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『耳に残るは君の歌声』少女フィゲレ~ビネッテ・シュレーダー★美しく幻想的な絵などを更新いたしました♪

懸賞 2010年 10月 19日 懸賞

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『クララの森・少女愛惜』にて、以下の更新をいたしました。

『耳に残るは君の歌声』少女フィゲレ(クローディア・ランダー=デューク)スージー(クリスチナ・リッチ)
『砦の町の秘密の反乱』 著:ニーナ・ボーデン★12歳の少女ジョーの垣間見た異国での秘密の革命
『クララからの手紙』著:トーベ・ヤンソン★短編集の中の少女たちはトーベ・ヤンソンの少女時代を想わせる
ビネッテ・シュレーダー(BINETTE SCHROEDER)★美しく幻想的な絵と矢川澄子さんの素敵な翻訳に魅せられて
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by musiclove-a-gogo | 2010-10-19 23:04 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『美女と野獣』(1946年)監督:ジャン・コクトー原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)♪

懸賞 2010年 08月 05日 懸賞

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美女と野獣/LA BELLE ET LA BETE
1946年・フランス映画
監督・脚本:ジャン・コクトー 製作:アンドレ・ポールヴェ 原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人) 撮影:アンリ・アルカン 美術・衣装:クリスチャン・ベラール 音楽:ジョルジュ・オーリック 技術顧問:ルネ・クレマン 出演:ジャン・マレー、ジョゼット・デイ(ジョゼット・デエ)、マルセル・アンドレ、ミシェル・オークレール、ミラ・パレリ

★ジャン・コクトーは大好きなのですが、初めて観たジャン・コクトー監督の映画はこの『美女と野獣』でテレビ放送でのこと。中学生頃の事で、カラー世代ゆえにモノクロームの映像に今ひとつ馴染めないでいたのだけれど、偶然にも近い時期に衝撃的なモノクロ映画に出会うことができた。まだそれらの作品をひとつも取り上げてはいないのでそろそろ(すべてフランス映画)。ジャン・マレーというギリシャ彫刻のような美男の俳優を知ったのもジャン・コクトー作品からである。お話は子供の頃に読んでいたので大筋は知っていたのだけれど、1時間半程の間、テレビ画面に吸い込まれていたように想う。映像の魔術にすんなり魅了されてしまった。その時に1946年の映画だということなんて知らない。そんな古い映画を観ているとも感じず「美」に圧倒された!というしかない。

原作の『美女と野獣』は、イギリスで1757年にマダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が『子どもの雑誌』あるいは『子どもたちの宝庫』に纏めたものの中に収められたお話。前年の1756年にフランス語で出版されていたそうだ。ボーモン夫人は1748年から1761年の帰国までの英国滞在、とりわけ子供たちの教育事業に打ち込んでいた時期であり、40冊程の作品を書き上げ、後に傑作と謳われる作品たちは、このロンドン滞在時に書かれたものである。このお話は「妖精物語」とも云える「おとぎ話」。この原作をジャン・コクトーは自ら脚本を手掛け、とんでもなく美しい、幻想的かつ優美な詩的映画として世に出されたもの。

最強のスタッフが揃っていることに今だと気づく。技術顧問あるいは撮影アシスタント的な役割をルネ・クレマンが担当している。あの『禁じられた遊び』を監督する以前の1945年(この年に『美女と野獣』の撮影開始)。また、美女ベル(ジョゼット・デイ)に求婚する乱暴者の青年アヴナン、野獣、王子の三役をこなすジャン・マレー。コクトーはこの美しきジャン・マレーのために構想を練ったと云われるもので、アンリ・アルカンのカメラワークがさらにマレーの美を際立たせている。コクトーはアンリ・アルカンに「画家フェルメールの光の使い方で撮ってほしい」と注文したという。そして、ベルや野獣の豪奢な衣装を始め、神秘的でファンタジックな野獣のお城などの美術担当はクリスチャン・ベラール。以前からコクトーの舞台美術なども担当してきた画家であり、ファッション・デザイナーでもあるコクトーの旧友である。さらに、ジョルジュ・オーリックの音楽も私はいつも相性の良さを感じているお気に入りの音楽家のお一人だし、ベル役のジョゼット・デイの神々しさも焼きついたまま。ジャン・マレーとジョゼット・デイは『恐るべき親達』(1948年)でも再び共演された。

