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『美女と野獣』(1946年)監督:ジャン・コクトー原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)♪

懸賞 2010年 08月 05日 懸賞

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美女と野獣/LA BELLE ET LA BETE
1946年・フランス映画
監督・脚本:ジャン・コクトー 製作:アンドレ・ポールヴェ 原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人) 撮影:アンリ・アルカン 美術・衣装:クリスチャン・ベラール 音楽:ジョルジュ・オーリック 技術顧問:ルネ・クレマン 出演:ジャン・マレー、ジョゼット・デイ(ジョゼット・デエ)、マルセル・アンドレ、ミシェル・オークレール、ミラ・パレリ

★ジャン・コクトーは大好きなのですが、初めて観たジャン・コクトー監督の映画はこの『美女と野獣』でテレビ放送でのこと。中学生頃の事で、カラー世代ゆえにモノクロームの映像に今ひとつ馴染めないでいたのだけれど、偶然にも近い時期に衝撃的なモノクロ映画に出会うことができた。まだそれらの作品をひとつも取り上げてはいないのでそろそろ(すべてフランス映画)。ジャン・マレーというギリシャ彫刻のような美男の俳優を知ったのもジャン・コクトー作品からである。お話は子供の頃に読んでいたので大筋は知っていたのだけれど、1時間半程の間、テレビ画面に吸い込まれていたように想う。映像の魔術にすんなり魅了されてしまった。その時に1946年の映画だということなんて知らない。そんな古い映画を観ているとも感じず「美」に圧倒された!というしかない。

原作の『美女と野獣』は、イギリスで1757年にマダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が『子どもの雑誌』あるいは『子どもたちの宝庫』に纏めたものの中に収められたお話。前年の1756年にフランス語で出版されていたそうだ。ボーモン夫人は1748年から1761年の帰国までの英国滞在、とりわけ子供たちの教育事業に打ち込んでいた時期であり、40冊程の作品を書き上げ、後に傑作と謳われる作品たちは、このロンドン滞在時に書かれたものである。このお話は「妖精物語」とも云える「おとぎ話」。この原作をジャン・コクトーは自ら脚本を手掛け、とんでもなく美しい、幻想的かつ優美な詩的映画として世に出されたもの。

最強のスタッフが揃っていることに今だと気づく。技術顧問あるいは撮影アシスタント的な役割をルネ・クレマンが担当している。あの『禁じられた遊び』を監督する以前の1945年(この年に『美女と野獣』の撮影開始)。また、美女ベル(ジョゼット・デイ)に求婚する乱暴者の青年アヴナン、野獣、王子の三役をこなすジャン・マレー。コクトーはこの美しきジャン・マレーのために構想を練ったと云われるもので、アンリ・アルカンのカメラワークがさらにマレーの美を際立たせている。コクトーはアンリ・アルカンに「画家フェルメールの光の使い方で撮ってほしい」と注文したという。そして、ベルや野獣の豪奢な衣装を始め、神秘的でファンタジックな野獣のお城などの美術担当はクリスチャン・ベラール。以前からコクトーの舞台美術なども担当してきた画家であり、ファッション・デザイナーでもあるコクトーの旧友である。さらに、ジョルジュ・オーリックの音楽も私はいつも相性の良さを感じているお気に入りの音楽家のお一人だし、ベル役のジョゼット・デイの神々しさも焼きついたまま。ジャン・マレーとジョゼット・デイは『恐るべき親達』(1948年)でも再び共演された。

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~魔法がとかれ元の姿に戻った美しい王子役のジャン・マレーです。嗚呼、麗人♪~


私はボーモン夫人の原作もジャン・コクトーの映画も大好きなので、かなりの偏愛作品について今想いを軽く綴っています。ディズニー映画にもなっているし、お話は多くのお方がご存知だと想いますが、映画の簡単なあらすじも記しておきます。

【あらすじ】
三人の娘を持つ商人が旅の途中、無人の古城に迷い込む。庭園のバラの花を摘むと、野獣が現れ、花盗人の命をもらうと脅したが、娘のうち一人が父の身代わりになるなら許すと言う。家に帰って父が話すと、末娘のベルが城行きを志願。会ってみれば野獣は心優しかった。父の病を知って帰宅を望むベルを家に帰し、一週間して戻らなければ悲しみに自分は死んでしまうと言う。一方、ベルを慕うアヴナンは野獣を殺し、その宝を奪おうと森に入る。ベルは魔法の鏡に彼女の不在を嘆く野獣を見て、急ぎ森に帰った。城に侵入したアヴナンは彫像に背中を射抜かれ野獣と変わり、逆に野獣が彼そっくりの王子となった。ベルと王子は見つめ合い抱擁し、そのまま天高く舞い上がり飛んで行った……。(引用:allcinemaの解説より)

(追記)
★「大好きな映画監督VOL.4 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU」を『BRIGITTE通信★美とロマンの憂愁庭園』にて、更新いたしました♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-08-05 19:17 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『にんじん』 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 主演:ロベール・リナン 原作:ジュール・ルナール♪

懸賞 2010年 04月 04日 懸賞

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にんじん/POIL DE CAROTTE
1932年・フランス映画
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール 撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン
出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネイ、ルイ・ゴーチェ、クリスチアーヌ・ドール、コレット・セガル、マキシム・フロミオ、シモーヌ・オーブリ

★ジュール・ルナールの原作もジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画も大好きな『にんじん』。なので、原作と映画が結構頭の中で混合してしまうので覚え書き...。すっかり夫婦仲の冷めてしまった後に生まれた次男のフランソワは「にんじん」と呼ばれている。赤毛でそばかすの多い少年ゆえに。母親は実子でありながら、この少年にだけ、愛情を持てない不幸な女性。長男のフェリックスを非常に可愛がり、長女のエルネスチヌにも優しい。不思議な位に「にんじん」を目の敵にしているのは、夫との愛情とのバランスからかもしれない。原作は特に淡々と簡潔な文体で、かつ鋭敏な観察眼で描写される。この小説はジュール・ルナールの体験(半自伝的)からのお話らしい。

