年になってシングルが発売されました。邦題は『恋のパトカー』でした。別にコミック・バンドでもないのですがこの明るさは何だろう!?と同時期の英国ではセックス・ピストルズや・ザ・クラッシュ等のパンク・ロック勢の眼差しや楽曲とはフィールドが違いすぎます。これも時代とお国柄であるので世界中に色んな素敵な音楽があって素晴らしいな、っと想うのです♪



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※このブログ内で飼っておりますペットのうさちゃんですが、お友達がクリックすると言葉を喋ると教えてくださいました。早速、クリックしてみますと、最初に喋った言葉は「オタク」でした...何故?とこの仕組みは謎めいておりますが愉しいです。更新ちゃんとしないと弱ってしまうと困るので、少しでも出来るだけ何かメモしてゆこうと想います。
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by musiclove-a-gogo | 2010-06-01 11:57 | シャンソン・フランセーズ

ルネ・シマール(RENE SIMARD)『ミドリ色の屋根』(1974年)★微かな記憶の日本語で歌っていた美少年歌手

懸賞 2010年 05月 09日 懸賞

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★竹宮恵子さまもお好きだと仰っていたというルネ・シマール(René Simard)君という少年歌手を思い出しました。最もヒットしたのは『ミドリ色の屋根』(1974年)のようだ。何故か、私もこのシングルを持っている。長い間聴いていなかったけれど、何でもある恐るべしYouTubeでも聴ける。そして、初めて観たのだけれど、東京音楽祭に出演された折の映像まで!マッシュルームなブロンドの髪、そばかすの少年なお顔ばかり記憶していたので、意外とぽっちゃりされていたのだなあっとか、歌が上手いなあ~と再認識していたところ。フランス人だと思っていたけれど、1961年のカナダ生まれだそうだ。『ミドリ色の屋根』の頃は13歳頃だったのだ。微かにテレビで観た記憶と可愛い少年歌手だったという思い出がこうして不意に蘇るのだから不思議。

『小さな生命』というシングルもジャケットが可愛いかった。いつ頃まで日本で活躍されていたのかよく知らないけれど、この頃のフランス盤のシングルも持っているのでまた聴いてみようと思う。日本語で歌われる『ミドリ色の屋根』の歌詞は今の私の方が相性が良い。綺麗なお声で悲しくも美しい歌詞。J-POPと歌謡曲の違いって漠然とある。すっかり私は歌謡曲時代で邦楽はほぼ停止状態だけれど、近田春夫さんもやはり歌謡曲が好きだそうで、口先で歌えるのが良い、と。そうそう!こんな私でも昭和の歌謡曲を聴くと覚えているのだから!郷ひろみの『恋の弱味』を再び聴いてからこの数日というもの、脳内でリピートの嵐!子供の頃から好きだった曲たちって、私の成長と共に再生回数も増え続けてゆくのだから、どうしても70年代の歌謡曲には格別な想いを抱くみたい。洋楽や洋画、次第にヨーロッパの作品を主に鑑賞するようになったけれど、いつまでも色褪せない歌は人それぞれにあるだろう。でも、日本語の優美さ、詩情というものは温故知新を痛感する。今のものを否定する気持ちは無いのだけれど、私の心が安堵するものは何故か「昭和」となる...なので、かなり同世代の友人たちともズレが生じていて苦笑することも多いけれど、それも愉快かな♪




(追記)
★ルネ・シマール君は第3回東京音楽祭でカナダ代表としてグランプリ受賞!「フランク・シナトラ賞」って、何だろう...と思っていた。この大会でのゲスト審査員としてフランク・シナトラが居られたそうだ。エントリー曲は『ミドリ色の屋根 Non Ne Pleure Pas(泣かないで)』。なので、フランス語~日本語で歌われた。ライヴでこの歌唱力!パパの居なくなったママの哀しみ。健気な息子の母を思う心。ぼくがしあわせをあげる...と胸を打つ名曲!この曲がグランプリを受賞できた時代が私はどうしても好き。色々な思い出たちが共に蘇る。もう戻りはしない時だけれど、心であの時が頁を捲り思い出たちを綴る。ノスタルジーばかりじゃ生きてゆけないと知っている。でも、ノスタルジーが必要な時もある。時間は止まらないけれど、往来する。生まれる前の彼方までゆくことだってできる...私は楽の調べさえあれば生きてゆけるとさえ思えるのだから不思議♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-05-09 06:44 | 昭和のアイドル・歌謡曲・TV曲

