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『風が吹くとき』 監督:大島渚 原作:レイモンド・ブリッグス 主題歌:デヴィッド・ボウイ(1986年)♪

懸賞 2010年 04月 17日 懸賞

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風が吹くとき/WHEN THE WIND BLOWS
イギリス映画・1986年
監督:ジミー・T・ムラカミ 日本語監修:大島渚 原作・脚本:レイモンド・ブリッグス
音楽:ロジャー・ウォーターズ 主題歌:デヴィッド・ボウイ
声の出演:ジョン・ミルズ、ペギー・アシュクロフト声の出演(日本語吹替版):森繁久彌、加藤治子

★英国のイラストレーターであり児童文学作家であるレイモンド・ブリッグス(Raymond Briggs)の作品『風が吹くとき』(1982年刊行)の映画化。実写を交えたアニメーション映画で監督はジミー・T・ムラカミ。日本語版の監修・監督は大島渚で、主人公のジムの声は森繁久彌、ヒルダの声は加藤治子。主題歌はデヴィッド・ボウイでエンディング曲他をロジャー・ウォーターズが担当。その他にもジェネシス、ヒュー・コーンウェルなどの曲も使われていた。また、英語版での声優はジョン・ミルズ、ペギー・アシュクロフトと豪華。

私は最初は日本語版で鑑賞したもの。勿論、主題歌がボウイだということで観る使命を勝手に感じていたので。日本での公開は1987年。まだ米ソによる冷戦は終結していない時期だったと振り返る。日本はバブルな状況だった。ここ数日、また胃腸の調子が良くなくて不調な上に、何故だか「戦争」に関する作品にばかり遭遇している。この映画はそんな流れで意識的に観直そうと想って鑑賞した。当時の私と今の私では感じ方もかなり違う...。

お話は、ロンドン郊外の田園地帯で長閑な暮らしをしている老夫婦のジムとヒルダ。ある日、ラジオから「3日以内に戦争が起こる(爆撃される)。」というニュース。国から配給された「核戦争に生き残るための手引書」に従い、屋内にシェルターを作る。食料やお水、紙袋に砂なども用意して。そして、「ミサイルが発射された」というニュースを受け、干したままのお洗濯物が気になるヒルダをジムは急いでシェルターへ。爆撃後のお家の中も外も、周りの自然もすべて真っ黒に焼けてしまった。政府からの救援隊が来ると信じながら二人は放射能に侵され日に日に衰弱してゆく・・・。

柔らかな絵と語り。ジムは第二次世界大戦の折のことも忘れていないのでごっちゃになったりしながらも英軍の勝利を信じているし助けが来ることも信じている。その「核戦争に生き残るための手引書」というマニュアルを信じて行動していたのだけれど、終末へと向かう生とは?と考えさせられる。緊急事態での老夫婦の会話の数々、ヒルダが庭先でたんぽぽの綿毛をそおっと吹くと妖精やお花が舞う...ヒルダの妄想ながらそんなヒルダが私は好き。けれど、すべて焼け尽くされ二人は衰弱してゆく姿は悲しい。

ボウイはこの原作者レイモンド・ブリッグスの『スノーマン』(1978年)の映画化の折も、ナレーション担当と少し出演もされていた。久しぶりにYouTubeよりデヴィッド・ボウイの歌うタイトル曲の『風が吹くとき』のビデオクリップを。最後に小林克也さんの語りも聞けます♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-04-17 09:36 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『にんじん』 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 主演:ロベール・リナン 原作:ジュール・ルナール♪

懸賞 2010年 04月 04日 懸賞

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にんじん/POIL DE CAROTTE
1932年・フランス映画
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール 撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン
出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネイ、ルイ・ゴーチェ、クリスチアーヌ・ドール、コレット・セガル、マキシム・フロミオ、シモーヌ・オーブリ

★ジュール・ルナールの原作もジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画も大好きな『にんじん』。なので、原作と映画が結構頭の中で混合してしまうので覚え書き...。すっかり夫婦仲の冷めてしまった後に生まれた次男のフランソワは「にんじん」と呼ばれている。赤毛でそばかすの多い少年ゆえに。母親は実子でありながら、この少年にだけ、愛情を持てない不幸な女性。長男のフェリックスを非常に可愛がり、長女のエルネスチヌにも優しい。不思議な位に「にんじん」を目の敵にしているのは、夫との愛情とのバランスからかもしれない。原作は特に淡々と簡潔な文体で、かつ鋭敏な観察眼で描写される。この小説はジュール・ルナールの体験(半自伝的)からのお話らしい。