原作より出番の多い映画での少女マチルドとの場面が好き。「にんじん」ことフランソワとマチルドが結婚式ごっこをする場面。音楽を奏でるのは名付け親であるおじさん。このおじさんと少女マチルドは「にんじん」が好きだし彼の笑顔が見れる人たち。もう一人、女中アネットの存在も欠かせない。母親が少年を何度も打つ場面がある。「にんじん」の楽しみを次々と奪い取るし、彼にばかり用事を押し付ける。そんな様子を見兼ねてアネットは主人のルピック氏に真相を話す。これは正しいのだと思える。親が子を必要以上に体罰(折檻)を与えすぎると虐待となる。その様子を知る大人が見て見ぬふりをしてはならないと!村での人望は厚いルピック氏は家では存在感がなく、ろくに会話もしない。あの食卓風景がよく表現している。そんな家族をさらりと描く。ユーモラスにも想える軽妙さは素晴らしいのだけれど、終盤、「にんじん」は池で死のうと考える。少女マチルドに告げると、「池は汚ないし、冷たいわ」と。「結婚できないのは寂しいわ」と語るあの言葉にトキメク!なぜならば、小さなマチルドは”結婚”ということも、”死ぬ”ということも理解していない心で語るので。けれど、彼女に納屋で死ぬということを告げたので、マチルドはおじさんに話す。そして、ルピック氏は息子の死を救うことができた。何も分かっていない少女マチルドは天使のような存在である。二人が花冠をつけて遊ぶ場面はモノクロながら鮮やかに映る♪
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そして、ようやく父と息子の心が通じ合う。父は「フランソワ」と呼ぶ。「にんじんは死んで生き返ったんだ」と。フランソワは父が好きだったけれど、母親が大嫌いであることを告げる。すると、ルピック氏は「わしがママを好きだと思っているのか?」と。その言葉を聞いたフランソワの眼差しは輝き、笑顔が表れる。「これからは二人は仲間だ」とお食事をし、フランソワは「ルピック氏」ではなく「モン・パパ」と云った。当たり前のことに想うのだけれど、複雑なこうした環境は多々あるだろう。

フランソワ少年を演じたロベール・リナンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』や『舞踏会の手帖』にも出演されている。『シュヴァリエの放浪児』、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』は未見なのでいつか観てみたいと想う。けれど、22歳で死去されてしまった時代というのは運命なのか...。また、ルピック氏役のアリ・ボール、おじさん役のルイ・ゴーチェ共に素晴らしい俳優方であり、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の他の作品にも出演されている。※上の挿絵はフェリックス・ヴァロトンによるもの。

★ジュール・ルナール(Jules Renard:1864-1910)はジュウル・ルナアルとされているものもある。外国語の日本語表記は難しい。この自然主義文学とも作風は異なり、なんとも異色の作家と思えるジュール・ルナールの『にんじん』は私が生まれる以前から家の本棚に並んでいた。『少年少女世界文学全集』の「フランス編」の中に。私はというと、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『にんじん』を観たことで、この作家の原作とようやく一致した。ジュール・ルナールの『にんじん』が刊行されたのは1894年。児童文学の中にも入るけれど、年少の子供たちがそのまま読むとかなり怖い場面も多い。暗鬱であり残酷なのは執拗に折檻する母親の姿や無味乾燥な家族の情景だけではなく、にんじんことフランソワ少年の姿にも。作者であるジュール・ルナールの半自伝的な作品ということながら、ルナールは自らの少年時を美化するでもなく描いている。でも、それらの子供たちの姿は普通なのだとも思う。子供は純粋ゆえに残酷なことをしたり云ったりする。

1887年から1910年頃に執筆されたという膨大な『日記』がルナールの死後発表された。これはフランス文学史を少しばかり受講していた折に知ったこと。その日記の全貌は知らないけれど、ルナールの実の父親が病を苦に自殺されたこと、母親もその後井戸に落ちて亡くなっている(事故か自殺とも定かではないようだ)。こうした「事実は小説より奇なり」なことに時々遭遇してはゾクっとする。ルナールの描き方は淡々としていて簡潔。けれど鋭敏な洞察眼が魅力。その視線を見事に、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は脚色し映像化されたと思う。

にんじんを演じるロベール・リナンも素晴らしい!レジスタンスという時代にリナン自身は身を投じ22歳の若さで死に至る。それまでに、『にんじん』以外でもジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品の『我等の仲間』(1936年)、『シュヴァリエの放浪児』(1936年)、『舞踏会の手帖』(1937年)、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』(1935年)にも出演されていた。『シュヴァリエの放浪児』と『家なき児』は未見なので観てみたいと思っているけれど...。

私は今のところ、やはりフランス文学とフランス映画を多く読んだり観たりしてきたよう。”フランス”だからと目くじらを立てて読むのでもなく観るのでもない。そう云えば音楽もやはりフランスの音楽は好きである。意識しなくても気になり興味があるから心が向かうのだろう。長い歴史のフランスという国の残した文化遺産のようなものたちに。その中に、私の好きな「美」が山のようにあるのだから。知らないことだらけなので、まだまだ興味は尽きない。

そんなことで、このルナールの同時代に同じジュールという名の作家がお二人浮かぶ。ジュール・ヴァレス(Jules Valles:1832-1885)とジュール・ヴェルヌ(Jules Verne:1828-1905)である。それぞれ勿論趣は異なるけれど、ヴァレスは自伝小説を書いている。小説家でありパリ・コミューンの闘士でもあったというお方。また、ヴェルヌは最も有名かも知れない。『海底二万海里』(1870年)や『80日間世界一周』(1873年)など、並外れた科学知識と空想力、ドラマティックなお話は人間ドラマであり文明批判をも含むもの。ルナールにしてもヴェルヌにしても、児童文学作家でもあるけれど、其処に留まるものではない。世界中の多くの優れた児童文学及び作家がそうであるように。
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by musiclove-a-gogo | 2010-04-04 07:49 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ビリティス』(1977)監督:デヴィッド・ハミルトン音楽:フランシス・レイ原作:ピエール・ルイス♪