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~魔法がとかれ元の姿に戻った美しい王子役のジャン・マレーです。嗚呼、麗人♪~


私はボーモン夫人の原作もジャン・コクトーの映画も大好きなので、かなりの偏愛作品について今想いを軽く綴っています。ディズニー映画にもなっているし、お話は多くのお方がご存知だと想いますが、映画の簡単なあらすじも記しておきます。

【あらすじ】
三人の娘を持つ商人が旅の途中、無人の古城に迷い込む。庭園のバラの花を摘むと、野獣が現れ、花盗人の命をもらうと脅したが、娘のうち一人が父の身代わりになるなら許すと言う。家に帰って父が話すと、末娘のベルが城行きを志願。会ってみれば野獣は心優しかった。父の病を知って帰宅を望むベルを家に帰し、一週間して戻らなければ悲しみに自分は死んでしまうと言う。一方、ベルを慕うアヴナンは野獣を殺し、その宝を奪おうと森に入る。ベルは魔法の鏡に彼女の不在を嘆く野獣を見て、急ぎ森に帰った。城に侵入したアヴナンは彫像に背中を射抜かれ野獣と変わり、逆に野獣が彼そっくりの王子となった。ベルと王子は見つめ合い抱擁し、そのまま天高く舞い上がり飛んで行った……。(引用:allcinemaの解説より)

(追記)
★「大好きな映画監督VOL.4 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU」を『BRIGITTE通信★美とロマンの憂愁庭園』にて、更新いたしました♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-08-05 19:17 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『陸にあがった人魚のはなし』 著:ランダル・ジャレル 絵:モーリス・センダック☆人間と暮らす人魚♪

懸賞 2010年 03月 24日 懸賞

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★ランダル・ジャレル(Randall Jarrell:1914年5月6日~1965年10月14日)は、アメリカのナッシュビル出身の詩人、童話作家、小説家、文芸評論家...というお方。私はまだ少しの作品しか知らないけれど、やはり童話あるいは児童文学という流れの中で知ったお方なので、『陸にあがった人魚のはなし』(1965年)や『詩のすきなコウモリの話』(1964年)から読み出した。前述の「人魚」繋がりで『陸にあがった人魚のはなし』のお話を少し。

『The Animal Family』というのが原題であることは読み終えるととても大きな意味を持つものに想えた。大まかなお話は、ひとりで丸太小屋で暮らす狩人が、ある冬の夕暮れに海辺の岩陰で人魚と出会う。狩人と人魚は一緒に陸の上で暮らし始める。そこに、小熊、山猫、人間の少年が彼らと共に暮らし始める。彼等の会話はリアリスティックでありながらも不思議な魔法的なものも感じる。挿絵のモーリス・センダックの絵がお話をさらに彩るもので素敵です。彼等の特質を変容させることもなく、妙な淡々としたテンポで彼等の家族としての強さに何か心を揺さぶられる。人魚が喋り、陸の上で人間と一緒に暮らすということはおとぎ話ではあるのだけれど、人間と動物が共存し合うことの尊さを感じる。また、人魚(マーメイド)は妖精でもあると私は想っている。

人魚は、自分は女性でもないし、狩人は男性でもない。また、自分は「動物」ではない、狩人と少年は「人間」ではないと考える。なぜなら、そのようなことは皆副次的な問題だから。それでも、人魚は「海」であり、狩人と少年は「陸」であるという決定的な違いが残る。なので、人魚は陸で暮らすことになった。

でも、陸の上ではちがうわ。嵐だって、陸の上では本当だわ。木の葉は赤くなるし、木の枝は冬じゅう裸だわ。ものごとがみんな変わるし、いつも変わっていくもの。わたしはここにいて、どこにも泳いでいかなくてもいいわ。ここを立ち去るとか忘れるとかすることもない。そう、陸はずうっといいわ!ずうっとすてきよ!