原作より出番の多い映画での少女マチルドとの場面が好き。「にんじん」ことフランソワとマチルドが結婚式ごっこをする場面。音楽を奏でるのは名付け親であるおじさん。このおじさんと少女マチルドは「にんじん」が好きだし彼の笑顔が見れる人たち。もう一人、女中アネットの存在も欠かせない。母親が少年を何度も打つ場面がある。「にんじん」の楽しみを次々と奪い取るし、彼にばかり用事を押し付ける。そんな様子を見兼ねてアネットは主人のルピック氏に真相を話す。これは正しいのだと思える。親が子を必要以上に体罰(折檻)を与えすぎると虐待となる。その様子を知る大人が見て見ぬふりをしてはならないと!村での人望は厚いルピック氏は家では存在感がなく、ろくに会話もしない。あの食卓風景がよく表現している。そんな家族をさらりと描く。ユーモラスにも想える軽妙さは素晴らしいのだけれど、終盤、「にんじん」は池で死のうと考える。少女マチルドに告げると、「池は汚ないし、冷たいわ」と。「結婚できないのは寂しいわ」と語るあの言葉にトキメク!なぜならば、小さなマチルドは”結婚”ということも、”死ぬ”ということも理解していない心で語るので。けれど、彼女に納屋で死ぬということを告げたので、マチルドはおじさんに話す。そして、ルピック氏は息子の死を救うことができた。何も分かっていない少女マチルドは天使のような存在である。二人が花冠をつけて遊ぶ場面はモノクロながら鮮やかに映る♪
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そして、ようやく父と息子の心が通じ合う。父は「フランソワ」と呼ぶ。「にんじんは死んで生き返ったんだ」と。フランソワは父が好きだったけれど、母親が大嫌いであることを告げる。すると、ルピック氏は「わしがママを好きだと思っているのか?」と。その言葉を聞いたフランソワの眼差しは輝き、笑顔が表れる。「これからは二人は仲間だ」とお食事をし、フランソワは「ルピック氏」ではなく「モン・パパ」と云った。当たり前のことに想うのだけれど、複雑なこうした環境は多々あるだろう。

フランソワ少年を演じたロベール・リナンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』や『舞踏会の手帖』にも出演されている。『シュヴァリエの放浪児』、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』は未見なのでいつか観てみたいと想う。けれど、22歳で死去されてしまった時代というのは運命なのか...。また、ルピック氏役のアリ・ボール、おじさん役のルイ・ゴーチェ共に素晴らしい俳優方であり、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の他の作品にも出演されている。※上の挿絵はフェリックス・ヴァロトンによるもの。

★ジュール・ルナール(Jules Renard:1864-1910)はジュウル・ルナアルとされているものもある。外国語の日本語表記は難しい。この自然主義文学とも作風は異なり、なんとも異色の作家と思えるジュール・ルナールの『にんじん』は私が生まれる以前から家の本棚に並んでいた。『少年少女世界文学全集』の「フランス編」の中に。私はというと、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『にんじん』を観たことで、この作家の原作とようやく一致した。ジュール・ルナールの『にんじん』が刊行されたのは1894年。児童文学の中にも入るけれど、年少の子供たちがそのまま読むとかなり怖い場面も多い。暗鬱であり残酷なのは執拗に折檻する母親の姿や無味乾燥な家族の情景だけではなく、にんじんことフランソワ少年の姿にも。作者であるジュール・ルナールの半自伝的な作品ということながら、ルナールは自らの少年時を美化するでもなく描いている。でも、それらの子供たちの姿は普通なのだとも思う。子供は純粋ゆえに残酷なことをしたり云ったりする。

1887年から1910年頃に執筆されたという膨大な『日記』がルナールの死後発表された。これはフランス文学史を少しばかり受講していた折に知ったこと。その日記の全貌は知らないけれど、ルナールの実の父親が病を苦に自殺されたこと、母親もその後井戸に落ちて亡くなっている(事故か自殺とも定かではないようだ)。こうした「事実は小説より奇なり」なことに時々遭遇してはゾクっとする。ルナールの描き方は淡々としていて簡潔。けれど鋭敏な洞察眼が魅力。その視線を見事に、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は脚色し映像化されたと思う。