懸賞 2010年 03月 04日 懸賞

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★ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』を原作に、脚本はカトリーヌ・ブレイヤが担当している。カトリーヌ・ブレイヤというと女性監督でもあり『本当に若い娘』が浮かぶ。とても好きな作品でもないけれど少女や思春期を扱った作品は気になるので観てしまう。この映画『ビリティス』が好きかと尋ねられたなら「好き!」と即答する。英国ロンドン出身のファッション・カメラマンとして既に有名だったデヴィッド・ハミルトンの映画初監督作品。恋愛関係にもあった美しいモナ・クリステンセンを重要なメリサ役で登場させている。主人公の16歳の少女ビリティス役には当時20代半であったパティ・ダーバンヴィル。アメリカ出身の女優さまで主役はこのビリティス役しか知らない。脇役では70年代~80年代の作品で幾つか観ているけれど、最近は全く知らない。冒頭から前半辺りまでただただうっとり♪とソフト・フォーカスな美麗な映像、寄宿舎の少女たちの可愛らしさ、お別れの日の舞台で台詞を言えないビリティス、お花の冠にギリシャ神話の乙女たちのような白いお衣装、水色の制服と白いソックス...流石に隅々まで繊細な拘りを感じさせるもの。少女同士の戯れの中、カメラを持った青年ルカに恋をするのだけれど、その気持ちには戸惑いがある。思春期の少女の性に対する恐怖心というのか、男性への思慕と同時に抱く気持ちなのだ。お話のストーリーよりもその時期の少女の心のひだを美しい映像で綴る。

ルカ役はデビュー作であるベルナール・ジロドー。実は結構好きな男優さま!知ったのはダニエル・シュミット監督の『ヘカテ』を劇場でドキドキしながら観た時。それ以降『リリィ』までほとんど追っている、何故だか。しかししかし!!ここからは多くの『ビリティス』の映画がお好きなお方と観る箇所がズレているようなのだ。なぜなら、謎の美青年ニキアスとして大好き!!なマチュー・カリエールが登場するので☆もう可愛い少女たちも軽く吹っ飛んでしまう位に大好きな男優さま。いつから好きかというと(訊かれてもいないけれど)、これまた大好きなデヴィッド・ボウイさまが当初演じる予定だった『エゴン・シーレ』を観た時から。リバイバル上映も含めると3度劇場で観ている。そして、可能な限り出演作品は追っている。ベルナール・ジロドーとは後に『地獄の暗号指令』でも再び共演している。その中では主人公はベルナール・ジロドーで、マチュー・カリエールは上司の役だった。ニキアスも両側に男性を侍らせて素敵に登場される役柄だったけれど、ここでもゲイの役(他にもあるけれど)だった。私なりに今もこれからも色々な映画を観続けると想うけれど、このような男優さまは他にはおられない!ヘルムート・バーガーさまの美しさとも違う。知的で繊細すぎる程!容姿のみならずお声も好き。オーバーアクションも知らない。最近は流石にお年を召され主役が減ったけれど、まだ現役で嬉しい。あの冷たい美麗さはどんな役柄でも絵になるのだ。お名前が書かれてあれば観たいと想う男優さまを「男優館」で少しずつ挙げているのだけれど、好きな男優さまというと必ず指折りに入るお方でとっても大好きなのだ。データを調べる折にチェックさせて頂くIMDBというデータベースに『欲望の華』があったけれど、ウィレム・デフォーとレナ・オリン目当てで観たけれどマチュー・カリエールのお姿はなかった...おかしいなあ?と想い再見したけれどやはり出演されていなかった。かと想うと、あまり観たいと想っていなかった『嵐の中で輝いて』に出演されていると知り観るとほんの一瞬、素敵なお姿がリーアム・ニーソンと一緒にドイツ人将校の役で出演されていた。エンドロールで上の方にお名前があったので、見逃していたのかともう一度観てみたけれど、やはりほんの一瞬だけのご出演だった。こんな調子ですっかりと『ビリティス』のお話から逸れ、マチュー・カリエールのお話がまだまだ続いてしまう私♪

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『ビリチス(ビリティス)の歌』 ピエール・ルイス:PIERRE LOUYS (訳:鈴木信太郎)
★19世紀末から20世紀初頭に生きたピエール・ルイス(1870~1925)。以前、耽美派小説を読み耽っていた時期がある。大好きな澁澤龍彦氏の作品群に浸り、生田耕作氏が推奨されるものや翻訳された作品の中でこのピエール・ルイスというフランスの高踏派詩人として、また耽美派作家が気になり作品を幾つか読んだ(絶版で未読のものもある)。最初は『女と人形』(生田耕作コレクション)として。まだ80年代の10代の折のこと...そして、ルイス・ブニュエルの遺作『欲望のあいまいな対象』の映画を観たのも近い時期。そして、すっかりブニュエルにハマる!当時ビデオの定価は高かったのだけれど幾つか購入した(今も大好きな映画たち)★また、これらの映画のお話や感想も追々に(長生きしなくては果てしない)♪そして、この映画化の際に邦題が改定されて出版されたことを知る。そして、今度は文庫で読み再読していたばかり。翻訳は飯島正氏のもの。『私の体に悪魔がいる』と言うものや『女とあやつり人形』という邦題もある。さらに後に成りマレーネ・ディートリッヒの『西班牙狂想曲』も原作は同じだと知る。他にも映画化されているので、このピエール・ルイスの小説の存在の大きさを想う。今の感じではピエール・ルイスの作品ではこの作品が一等好きなのかもしれない。

でも、それ以前に出版されていた散文詩集の『ビリチスの歌』(1894年)。偶然は必然なのだろうなあ~と想えるのは、この時期の私はかなり読書時間が一日の比重として大きく、これらのフランス文学や神話や妖精に関する御本たちを毎日読んでいた。そして、音楽熱も高まっていた時期でもありアルバイトのお給与を頂くとたちまちに消えてゆくのだった。二束三文で古本屋さんに売ってしまって後悔しているものもあるけれど、今も私の好きな大切な世界にそれらの存在は無くてはならないものなのだと痛感している。随分年月は経てども変らない好きな世界を想うと幸せなのだ。また、今もまだまだそんな人生の過程なので、観たり読んだり聴いたりお話したりすることは、私の心の糧となりさらに深まるのだろう。”好き”という言葉は安易に使いすぎて自分でもはて~?と想うことがよくある。でも、私の好きなものたちの中でも、おこがましい様だけれど”好き”という感覚から”無くてはならないもの”、あるいはずっと胸に抱きしめているもののような気持ちになれることが嬉しい☆