ROXY MUSIC 『SIREN』(1975年)~ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『セイレーン』(1900年)♪

懸賞 2010年 03月 23日 懸賞

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★ロキシー・ミュージック(ROXY MUSIC)の1975年のアルバム『サイレン(SIREN)』。前述(本当は2004年に書いたものですが)の『STRANDED』以上にジャケットに魅せられて買ったレコードだった。美しき人魚となってジャケットに写るお方はジェリー・ホールで、ブライアン・フェリーの恋人でもあったお方。けれど、ミック・ジャガーに取られてしまう...この辺りのロック・ミュージシャンと美しき女性たちとの恋愛遍歴は傍目にはとてもドラマでもある。けれど、遠い存在の方々のお話なのでお気楽な傍観者なのだ。ブライアン・フェリーの愛するジェリー・ホールへの失恋の痛手はたいそう大きなものだったと勝手に想像してしまう。その後の悲恋の歌を聴けば、何となく私も複雑な想いと妄想が入り混じってしまうのだった。今は時も経たので楽曲の美しさ、ブライアン・フェリーの詩的な歌詞やヴォーカルにうっとりと耳を傾けることができるけれど。

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さて!「人魚」というテーマはこれまた大好き!神話物語からラファエル前派の数々の絵画が浮かび、簡単には纏まらない状況ながら少しだけ今の気分で綴っておきます。ギリシャ・ローマ神話のお話の中の「セイレン(SIRENS)」は、キルケの島を離れて一行は故郷を目指して海原へ進む。すると、恐るべきセイレンたちの島に近づいてゆく。彼女達は上半身は女性、下半身は鳥の姿をした怪物で、その甘い歌声は船乗りを引き寄せ、その犠牲者達は死ぬまで彼女達の音楽を聴き続けなければならない。ホメロスの描写からヴィクトリア朝の画家たちは次第に「セイレン」を怪物から「人魚」の姿として描くことも多くなってゆく。美しくどこか無邪気なのだけれど、やはり「誘惑者」であることは変わらない。彼女達の蜜のような甘い歌声に半ば正気を失いかける者もいる。クリムトとなるとさらに、この誘惑者を妖婦的な色合いを濃く描写し美しき魔物のよう。上の絵はジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(Jhon William Waterhouse)の『セイレーン(The Siren)』(1900年)です。

こうしたお話が大好きな私は尽きることなく続いてしまうので、また色々追記したいと想います♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-03-23 11:05

ロキシー・ミュージック(ROXY MUSIC)『ストランデッド(STRANDED)』(1973年)♪

懸賞 2010年 03月 23日 懸賞

『ヨーロッパ哀歌(A SONG FOR EUROPE)』

セーヌ河のほとり
ノートル・ダムが
長くさみしい影を落とす

今は悲しみだけ、明日も
今日もない二人に
分かち合えるのは
昨日だけ

訳・今野雄二

★私のレコード棚を眺めると圧倒的に女性ヴォーカルものの占める割合が大きい。でも、ある一角に静かに結構な年月を一緒に過ごしている人達が居る。そこにはロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーの作品達も。デヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュよりも少し遅れて聴き始めた。初めて買ったロキシーのレコードは「フレッシュ&ブラッド」1980年。ここからがリアルタイム。そしてジョンが射殺された年...ラジオで知ったのだった。オールナイトニッポンという番組だったと思う。私は試験中で夜中も勉強していた。酔いどれて悲しい怒りの様なお声に驚いた。内田裕也さんだった、「ジョンが死んだんだよ...」と。そのお声には哀しみとやるせなさと怒りと動揺等が入り混じったものを感じずにはいられなかった。もちろん、私はその後数年ジョンのアルバムに針を下ろすことが出来なかった。直ぐに「ジェラス・ガイ」を追悼曲として発表し、その後あの大ヒット作「アヴァロン」をリリースし解散するロキシー。