にんじんを演じるロベール・リナンも素晴らしい!レジスタンスという時代にリナン自身は身を投じ22歳の若さで死に至る。それまでに、『にんじん』以外でもジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品の『我等の仲間』(1936年)、『シュヴァリエの放浪児』(1936年)、『舞踏会の手帖』(1937年)、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』(1935年)にも出演されていた。『シュヴァリエの放浪児』と『家なき児』は未見なので観てみたいと思っているけれど...。

私は今のところ、やはりフランス文学とフランス映画を多く読んだり観たりしてきたよう。”フランス”だからと目くじらを立てて読むのでもなく観るのでもない。そう云えば音楽もやはりフランスの音楽は好きである。意識しなくても気になり興味があるから心が向かうのだろう。長い歴史のフランスという国の残した文化遺産のようなものたちに。その中に、私の好きな「美」が山のようにあるのだから。知らないことだらけなので、まだまだ興味は尽きない。

そんなことで、このルナールの同時代に同じジュールという名の作家がお二人浮かぶ。ジュール・ヴァレス(Jules Valles:1832-1885)とジュール・ヴェルヌ(Jules Verne:1828-1905)である。それぞれ勿論趣は異なるけれど、ヴァレスは自伝小説を書いている。小説家でありパリ・コミューンの闘士でもあったというお方。また、ヴェルヌは最も有名かも知れない。『海底二万海里』(1870年)や『80日間世界一周』(1873年)など、並外れた科学知識と空想力、ドラマティックなお話は人間ドラマであり文明批判をも含むもの。ルナールにしてもヴェルヌにしても、児童文学作家でもあるけれど、其処に留まるものではない。世界中の多くの優れた児童文学及び作家がそうであるように。
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by musiclove-a-gogo | 2010-04-04 07:49 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『陸にあがった人魚のはなし』 著:ランダル・ジャレル 絵:モーリス・センダック☆人間と暮らす人魚♪

懸賞 2010年 03月 24日 懸賞

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★ランダル・ジャレル(Randall Jarrell:1914年5月6日~1965年10月14日)は、アメリカのナッシュビル出身の詩人、童話作家、小説家、文芸評論家...というお方。私はまだ少しの作品しか知らないけれど、やはり童話あるいは児童文学という流れの中で知ったお方なので、『陸にあがった人魚のはなし』(1965年)や『詩のすきなコウモリの話』(1964年)から読み出した。前述の「人魚」繋がりで『陸にあがった人魚のはなし』のお話を少し。

『The Animal Family』というのが原題であることは読み終えるととても大きな意味を持つものに想えた。大まかなお話は、ひとりで丸太小屋で暮らす狩人が、ある冬の夕暮れに海辺の岩陰で人魚と出会う。狩人と人魚は一緒に陸の上で暮らし始める。そこに、小熊、山猫、人間の少年が彼らと共に暮らし始める。彼等の会話はリアリスティックでありながらも不思議な魔法的なものも感じる。挿絵のモーリス・センダックの絵がお話をさらに彩るもので素敵です。彼等の特質を変容させることもなく、妙な淡々としたテンポで彼等の家族としての強さに何か心を揺さぶられる。人魚が喋り、陸の上で人間と一緒に暮らすということはおとぎ話ではあるのだけれど、人間と動物が共存し合うことの尊さを感じる。また、人魚(マーメイド)は妖精でもあると私は想っている。

人魚は、自分は女性でもないし、狩人は男性でもない。また、自分は「動物」ではない、狩人と少年は「人間」ではないと考える。なぜなら、そのようなことは皆副次的な問題だから。それでも、人魚は「海」であり、狩人と少年は「陸」であるという決定的な違いが残る。なので、人魚は陸で暮らすことになった。

でも、陸の上ではちがうわ。嵐だって、陸の上では本当だわ。木の葉は赤くなるし、木の枝は冬じゅう裸だわ。ものごとがみんな変わるし、いつも変わっていくもの。わたしはここにいて、どこにも泳いでいかなくてもいいわ。ここを立ち去るとか忘れるとかすることもない。そう、陸はずうっといいわ!ずうっとすてきよ!