『ビリチスの歌』は古代ギリシャに魅せられ続けたピエール・ルイスの架空の物語。たいそう巧妙なので読んでいるとすっかりまるで”ビリチス”という女性が神話の世界に存在していたと想ってしまうのだ。なので、おかしな具合になるのだけれどこういうロマンティックな幻想は好きなので愉しい。順序からすると、先ずピエール・ルイスの『ビリチスの歌』(訳:鈴木信太郎氏)、そして、フランシス・レイが映画『ビリティス』の音楽を担当したのでそのレコードでサントラを聴いた(正確には母が持っていたポール・モーリアの『映画音楽のテーマ集』で先に聴いていたので、このお花の冠姿の少女たちのお写真はハミルトンのものとも知らずに可愛い!と見ていたのだと後に判明)。そして、映画はずっと後になって観ることができた。デビッド・ハミルトンの長編映画としての第一作に当るものながら、版権の問題なのか他の作品はDVD化されているけれどこちらはまだ...『デヴィッド・ハミルトンBOX』として発売して下さると嬉しいなあ♪と、今は最初に発売された『ビリティス』と、後に『柔らかい肌 禁じられた幼性』(『ビリティス』で良いではないかと想うけれど)と改題され発売されたビデオを幾度か観ている。けれど、原作の方がさらに好きであるということは今も変らない。挿絵も好きだし、何よりもそれらの詩たちの世界が大好き!なので関連する作品も読み比べてみたりしている。とりわけお気に入りの詩篇たちは訳者も様々とあるので、また少しずつと想う。

この『ビリチスの歌』の主人公ビリチス(ビリティス)は先述のギリシャの女性詩人サッポー(サッフォー)の存在を識っていた(ビリチスの誕生は紀元前6世紀初頭とされている)。また、父の存在を知らぬ少女ビリチスは同じ年頃の少女ムナジディカとの悲歌を30篇程残している。彼女は美徳も悪徳も備えていたけれど、美徳しか知りたいとは思わないとも(全てピエール・ルイスによる創作なのに)。そして、年老いたビリチスが幼き少女時代の清純、成年期の濃艶な同性愛、後期の頽廃した遊女生活を回顧し、思い出を伝記として綴ったもののようなお話。まるでギリシャの女流詩人ビリチスがサッポーのように存在したかのように想えてしまう...実に素晴らしい☆

ささやかなこの古代恋愛の書は
未来の社会のうら若い女性たちに
恭々しく献げられる

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※この絵は、ピエール・ルイスと同じ時代を生きたハンガリー生まれの画家ウィリー・ポガニー(1882~1955)の『ビリティスの歌』(1926年)より♪

『人形』 ピエール・ルイス 『ビリティスの唄』より 訳:伊東淑子 イラスト:宇野亜喜良

『人形』

わたしは彼女に人形を一つ与えた
ばら色の頬をした蝋人形
その腕は 小さな釘でとめられて
脚はといえば 折りたためる

わたしたちが一緒にいるとき
彼女は人形を 二人の間に寝かせる
それは ふたりの子ども
夜ともなれば 彼女はその子を揺りかごであやし
寝かせるまえに 乳房をふくませる

彼女は人形に 小さなテュニックを三枚織ってやった
そして アフロディテの祭りには
宝石をふたりで贈った
花束も添えて

彼女は人形の貞節に気を配り
一緒でなければ 外へも出さない
とりわけ 太陽の光にはあてさせない
小さな人形が 蝋の雫になって溶けるから

★19世紀末のまだ若き才人ピエール・ルイスが書いたギリシャの女流詩人ビリティス。いまだに巧妙なトリックにかかったままであったりする私。しかし、これはピエール・ルイスの翻訳でもなく偽書であり、架空の物語。でも、そのお話は21世紀を生きる私が愛する世界であるということに我ながら慄く!お人形を愛する気持ちと少女の同性愛の瞬。その後の悲痛な唄もあるけれど、この訳は好きなもののひとつ。表紙や挿絵が宇野亜喜良氏であったこと、翻訳者の中に女優の岸田今日子さんのお名前があったもので飛びついた御本。古い翻訳の雰囲気がより好きではあるけれど、この御本も時折取り出して読んでいる。ああ、少女ムナジディカも愛おしい☆

※『ビリティス』というテーマはとても大好きで広がってゆく。まだまだ追記予定なのですが、今までに書いた関連するものを纏めました。自分で、何を書いたか、書いていないのか...とよく分からないもので。読み返すと修正したい箇所もありますが、その時の想いということでほぼそのままです。

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by musiclove-a-gogo | 2010-03-04 11:25 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ノートルダムのせむし男』監督:ジャン・ドラノワ脚本:ジャック・プレヴェール原作:ヴィクトル・ユゴー

懸賞 2009年 06月 17日 懸賞

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ノートルダムのせむし男/NOTRE-DAME DE PARIS
1956年・フランス映画
監督:ジャン・ドラノワ 脚本:ジャック・プレヴェール、ジャン・オーランシュ 原作:ヴィクトル・ユゴー 音楽:ジョルジュ・オーリック 出演:アンソニー・クイン、ジーナ・ロロブリジーダ、アラン・キュニー、ジャン・ダネ、ダミア、マリアンヌ・オズワルド、ボリス・ヴィアン、ヴァランティーヌ・テシエ