なので、ロキシーを好きになって僅かな時間しかバンドは存在しなかった。でも、その後も少しずつ過去の作品を買い集めた。2枚目に買ったのは「サイレン」(ジャケットに写る美しい人魚に扮しているのはかのジェリー・ホール)、そして、この「ストランデッド」。今ではオリジナル・アルバム、ソロ・アルバム共にやっと追いついたという感じ。まだまだ消化しきれてはいないのだ。まだまだ聴きたい!フェリーの美意識に惹かれ続けている。ソロも好きだけれど敢えてこの作品を選ぶのは「A SONG FOR EUROPE」(邦題:ヨーロッパ哀歌)が収録されているから!ロキシーの数ある名曲中、やっぱり一等好きな曲なのだ。そして、続く「MOTHER OF PEARL」~「SUNSET」という幕切れがたまらなく好き!

「A SONG FOR EUROPE」の終盤で繰り返される悲痛な歌唱。特にラテン語とフランス語で歌われるその箇所は意味も分からずとも、何か崩れ行く悲哀の様な世界にただただ引き込まれるのだった。もう二度と帰り来ぬものへの哀惜、残されたのは想い出だけ...こういうロマンが好きな私は必然的にフェリーの詞の世界が好きになる。闇や幻想、夢想家の孤独というだろうか?あまりフェリーの歌唱評価はされないかな?なんて思っているけれど、私はとても凄いと思うのだ。呟くような歌い出しの部分から後半の悲痛な叫びの様なお声、そして口笛。この曲に感動した私は放送部に友人が居たので学校にレコードを持って行きリクエストした。結構採用して貰えていたのだけれどこれは却下されてしまった。「暗い。なんか女々しい感じ。」この様な事を言われたものだ。私はこの女々しいところも好きだったりするのだけれど。まぁ、お昼休みのくつろぎの時間には似合わなかったと今なら思うけれど。

美術学校出身のアーティストは多い。フェリーもそんなバックボーンから見事な美的感覚に長けたお方。特にロキシーの1stから次々とアルバムのカバーガールに起用するセンスの良さ、黄金期のハリウッド映画からウォーホルに至るアメリカのアートシーン。それらに加え奇抜なアイデアがキラキラ。まだ若かった私はロキシーのアルバムをレジに持って行く時恥ずかしかった。なので、「カントリー・ライフ」を手にしたのはずっと後になってしまった。カリ・アン、アマンダ・リアに続きマリリン・コールが今作のモデルに選ばれた。プレイボーイ誌で当時人気抜群だった方だそうだ。美しく豊かなブロンドの巻き毛と野性的な雰囲気。変わったメイク(このメイクはピエール・ラロシュ:ボウイの「ピンナップス」でも有名)、綺麗な長い足に見とれながらも決して鏡の国へは行けない...。

1972年にボウイの前座としてデビュー。今年フェリーは59歳(2004年7月当時)。ますますダンディズムの漂う素敵なお方。地味ながらも好盤を発表し続けている。私はおそらく「グラムロック」という括りに無関心に近いと思う。当時を知らないからかも知れないけれど、そういうイメージで捉えるには超越したものがあると思うから。ロキシーもボウイもT.レックスも。そうだ!ロキシーの2ndまではかのブライアン・イーノも在籍していた。まだ髪が有った頃。そして、フィル・マンザネラやアンディ・マッケイの存在も忘れてはならない。個人的には天才美少年!と絶賛されていたエディ・ジョブソンの起用も早かったと喜んでいる。1stのプロデュースはピート・シンフィールド(キング・クリムゾンの作詞家として有名!)、そして2ndの途中からはクリス・トーマスが担当。アート・ロック~プログレという流れを汲みながらもフェリーのロマンティシズム溢れる美学はある意味とてもポップ!こういうポップさ、ダンスミュージックがとても好きなのである。