このランダル・ジャレルの描く究極の家族の姿が私には美しく響く。狩人と人魚は夫婦でもないし、動物たちは養子でもない。夫婦という形もなければ親と子という形でもない。けれど、狩人と人魚は小熊の親となる。性的なものもどこにも無く、血縁関係もなく、それでも「家族」と成り得る。人魚という存在自体が現実的なものではないのだけれど、それでも、私は何の違和感も無くこの不思議なファンタジー世界に魅了されながら読み終えた。そして、読後、こうして今も余韻を残している。多くの優れた物語はそうだろうけれど、狩人と人魚のロマンスのお話ではなく、『The Animal Family』という視点に幻想と現実世界を繋ぐものとしてとても興味深いものに想うのです♪

※私の好きな文学やファンタジックなご本のことも、今後こちらのカテゴリー『薔薇色ファンタジー★本の小部屋』にて追々感想や覚え書きなどを記しておこうと想います。作品によっては『クララの森・少女愛惜』とかなり連動するのですが、どちらも宜しくお願いいたします!
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by musiclove-a-gogo | 2010-03-24 11:36 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ピクニックatハンギング・ロック』監督:ピーター・ウィアー(1975年)★美少女ミランダと内気なセーラ♪

懸賞 2009年 08月 26日 懸賞

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ピクニックatハンギング・ロック/PICNIC AT HANGING ROCK
1975年 オーストラリア映画
監督:ピーター・ウィアー(ピーター・ウェアー) 製作:ハル・マッケルロイ、ジム・マッケルロイ、A・ジョン・グレイヴス 原作:ジェーン・リンジー 脚本:クリフ・グリーン 
撮影:ラッセル・ボイド 音楽:ブルース・スミートン
出演:レイチェル・ロバーツ、アン・ランバート、ヘレン・モース、マーガレット・ネルスン、ドミニク・ガード、ヴィヴィアン・グレイ、カレン・ロブスン

★大好きすぎて何から書けばよいか分からない。生涯共にしたい映画とも言える。冒頭からラストまで、私の好きな少女たちの芳香に満ち溢れている。少女趣味という言葉をあまり好まない方も居られる。私は少女趣味だと馬鹿にされても平気だった。そんな頑固さは大事にして良かったと、今では共有できるお友達も居てくださる。さて、このお話は1900年2月14日(聖ヴァレンタインの日)にオーストラリアの厳格な寄宿制女子校生徒の謎の失踪事件の実話を元に書かれた小説を、ピーター・ウィアー監督が見事に映画化したもの。オーストラリア映画だけれど、かなり英国的。それもヴィクトリア女王の時代。大好きな時代背景、白いレースの制服、校舎内の装飾や小物たち、美しく気品のあるマドモワゼル(先生)、厳格な校長先生、美しい自然、シェイクスピアのソネット、光と影...完璧!この映画のお話でいったいどんなに書き続けられるだろうというくらい。

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この映画の主役は誰かな?最初観た時はとびっきりの美少女ミランダにドキドキした。でも、彼女と同室のセーラに何かしら感情移入している私が居た。それから何回観てるだろう...そんな内にこの映画のもつ強烈な神秘性は正にミステリアス。英国の名女優のお一人であるレイチェル・ロバーツのあの存在感!当然の演技力なのだけれどかなり怖い。このお方の存在が共にあるのだと。この怖い校長先生は生徒が消えた謎の岩の麓で1900年3月27日遺体で発見。この後もいくつかの作品に出演されていたけれど、1980年にレイチェル・ロバーツは自殺しているのだ。こじ付けた妄想かもしれないけれど、あの迫真の演技、あの怖さに震えるようなものを感じてならない。ミセス・アップルヤードそのものになりきっていたかのよう。

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午後12時で時計がピタリと静止する。この時の狭間、少女の儚さ、美しさを映像は繊細に伝えてくれる。消えてしまった少女と自らの命を絶った少女。ミランダもセーラも永遠の少女のまま。残った多くの生徒たちはその時を駆け抜けそれぞれ大人への階段を登っていくのだろう。セーラは内気で詩の好きな可愛い少女。光輝くブロンドの美少女ミランダに寄せるほのかな淡い想い。少女同士の秘め事のような囁きや笑顔。

私は彼女たちの年の頃、時が止まればいい!と思っていた。でも、今も生きている。年を重ねる喜びもようやく感じているのだけれど、どうしてもあの時が忘れられない。多くのものが凝縮されて結晶のように存在しているよう。この様な女の子同士の限られた時の心模様、世界感を男の子同士で描いた少女マンガの世界。そんな世界を先に読み幻想と現実にうろたえながらもどうにか愉しく生きてきた。これは私個人の想い。世代感というものもあるのかもしれない。ある意味、幼い頃からの免疫だとも思える。悦ばしい出会いたちに感謝している★

2007.1.11.