★フランス・ロマン主義から想い巡りある古い映画を観返していた。1956年のジャン・ドラノワ監督の『ノートルダムのせむし男』。幾度も映画化され、バレエやアニメにもなっている名作。原作の『ノートル=ダム・ド・パリ 1482年』の作者はヴィクトル・ユゴー。フランス・ロマン主義を引っ張っておられたお方。『レ・ミゼラブル』以前の歴史小説でもあるけれど、”ロマン派”と言えどもフランスの場合はちょっと異なる。簡単な時代背景として、フランス大革命からナポレオン帝政、王政復古と目まぐるしく変容した社会情勢。革命と戦争の相次ぐ当時のフランス。文学者たちは既成の価値観に疑問を抱き、異議を唱え、”人間とは何か”と再び問い直し始める。そうして、ロマン主義文学運動も生まれたようだ。今も私はいつも思い葛藤することでもあるけれど、合理主義的な考えでは解決できない人間というもの。不合理、不条理なものを見つめ、幻想文学へとも誘う。ヴィクトル・ユゴーの描いた『ノートル=ダム・ド・パリ』は1831年。けれど、小説の中では七月革命に沸き立つパリの民衆を中世の世界に置き換えている。ゴチック(ゴシック)建築の華であるパリのノートルダム寺院を舞台に、暗黒の中世社会と群集たちを生き生きと描いている。真実の愛、高貴な魂とは・・・。

原作と映画の大筋は同じだけれど、私はジャン・ドラノワとジャック・プレヴェールによるコンビ作品を贔屓しているのでアメリカ映画やアニメ映画も観たけれど(未見作も多い)、やはりこの1956年版のフランス映画が特に好き。生まれつき骨格の奇なる醜い男性カジモド(アンソニー・クイン)は親に捨てられノートルダム寺院の鐘つき男として成長していた。美しく艶やかに躍り歌うジプシーの娘エスメラルダ(ジーナ・ロロブリジーダ)は民衆を魅了するだけではなく、聖職者フロロ(アラン・キュニー)の心を捉えてしまった。このフロロのかなり屈折した感情表現も素晴らしい!王室親衛隊長のフェビュス(ジャン・ダネ)は美男だが婚約者のいる身ながらエスメラルダとの逢引きをする不実な男性でもある。けれど、エスメラルダはこのフェビュスに恋をしている。嫉妬に狂うフロロはカジモドを利用してエスメラルダを誘拐させたりもする。名場面のひとつ!群集の前で両腕を後ろに繋がれ拷問を受けるカジモド。彼は耳も不自由で醜い容姿ながら心は美しく優しい。嘲笑の中、カジモドは”水をくれ”と懇願するが誰一人聞く耳すら持たない。そこにエスメラルダが現れ彼にお水を飲ませてあげる。カジモドは初めて優しさを体感したのではないだろうか。そして、この優しく美しい娘に心惹かれてしまう。しかし、主にこの4人の感情と絡み合いは上手くはゆかない。エスメラルダとフェビュスの逢引きを阻止しようと付けまとうフロロはフェビュスを刺して逃げる。彼の死は免れたけれど、その罪はエスメラルダに着せられる。エスメラルダをカジモドは助け出し寺院にかこまう。エスメラルダはようやく彼の美しい心に気づくのだけれど、心は美男のフェビュスにある。結局は悲しいエスメラルダの死(絞首刑)を知ったカジモドは彼女に寄り添うように自らの命を断つ。幾年か経て、その二人の遺骨は共に灰となる...。

均整のとれた美を古典主義とするのなら、美男の騎士フェビュスだろう。王権の象徴でもある。対して醜い怪奇なカジモドこそ、歪なゴシック建築の神秘の美。グロテスク美学である。カジモドはその象徴的存在であり、生命力あふれる民衆の力でもある。また、聖職者フロロは教会権力の象徴なのだろう。美しい娘エスメラルダを巡るこの図式はフランスの権力闘争の縮図とも云える。エスメラルダを取り戻そうとする民衆たちはノートルダム寺院を襲う。それは七月革命というパリの社会を重ねている。ユゴーは当時のフランス社会を歴史小説の中に潜入させている。そうした事柄が今だと少しは分かるようになり、さらに歴史と文学、そして映画の融合する中で私はなにかを感じ学ぶことができる。愉しい娯楽として鑑賞しながらなのでこれほど素敵な資料はない。今回の再見でまた愉快な発見があった。前半の僅かの場面だったと思う(もう一度確認しようと思っているけれど)、枢機卿役でボリス・ヴィアンが出演していた。また、シャンソン歌手のダミアが町の歌手のような役どころで歌を歌ってもいた。これだからやめられない☆
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by musiclove-a-gogo | 2009-06-17 08:59 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『もう森へなんか行かない』または『月桂樹は切られて』エドゥアール・デュジャルダン~大好きなロマン逍遥

懸賞 2009年 06月 14日 懸賞

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★『もう森へなんか行かない』というフランソワーズ・アルディの曲(歌)を知ってから随分と年月を経て知った小ロマン小説の『もう森へなんか行かない』(原題は『月桂樹は切られて』)。この長く”幻の書”とされていた作者はエドゥアール・デュジャルダン(EDOUARD DUJARDIN)。1971年に刊行された和訳で読み、ここ数日の頭の中でまたよみがえって来た。もうアルディの曲と対となって私の心に居るのだろう。私はこうした繋がりや発見をしては喜び生きている。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』と深い関わりのある小さな書。すぐに読み終えてしまえるものながら、まるで主人公の青年たちとご一緒に過ごしていたかのような奇妙な感覚が残る。この初刊は1887年で僅か420部というもの。フランス文学の流れの中でも紹介されずにいた、フランス本国で埋もれていた書。それが再販されたのは35年を経た1922年のこと。私の好きな英国文学とフランス文学が繋がる場面でもある!ジェイムズ・ジョイスがフランスでこの書を見つけ、友人のヴァレリー・ラルボーに紹介したという。ラルボーは最初はジョイス程の感動を示さなかったそうだけれど、ラルボーによって生き返ったご本。しかし、ラルボーはその後、病気から活動は途絶えてしまう。この小ロマン小説はまたしても忘れ去られていた中、奇跡的な2度目の復活。それは1968年!アルディの『もう森へなんか行かない』が世に出た同年のこと。ああ、愉し!