★2004年7月11日に「BRIGITTE」サイト内で綴ったものです。そのサイトを閉鎖してしまったので此方へ。そして、大好きな「A SONG FOR EUROPE(ヨーロッパ哀歌)」より、その素敵な詩の一部を追記いたしました♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-03-23 10:03 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

好きなギタリスト&アーティスト★ポール・ウェラー(PAUL WELLER)テレビで観た衝撃!『THE JAM』♪

懸賞 2010年 03月 05日 懸賞

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★モッズ・アイコンあるいはモッズ・ファーザーとも呼ばれるポール・ウェラー(PAUL WELLER)はジャム(THE JAM)の頃から今も好き。熱狂的なファンの方々には恐縮ながら、少女時代の私がまたしても動く映像から知り得たお方で、先述のプリテンダーズの映像が流れた番組だった。所謂ポスト・パンク~ニュー・ウェイヴという時代からの私はジャムも後追い。最初に買ったのはラスト・アルバムとなってしまった『ザ・ギフト』である。

ジャム(THE JAM)という名は音楽雑誌の「パンク」という括りでもよく登場していたので名前は知っていた。思えば、小学生の頃、「今ロンドンでは」とか「パンクファッションが大流行」というような記事を目にしていた。ストリートを歩くパンクファッションに身を包んだ人々が載っていた。けれど、私は特に感化されることもなく漠然としたイメージだけが残っていた。少女マンガの中の美少年や美少女、我がアイドルである郷ひろみの方が断然「美しい!」存在であった。その時の私が中学生や高校生ならもっと違ったかもしれないけれど。

こんな私がデヴィッド・ボウイという存在を知り、「この世の者とは思えない美!」を動くお姿に感じたことから一気に瞬く間に洋楽へと傾倒してゆく。次第に多感な年頃にもなり体調を崩したりと帰宅組になって行った頃。多分、「パンク特集」のような紹介の中でのジャム(THE JAM)であったと想うのだけれど、それまでのイメージが吹っ飛んでしまった。パティ・スミスやリチャード・ヘルのファッション・スタイルが好きだったけれど、彼らとも違う。黒いスーツでネクタイ姿の3人。ヴォーカル&ギターは若き日10代のポール・ウェラー(PAUL WELLER)!「これがジャムなんだ!!」っと画面に釘付けとなる。スリムな体型でカッコイイのだ。またお顔も実に美形であるので私はその日から「ポール・ウェラー」のファンとなったように想う。どんなギターをお持ちでどんな音楽を作られても、ポール・ウェラーの作品なので気になるという存在。実にミーハーなのですが、私の心が躍るのだから理屈などどうでもよいと想う。

私は白人音楽で育ったと想う。今も店主に比べてブラック・ミュージックの知識も希薄。「モータウン」という音楽を聴いてみようと想ったのはポール・ウェラーが影響を受けたと聞いて。カーティス・メイフィールドのアルバムを聴き感動できたのもポール・ウェラー経由のこと。ポール・ウェラーに興味を持てずに居たなら、今も聴いたことはなかったかもしれない。ボウイやルキノ・ヴィスコンティや耽美好きの私がポール・ウェラーに熱を上げる様を友人に「理解できない...」と云われた。きっとポール・ウェラーの「熱さ」のようなもの、基本にあるブラック・ミュージック的なものを強く感じ取られるからだろうと想った。けれど、ボウイだってルーツにはブラック・ミュージックは欠かせないけれど、私はボウイやポール・ウェラーが影響を受け、吸収して作られてゆく作品たちが好きなのであり、何よりも容姿が美しいことが私には大きなこと。なので、「理解できない」と云われても上手く説明することすら出来ずにただ「カッコいいから♪」ってトキメクことしかできないのだった。