このランダル・ジャレルの描く究極の家族の姿が私には美しく響く。狩人と人魚は夫婦でもないし、動物たちは養子でもない。夫婦という形もなければ親と子という形でもない。けれど、狩人と人魚は小熊の親となる。性的なものもどこにも無く、血縁関係もなく、それでも「家族」と成り得る。人魚という存在自体が現実的なものではないのだけれど、それでも、私は何の違和感も無くこの不思議なファンタジー世界に魅了されながら読み終えた。そして、読後、こうして今も余韻を残している。多くの優れた物語はそうだろうけれど、狩人と人魚のロマンスのお話ではなく、『The Animal Family』という視点に幻想と現実世界を繋ぐものとしてとても興味深いものに想うのです♪

※私の好きな文学やファンタジックなご本のことも、今後こちらのカテゴリー『薔薇色ファンタジー★本の小部屋』にて追々感想や覚え書きなどを記しておこうと想います。作品によっては『クララの森・少女愛惜』とかなり連動するのですが、どちらも宜しくお願いいたします!
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by musiclove-a-gogo | 2010-03-24 11:36 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ラスムスくんの幸せをさがして』(1981)監督:オル・ヘルボム 原作:アストリッド・リンドグレーン

懸賞 2005年 08月 13日 懸賞

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ラスムスくんの幸せをさがして:RASMUS PA LUFFEN
1981年 スウェーデン映画 監督:オル・ヘルボム 
原作・脚本:アストリッド・リンドグレーン 『さすらいの孤児ラスムス』
出演:エリック・リンドグレーン、アラン・エドワール、エミー・ストーム、パル・スティーン

★最近は戦後60年ということで、戦争映画の放映が多くドイツの「Uボート」やまたまたアラン・ドロンも出演の「パリは燃えているか」...、そして好きな文芸ものや歴史劇などを観ていた。そんな私ながら、実は少女や少年が主役の映画も大好きなので観ている。

観ようと録画したまま未見だった「ラスムスくんの幸せをさがして」に偶々TVで遭遇。長閑な風景と小さな少年少女たち。しかし、この子供達はみんな孤児で引き取ってくれる里親が出来る日を待っているのだ...でも、大抵は巻き毛の女の子が優先される。そんなある日、この映画の主人公ラスムス君はこっそりと孤児院を抜け出してしまう。

そして、あるおじさんと出会う。自称、風来坊オスカル!(オスカルという名にドキっとし、そして、はて~?このおじさん、とても見覚えがある...)そう、このオスカル役のアラン・エドワールはベルイマンの「処女の泉」やタルコフスキーの「サクリファイス」に出ていた渋い存在感を残す俳優さんだった。そんなちょっと忘れていた記憶が呼び戻されたりするので愉しい。

9歳(少年期として好きな頃♪)のボサボサのブロンド少年ラスムス君もオスカルおじさんと放浪を共にしている中、大農園のご夫婦の息子にしてもらえるというチャンスが訪れる。でも、ラスムス君はお金持ちの息子になるよりもオスカルおじさんと一緒の放浪を選ぶ。おじさんはアコーディオンを弾き歌う。貧乏でも人生を謳歌しているのだ。大人の世界や社会が少し見えかける年頃。この映画はラスムス君の視点から描かれているので、何とも観ていて気持ち良くほんわかとした気分になれるものだった。

放浪癖のあるオスカルおじさんには実は奥さんが居て家もある。ところが、少しお仕事をしてはふらり~と何処かへ出かけてしまうのだ。そんな夫を呆れながらも理解して家を守る奥さんも素敵だと思った。「また旅に出ような。」と嬉しそうにおじさんはラスムス君に語り歌う。ラスムス君にとって、とても素敵な両親が出来たのだ。

原作はスウェーデンの児童文学で有名なアストリッド・リンドグレーンの「さすらいの孤児ラスムス」で、アストリッド・リンドグレーンはこの映画の脚本も担当している。同じく原作と脚本を担当した「やかまし村の子どもたち」や「やかまし村の春夏秋冬」も大好き!子供向けの為だけの作品ではない微笑ましさが心地よいのだと思う。
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by musiclove-a-gogo | 2005-08-13 12:05 | 音楽・映画・文学★美しい関係

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