そして、私個人の好きなロマン逍遥は各国入り乱れて大騒ぎとなる。19世紀の幕開けのようなノヴァーリス。ゲーテを忘れるわけはない。キルケゴールやショーペンハウアー、そしてニーチェ。フランスはこれらのドイツ・ロマン主義や英国文学からの影響を受けてフランス・ロマン主義の時代へ。スタール夫人やシャトーブリアンに始まる。そして、ユゴーやバルザック、デュマやスタンダール、ミュッセもいいな...そして、ボードレールやネルヴァル。ヴェルレーヌにランボー。ジョルジュ・サンドも。ロシア文学だとツルゲーネフやドストエフスキー、トルストイもいる。ああ、イプセンもいるし、19世紀末英国にはオスカー・ワイルド!!私の生まれる遥か彼方の方々や作品、登場人物たちが共に今ここにいることの喜びに心奮えるのだ。古典を継承しつつ忘れられていた音の響き。抒情の復活である!これこそ私の最も好きな”ロマン”の所以かも知れない。よく分からないけれど、エドゥアール・デュジャルダンやジョイスの「内的独白」という形体は好きだし、ロマン派の社会や現実とのズレから孤独や幻想世界へ誘う心の漂流が好き。”生きる”ために”苦しむ”。当たり前のことのように今は思える私。社会とのズレの大きさは時に疎外感ともなる。けれど、私の心のおもむくままに。どんなに人生が苦しく嶮しくとも、生きるため、幸福を、人生謳歌するためには目を背けるわけにはゆかない。受け入れよう。そして、出来るだけ”美”へと昇華しながら小鳥のさえずりや草花の美しさに微笑んでいたい♪

※上の挿絵(挿画)はアリス・ラーフリンというお方によるものです。
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by musiclove-a-gogo | 2009-06-14 05:27 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『レ・ミゼラブル』 監督:クロード・ルルーシュ 原作:ヴィクトル・ユゴー『噫無情(ああ無情)』♪

懸賞 2008年 09月 18日 懸賞

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レ・ミゼラブル/LES MISERABLES
1995年・フランス映画
監督・脚本・撮影:クロード・ルルーシュ 原作:ヴィクトル・ユゴー 音楽:フランシス・レイ、フィリップ・サーヴェイン、エリック・ベルショー、ミシェル・ルグラン、ディディエ・バルベリヴィエン 出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ミシェル・ブジュナー、アレサンドラ・マルティネス、サロメ・ルルーシュ、アニー・ジラルド、フィリップ・レオタール、クレマンティーヌ・セラリエ、フィリップ・コルサン、ニコル・クロワジール、ジャン・マレー、ミシュリーヌ・プレール

★19世紀の文豪ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を映画化したものを幾つか観ているけれど、このクロード・ルルーシュ監督による1995年映画は、ユゴーの作品や登場人物を織り交ぜながらも、ルルーシュのオリジナル映画である!この映画は少女映画ではないけれど想いは巡る。ちょっと脱線するけれど、この映画を観て涙腺の緩い私は大泣きした!このお話に、そして深い皺を顔に刻んだ笑顔のジャン=ポール・ベルモンドに!そして、大ドラマの天才ルルーシュに!!嘗て、映画好きの友人とあれこれとお話する中、私の好きなルルーシュを馬鹿にされたことがある。言い分は大ドラマ、メロドラマである点をインテリのその友人は軽く蹴飛ばした。けれど、人それぞれの好きな世界がある(友人に悪意はない)。グッと堪えても翌日も口惜しいのだった...情けないことに、私はいつも反論することが出来ない。心の中よりもずっと軽々しく”でも、ルルーシュはいいよ!”と笑って過ごした。ルルーシュと言えば音楽はフランシス・レイ!!これまた大好き!!あの甘美なメロディよ♪もうこの辺は好きか嫌いかと分かれるところのようだけれど、この『レ・ミゼラブル』では崇拝されるルグランも共同参加しているのだ。けれど、あくまでもフランシス・レイが中心となってのもの。音楽も当然素晴らしい!!

ジャン・ヴァルジャンというと、映画ではジェラール・ドパルデューやリーアム・ニーソンが演じたものが新しいけれど、やはりジャン・ギャバンな私、リノ・ヴァンチュラもいい!(”カレセン”というらしくどうも私も大いにその兆候がかねてから見られるみたい。枯れ行く線描は人生の歩みの証し。そんな中に美を見出し、そんな人々に魅了されるというようなことだろう)。そして、このルルーシュのユゴーへのオマージュ的な一大ドラマの主人公アンリ・フォルタンを演じるベルモンドの円熟というのか人間味溢れるあの表情に涙する。コゼットのような少年時代、ジャン・ヴァルジャンのような成人後の葛藤の人生...けれど、彼は笑う!この笑顔はなんだろう...ヴァルジャンも然り!フォルタンも然り!ここでもユダヤ人であるが故に迫害され逃亡しなければならない人々や心優しき夫妻のようでお金に惑わされる人たち...様々な人間模様を見ることができる。フォルタンは生きるために悪事をはたらくこともある。けれど、心にはいつも正義がある。言葉で語ると綺麗事のようだけれど、人間らしいのではないだろうか...。

ジマン夫妻の娘役として、サロメ・ジマンが登場する。この少女サロメを演じるのはクロード・ルルーシュの実の娘さまでお名前はサロメ・ルルーシュ(Salomé Lelouch)!!こんなお名前を忘れるはずはない。お母様はルルーシュ映画に欠かせない女優さまのエヴリーヌ・ブイックス。サロメ・ルルーシュは1983年生まれということなので、この映画での撮影当時は11~12歳頃の少女。利発そうな少女ながら、どこか愛嬌がありかわいい。小さいので大人たちを見つめる折の上向きのお顔と目つきが特に印象深く残っている。フォルタンとジマン家族の友情の美しさを映画の終盤で大いに見せてくださる。過去の悪事を咎められ窮地(刑事殺しの罪とされる、違うのに!)のフォルタンを彼からの恩を忘れぬジマン氏が彼の弁護に力を尽くし、娘サロメも成長し結婚式の日がやってくる。その若い夫妻に心から祝福するフォルタン。そして、彼の苦難の人生の中で輝ける幸福という光を身に受けるのだ!こんなことをつべこべ語っても、フォルタン役のベルモンドの魅力の僅かの部分しか語ってはいない。この主人公の苦難の末の幸福とは、お金や名声ではないこと。ルルーシュの本質、真骨頂ここにあり!と私は嬉しくて大泣きするのだ。ルルーシュを好きな人が好きでそれでいい。ユゴーの『レ・ミゼラブル』は日本では『噫無情(ああ無情)』として有名。『悲惨な人々』の人生にも意味があるのだ。そんな一大叙事詩☆