「好きだ!」と想うことに音楽理論など無くても良いし、追求したければする。「カッコいいことは時にカッコ悪く、また、カッコ悪いことが時にカッコいい!」ことがある。その感じ方は人それぞれだろう。「好きだ!」と想うことを安易なイメージのみで否定された時ほど悲しいことはない。伝わらないから口籠ってしまう自分も情けないけれど。私は知らないことは知らないし、好きなことは好きを突き進むだけ。薀蓄は後から自然とやって来るので、そうしたことを含めて日々発見と学びの連続♪


※初めて観た映像はポール・ウェラーが高くジャンプするライヴだったのですがファッションは似ています。1977年のジャム(THE JAM)の名曲『IN THE CITY』です♪


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※当店は「ポール・ウェラー」ファンのお客様も多く、作品も多く扱っているのですが、登録が追いつかずに申し訳ございません。頑張って更新してまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします!!
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by musiclove-a-gogo | 2010-03-05 10:30 | NEW WAVE★ニュー・ウェーブ

『バイ・バイ・ベイビー(BYE BYE BABY)』ベイ・シティ・ローラーズと郷ひろみ(共に1975年)♪

懸賞 2010年 03月 03日 懸賞

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★永遠のアイドル!郷ひろみ(HIROMI GO)の1975年の12月に発売されたシングル『バイ・バイ・ベイビー』。原曲はベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)で共に1975年のヒット曲。この頃の私は小学生でまだひろみのLPは持っていなくてシングル盤は買って貰っていた。何年だったかな...毎年の人気投票の1位は郷ひろみって決まっていたのに、一度だけこのベイ・シティ・ローラーズに抜かれた事があった。それ程凄い人気だった。タータンチェックも大流行で知らないうちに私もチェックのスカートを穿いていた。「少女マンガと郷ひろみ」がその頃の私の宝物。秀樹好きの女の子と仲良くしていて、彼女とは高校が離れても時々遊んでいた。吉田まゆみさんの漫画が大好きな方で夏休みによく私の家にやって来ては一緒に音楽を聴いたり、私の好きな萩尾望都さまの漫画を交換したりして。その女の子がいつの日からかすっかり秀樹からベイ・シティ・ローラーズのファンとなっていた。中でもパット・マッグリンが大好きだったようで、色々雑誌などを見せてくれた。熱狂的で本当に色んなものをお持ちで読ませてもらったりした。私は一度も個人的にベイ・シティ・ローラーズのレコードを買ったことはないのだけれど、彼女のお陰で結構好きな曲もあったり。私はちょっとだけ在籍していたギター(ヴォーカル)のイアン・ミッチェルがメンバーの中では好きな方だった。可愛い少年っぽさで。でも、周りは凄い人気のようだけれど、私にはひろみを超える存在ではなかった。スコットランドのエジンバラ出身の外国のアーティスト数名に一時人気を抜かれても平気だった。ひろみは一人でその後も抜き返した(その後、また狩人という兄弟デュオに一度抜かれたけれど)。でも、今もHIROMI GOはスターであり続けているのだし。

私は好きなものの核は今も変わらない。でも、前述の女の子は「マイ・ブーム」らしき波がやって来ては熱狂する。凄い熱い想いで語ってくれていた。小学生の頃から長らくベイ・シティ・ローラーズのファンだったけれど、次はマッチ(近藤真彦)になって行った。私は洋楽を聴き始めていたけれど、歌番組は観ていて、ひろみとジュリーが好きだった。その女の子はとっても乙女ちっくで「恋は盲目」と云うけれどそんな感じ。でも、マイ・ブームが去るとあっさりしていた。そのお友達にデヴィッド・ボウイのお話をしてみても、マッチしか目に入らないらしい。私はそんな頃から今も然程変わってはいないように想う。もう大好きな心の住人たち、それも年月も経てゆくなかで、それらはさらに確固たるものとして存在しているようだ。広がってはゆくけれど、大好きな人(もの)を忘れることはできない。友人にしてもそうであまりお会いする機会が減ったとしても関係ない。好きな友人のことを忘れることはないし、嫌いになんてなったことはない♪


※ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンが歌う『Bye Bye Baby』♪


※郷ひろみの日本語でのカバー曲『バイ・バイ・ベイビー』(訳詞は安井かずみさん)です。ひろみヴァージョンの方が私はやっぱり好きです☆B面の『夢みる頃をすぎて』も名曲です♪


※ベイ・シティ・ローラーズの中で唯一ちょっと好きだったイアン・ミッチェル(後にロゼッタ・ストーンへ)在籍の頃の映像もございました♪

★こうして、懐かしく拝見でき、やはりひろみが一等素敵なアイドルだと再認識してしまいます♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-03-03 08:27 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみ『HIROMI ON STAGE(ヒロミ・オン・ステージ)』(1974年)には70年代ロックがいっぱい♪

懸賞 2010年 02月 16日 懸賞

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★郷ひろみ(HIROMI GO)の1974年のライヴ・アルバムである『ヒロミ・オン・ステージ(HIROMI ON STAGE)』。このアルバムを購入したのはリアルタイムではなく数年後になって。そして、まだ洋楽を好きになり始めの頃なので、歌われている曲の半分くらい(ひろみのヒット曲だけ)しか分らないのだった。このアルバムを去年とっても久しぶりに聴きたくなって聴いていた。すると!凄い楽曲たちであることに感動してしまった。

いまだにCD化されていないので、その古いレコードの中のカラー・フォト集や歌詞カードを手許に。『HIROMI ON STAGE』は1974年10月20日、大阪PLランドにて収録。歌・構成は郷ひろみ、演奏はアニメーション、プロデューサーは酒井政利。

先ずはオープニング(「オープニング・テーマ」)とだけ題されている45秒のインスト曲で始まる。これはレッド・ツェッペリンの『移民の歌』であった!カッコいい!といきなり感激。ひろみの登場で映像は発売されていないので、当時の光景など知らないのだけれど、勝手に浮かんでくる。そのライヴ会場に居られたひろみファンの声援はこのアルバムに欠かせないもの。あたかもその場を体験しているかのような、正しく臨場感というものがこのアルバムには在る!凄い!2日前に19歳になったばかりのひろみが語り歌う。エルトン・ジョンの『彼女はツイストを踊れない』(日本語でのカバー)。そして、当時の最新ヒット曲かつ歌謡曲史に残る大名曲である『よろしく哀愁』。もうファンの皆様の自然と一体化した声援(掛け声)が凄くワクワクしてしまう。『夢を破らないで』と筒美京平曲が続く。そして、『ジェット』なのであった!ポール・マッカートニーのウィングス時代の名曲の一つを英語でカバー。そして、『イマジネーション』も英語でカバー(グラディス・ナイト&ピップスの)。そしてA面ラストは『メリー・ジェーン』。B面に裏返し針を置くと『裸のビーナス』そして『モナリザの秘密』とひろみのヒット曲が続く。そして、『ザッツ・マイ・ガール』はオズモンズの曲を日本語カバー。次は先述のイントロがキンクスである『花とみつばち』、そして『ユタ』(オズモンズのカバーを英語で)と続く。ここ!!この原曲は今も未聴だけれどいい曲。さらにこの曲の寸前というか最初がなんと!なんと!デヴィッド・ボウイの『サフラジェット・シティ』で始まるというにくいアニメーション!そして、『君は特別』と『小さな体験』と岩谷時子&筒美京平によるひろみのヒット曲で終える。