※ベルモンドの他、フランス映画の数々で名場面を刻んできた方々も登場される。ジャン・マレー、ミシュリーヌ・プレール、そして、そしてアニー・ジラルド!!たまらなく素晴らしい存在感なのです☆
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by musiclove-a-gogo | 2008-09-18 09:08 | 音楽・映画・文学★美しい関係

レオノール・フィニ:LEONOR FINI★異色の女性シュールレアリスム画家♪

懸賞 2008年 01月 09日 懸賞

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★レオノール・フィニ(1908~1996)はアルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。 父はアルゼンチン人、母はイタリア人。驚くべきことに独学で絵画を学んだのだという。異色の女性シュールレアリスム画家としてパリで鮮烈なデビューを果たし、多くの芸術家たち(バタイユやエルンスト、マンディアルグやコクトー他)と親交を深めながらも、どこのグループにも属さずに独自の創作活動を続けていたお方。レオノール・フィニ自身、とても美貌の持ち主なので当時はパリ社交界の特別な位置におられたようだ。絵画のみならず、小説の挿絵、舞台装置(衣装・小道具・宝石)や自ら舞台を手掛けたり、また”仮面”を忘れてはならないだろう!華やかな舞踏会にご自分で作られた仮面や衣装で登場されたという。一目置かれるような独特の存在感のあるお方なので、好き嫌いは分かれる存在だったのではないだろうか。1960年代から世界各地で個展を開催し、1987年に『シュールレアリスム運動の中の女性ア-ティスト展』、1988年には『女性とシュールレアリスム展』に参加した。女性、猫、骸骨、植物等のモティーフを好み、幻想的で官能的な絵画を多数残され、1996年にパリに死す。

私はフィニの描く幻想的な絵肌がとても好きだけれど、全て好きでもなく、それは時に生理的なものから感じるものかもしれない。エロティシズムというところの感覚かもしれない。でも、女性を描いたものの多くに惹かれるようだけれど。そう言えば、フィニよりもさらに好きな作家であるアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(Andre Pieyre de Mandiargues)の『レオノール・フィニの仮面』というものもある。また、映画にもなったポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』も想い出す。中でもとりわけ、レオノール・フィニによる『夢先案内猫』はとてもお気に入りのファンタジックなお話。また再読してみたくなった♪フィニご自身、猫たちに囲まれて過ごし、その生活は神秘的でもあるのであまり覗きたいと思わない。残された作品たちや逸話から私なりの想像を楽しむ方が性に合っている気もする☆

※まだまだ書き足らないので、再読しまた追記予定♪他にも好きな作品が沢山あります。参考にさせて頂いたのは図録や洋書、小説などです。でも、随分前に読んだきりのものが多く記憶も断片的。この20世紀の新しい特異な存在であった女性の魅力とは...と考えると愉しいのです。
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by musiclove-a-gogo | 2008-01-09 23:12 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『地下鉄のザジ』(1960年)監督:ルイ・マル 音楽:フィオレンツォ・カルピ 原作:レイモン・クノー♪

懸賞 2007年 10月 24日 懸賞

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地下鉄のザジ/ZAZIE DANS LE METRO
 1960年・フランス映画
監督:ルイ・マル 原作・台詞:レイモン・クノー 撮影:アンリ・レイシ 音楽:フィオレンツォ・カルピ 出演:カトリーヌ・ドモンジョ、フィリップ・ノワレ、カルラ・マルリエ、ユベール・デシャン、アントワーヌ・ロブロ、ヴィットリオ・カプリオーリ

★カトリーヌ・ドモンジョは1948年7月10日、フランス・パリ生まれ。ルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』で映画デビュー!60年代の子役時代の僅かな作品にしか出演されていないと思うけれど、このザジの印象は永遠かな♪この映画が大好き!ルイ・マル監督のアメリカ時代、ブルック・シールズ主演の『プリティ・ベビー』も大好き!フランスに戻っての晩年の名作『さよなら子供たち』も大好き!その他名作がいっぱいでこれまた好きな監督のおひとり。この『地下鉄のザジ』はルイ・マルという名を認識する以前に観たもので、もう20数年前になる。それから何度か観ているのだけれど色褪せない。最初は、このおてんば娘のザジの行動にヒヤヒヤしたり、あれまぁ~という感じで観ていたのだけれど、やっぱり可愛い♪美少女というタイプではないけれど、この何をするか予測不可能な無邪気さや生意気さが徐々に愛らしく思えるようになった。お話も面白いけれど、ファッションや色彩、スピードの変化、そして、昨年(2006年11月23日)死去されたフランスの名優!フィリップ・ノワレ(調べてみると30数本程観ているのだけれど、どれも素晴らしく、コメディからシリアスな作品の中に多くの名演を残されたお方!)のガブリエル叔父さんが魅力的だし、アルベルチーヌ叔母さんに扮するカルラ・マルリエが綺麗だし、どたばたしたコメディ・センスも楽しい。レイモン・クノーの原作で台詞も担当、またカメラワークや流れる音楽も軽快。なので、最初から最後まで飽きない。”クソ食らえ!”なんていう言葉をこの少女ザジが発するので新鮮だった。カトリーヌ・ドモンジョは撮影当時11~12歳位。華奢な体つきやオレンジ色のセーター、短い前髪パッツンと大きく口を開けて笑う笑顔、地下鉄(メトロ)に乗りたいのに乗れなくてカッカとなる。おてんばでダダをコネる姿もなんだか可愛く子供らしい。この勢いのようなもの、このザジの魅力は気弱でモジモジした控えめな少女にはない魅力。私はザジのような子供ではなかったので少し羨ましい気持ちも抱いたりしながら、愛おしくこの映画を思い出す。しかし、ルイ・マルは子供の描き方が上手♪他の作品からもルイス・キャロルの影響が窺える(『ブラック・ムーン』然り!)。