実際のライヴは倍以上の時間があったと想うけれど、この貴重なライブ・レコーディングは凄いアルバムなのだと今の方が感動できる。それは、私も当時子供だった頃より聴いてきた音楽も随分増えているのだから。レッド・ツェッペリンもエルトン・ジョンもウイングスもデヴィッド・ボウイもオズモンズも知らなかったのだから。ましてや永遠のアイドルであるHIROMI GOと永遠のロック・カリスマであるデヴィッド・ボウイがこのライヴで繋がった。このHIROMIとボウイという基盤は揺るぎようの無いもの!他にも好きな音楽はいっぱいあるけれど、まったく浮気心は皆無である(女性アーティストたちの歌姫は別として)。そして、これはまだ定かではないけれど、多分この頃だったと想う...友人のお姉さんにひろみファンの方が居たので仲良く遊んでもらっていた。明星か平凡か何かだったと想うカラーでのひろみのページに「今年はデビッド・ボウイーに挑戦だ!」というような活字があったのを覚えている。ひろみが挑戦するというデビッド・ボウイーって誰だろう?って想った。なので、ボウイのお名前はひろみによって知ることとなったのである。そして、後にようやくボウイの映像と音楽に遭遇し、一気に洋楽熱は高まったのである。あんなに買っていた少女マンガをレコードに変えることが簡単にできた。ボウイの『ステージ』を買うまでは、持っていた洋楽は母に買って貰ったビートルズのボックスだけだったのだから♪

HIROMI ON STAGE - よろしく哀愁 - 1974年

SIDE A
1.OPENING THEME
2.YOUR SISTER CAN'T TWIST
3.よろしく哀愁
4.夢を破らないで
5.JET
6.IMAGINATION
7.MARY JANE

SIDE B
1.裸のビーナス
2.モナリザの秘密
3.THAT'S MY GIRL
4.花とみつばち
5.UTAH
6.君は特別
7.小さな体験

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-16 11:56 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

このレコードが好き!★思わず心がほっこりする愛しきジャケットたち♪

懸賞 2010年 02月 08日 懸賞

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★バリー・デヴォーゾン&ペリー・ボトキンJr./コマネチの祈り シャンタル・ゴヤ:CHANTAL GOYA ミシェル・フーガン(ビッグ・バザール):FUGAIN ET LE BIG BAZAR タコ:TACO アラン・シャンフォー:ALAIN CHAMFORT ザニーニ:ZANINI ポストカードのドラム猫/POSTCARD ブラマンジェ:BLANCMANGE アンリ・サルヴァドール:HENRI SALVADOR

「コマネチの祈り」は想い入れが強いです。この絵にあるようにあの小さな白い妖精コマネチのお姿が浮かびます。シャンタル・ゴヤは歌うお姉さんとして子供たちにも愛され続けたお方。ミッシェル・フーガンは大所帯の大将なのでお一人大きくなっていて愉快です。タコですが当時から大好きなのです。このジャケットの背景には外国のお方に不思議がられる日本人の食ともなっているあのタコの絵が描かれています。面白いなあと想います。アラン・シャンフォーはこのお写真が一等好きかもです。ザニーニはコメディアンでもありますので見ているだけでも愉快ですが音楽も好きです。スコットランドに良質ポップが多いのは有名ですが、私の世代ですとやはりこの「ポストカード」というレーベルは想い入れの強いレーベルであります。そのレーベルのシンボルのドラム猫もカワイイです。ブラマンジェは英国の80年代ユニットですが、ポップなメルヘン調のジャケット・アートに惹かれて購入したものでした。そして、御大アンリ・サルヴァドールです。愉快なジャケットはドンサカとあります。コメディアンだからふざけることもお得意ですが楽曲も良いのです。ただ面白いおじさまではなくて、本当に偉大なお方なのでまたサルヴァドールの膨大な楽曲たちのことは追々にと想います♪

※ジャケット愛好ですが、やはり楽曲も好きなものです。思わず心がにこやかになれる、そんなレコードたちです。登録作業をしながら、これからも時々『このレコードが好き!』を続けます♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-08 15:57 | ジャケットアート愛好

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