※ニュープリント版の予告編です♪


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by musiclove-a-gogo | 2007-10-24 10:24 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『あの胸にもういちど』(1967)監督:ジャック・カーディフ原作:アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

懸賞 2005年 03月 18日 懸賞

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あの胸にもういちど:LA MOTOCYCLETTE
1967年 イギリス/フランス合作映画 
監督:ジャック・カーディフ 原作:アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ 『オートバイ』  音楽:レス・リード
出演:マリアンヌ・フェイスフル、アラン・ドロン、ロジャー・マットン、マリウス・ゴーリング、カトリーヌ・ジュールダン

★大好きなマリアンヌ・フェイスフルとアラン・ドロンの共演した1967年制作映画。原作はフランスの耽美派作家:アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの「オートバイ」。

可憐な少女、60年代ロンドンの華の様な存在だったマリアンヌは、ローリング・ストーンズと一緒に麻薬所持で逮捕、ミック・ジャガーとの恋愛~破綻(身篭もった子供も流産)、その後もドラッグ、アルコール、自殺未遂とスキャンダルの女王様の様に堕ちて行く...そんな時期に制作された作品で、この主人公レベッカ役は御本人と重なり合う部分も多い。平穏な生活を送る妻と、冷酷で魅惑的な恋人ダニエル(アラン・ドロン)の元へハーレーダヴィッドソンで走る、その二面性。黒革のレーシングスーツに着替えるシーンなど、ドキドキしたものだ。

美しい顔立ちと冷酷で神秘的な役のアラン・ドロンの存在も欠かせない。二人の全裸でのラブシーンは、当時は過激すぎるとカットされていたそうだ。幸いにも私が観た時はそのシーンも観る事が出来た。マンディアルグの原作をかなり好きな方は、きっとこの映画には何か不満が残るだろう。でも、この蔓延のお花が匂い立つ様なラブシーンは必見だと思う。原作では感じられない美しさを私は得る事が出来たのは、他でもない美しく虚ろなマリアンヌとアラン・ドロンというお二人だったからだと思う。個人的にこの頃のアラン・ドロンのニヒルな役柄が滅法好き。お二人共に何か翳りの様なものが漂い美しい容姿に影を落とす時期にも思える。そんなヒロインは死へと向かう。(マリアンヌはそこから這い上がって今も凛と健在なのは嬉しい限り。)

名作というよりもカルト作品と言われるものなのかも知れないけれど、ロジェ・ヴァディムの描くシュールさとも違った、哀愁を帯びた映像美は限りなく幻想的で綺麗だ。兎に角、嬉しいDVD化である!
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by musiclove-a-gogo | 2005-03-18 11:37 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『仮面の男』(1998年) 監督:ランドール・ウォレス 原作:アレクサンドル・デュマ『鉄仮面』

懸賞 2005年 02月 26日 懸賞

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★仮面の男:THE MAN IN THE IRON MASK
1998年 アメリカ映画 ランドール・ウォレス監督
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、ガブリエル・バーン、アンヌ・パリロー、ジュディット・ゴドレーシュ

★もっと早く観れば良かった~!とても楽しかった。レオナルド・ディカプリオのファンの方は多いと思うので、脇を固める四銃士の中年名優様たちの存在感を感じて頂けたと思う。私は逆なので、あまり興味の無かったディカプリオの良さを感じる事が出来た。でも、お目当てはジェレミー・アイアンズとガブリエル・バーン!

アレクサンドル・デュマの「鉄仮面」の映画化なので、フランスのルイ14世時代の歴史劇。この映画の主役はアイアンズ(アラミス)、マルコヴィッチ(アトス)、ドパルデュー(ポルトス)、バーン(ダルタニアン)の四銃士だ。うん!間違いない。でも、明らかに肌の艶などの違うお若いディカプリオも二役を好演していたと思う。ルイ14世と双子の幽閉されていた鉄仮面の弟フィリップを。

好きな作品によく出演されているけれど、どうも苦手なドパルデューも滑稽な役柄で可笑しかった。やっぱり上手い役者さんだ。頭は禿げているけれど渋い演技を見せるマルコヴィッチはここでも素晴らしかった。バーンはここではブロンドの横分けの長髪で今まで観た作品中、最も美しかった。大好きなアイアンズは、やっぱり素敵~!ドパルデューって大きいのだけれど、身長はアイアンズが一番高かった。スラリと凛としていらっしゃる。お髭の感じや神父という役柄からロバート・デ・ニーロと共演した名作「ミッション」を思い出したり。最後の方でこの中年四銃士が若い騎士に走り立ち向かって行くシーンでは泣いてしまった。でも、4人とも生きていた。その勇姿に若い騎士達は圧倒されてしまう。勇者達の美!

結構、コメディっぽいシーンも多くクスクス笑ったりもした。皇后様にはアンヌ・パリローだったのも嬉しかった。でも、もう母親役をされるお年になってきたのだぁ...と。でもまだまだお綺麗だ。「ニキータ」が代表作かもしれないけれど、私は髪の長いアンヌ・パリローが好き。華奢な身体で色んな役をこなすお方だ。アラン・ドロンとの「危険なささやき」やダニエル・オートゥイユとの「悪魔の囁き」、デビュー作の「ガールズ」(これは試写会のチケットが当選して母と行ったのだ)、音楽は10ccだった。内容はあまり覚えていないけれどラブリーなハイティーンの女子達の青春ものだった。でも、テーマ曲は今でも浮かぶ。

偏見は損をする。そして、この映画は四銃士の見事な揃え方に勝利あり!また、観ようと思う。今度はもっとお衣装などもじっくりチェックしたり、アインアズの馬車に駆け乗るシーンの格好いいシーンとか...。ジュディット・ゴドレーシュも可愛かったし(自殺してしまうけれど)。

英仏米から個性的な演技派が揃って見応え充分。満足、満足な見終えた後の気分も良い作品だった。名作かと言われるとそんなのは後回し~っていう感じ。見所が多いのは何度も楽しめるから好き。
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by musiclove-a-gogo | 2005-02-26 11:30 | 音楽・映画・文学★美しい関係

懸賞