★この映画はとても大好きで、美しいお衣装や寄宿舎の少女たち、そして不思議な美しさに満ちている。なので、ぼんやり見とれている時期を過ぎ、今は色んな想いが巡るものとなっている。色んな映画評論家の方の意見を拝見したりしてきた中で、とても興味深く、かつ的を得た、流石!と狙い撃ちされた私はよろめくのだった、このお方のお言葉だということで♥
「思わせぶりな映画ね。画面から台詞から音楽まで、ともかく全部が徹底して思わせぶり・・・。(中略)この映画は、少女漫画的と言えば、言えますね。少女漫画と言っても、もちろんいろいろですが、萩尾望都さんの少女期の感性のゆらめきの世界、山岸涼子さんのミステリアスな世界に近いような印象を受けました。私の場合は、むしろストーリーを積み上げて築いていくことを追求しますから、ちょっと違う世界なのですが、それだけに新鮮で、その不思議な感触を楽しませていただきました。」 by 青池保子さまのお言葉♪

2007.1.17.
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by musiclove-a-gogo | 2009-08-26 23:07

『白夜の時を越えて』 監督:ピルヨ・ホンカサロ 音楽:リカルド・アインホルン(1998年)♪

懸賞 2008年 08月 22日 懸賞

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白夜の時を越えて/FIRE-EATER
1998年・フィンランド映画
監督:ピルヨ・ホンカサロ 脚本:ピルッコ・サイシオ 撮影:チェル・ラゲルルース 音楽:リチャード・アイホーン(リカルド・アインホルン) 出演:エリナ・フルメ、ティーナ・ヴェックスレム、エレナ・レーヴェ、エルサ・サイシオ、ヴァップ・ユルッカ、ホルディ・ボレル

★2001年の公開から数年経っているけれど、静かで美しい衝撃を受けたピルヨ・ホンカサロ監督によるフィンランド映画『白夜の時を越えて』(1998年作品)。この作品でしか知らない監督。さらに北欧映画と言えどもフィンランド映画はスウェーデン映画に比べると観た作品もずっと少ない。アキ・カウリスマキの登場も衝撃だった!この作品は双子の姉妹のイレネとヘレナの時を越えた強い絆の物語。成人になった現在のヘレナの登場と彼女についてゆく少女の出会いの冒頭のモノクローム映像から息を呑む。全編を通して描かれる母親と娘、姉と妹、また社会や大人たち...そして、時代を。美しく狂おしいまでに響く音楽はリカルド・アインホルン!この音楽がなければ魅力は半減したと私は想う。個人的にとても相性の良い旋律。

1960年代の現在のヘレナの場面はモノクロで、回想する子供時代から思春期(1944年のヘルシンキから)はカラーで描かれる。私はこのような時間軸の揺れ動く構成が大好き。母親に捨てられた姉妹は幼少時は施設で育つ。一番上の場面は美しいショットだと想う。幼い頃からダンスが好きでしなやかな動きが自然とできる姉イレネ。そんな姉を優しく見つめる線の細いヘレナ。今想うのは、ふたりはいつも寄り添いながら、補い合いながら静かに生きてきた少女たちだと。施設に母親が突然迎えに現れ、恋人のスペイン人のラモンなるサーカス師の元へ。イレネは見込まれて空中ブランコ乗りの練習をさせられる。しかし、公演時に落下してしまう...次第に心の病気を患い歩けなくなる。母親はというと常に男性がいなければ生きてゆけないような女性(でも素敵な女優さま!)、そんな母親を娘たちはずっと複雑な気持ちで見つめている。母と姉のために、ヘレナは火飲みの芸を身につけ巡業に廻る。現在のヘレナの腕に火傷があるのはそんな経緯からなのだと分かる。フィンランドは独立後もロシアに占領されていた国なので祖母などは特にレーニンを崇拝しており、姉妹の名をイレネはウラジミール、ヘレナはイリチキと名付けていた程。そんな異国の時代、父親を写真でしか知らず生まれて直ぐに母親に一度捨てられた姉妹...しかし、親子の絆、姉妹の絆の深さが痛いほどに伝わる。そして、私は特に妹のヘレナが大好きなのだけれど、彼女はずっと静かに冷静にその瞬間を見つめている。ふたりが母親の情事を目撃した際に、遂に姉イレネは耐え切れずに寒い氷の海へ向かう。その姉を必死で追いかけ負ぶって連れ帰るヘレナ。ふたりは対照的なようでぴったり重なり合うようでもある。想うことは多い。浮かぶ映画や詩篇が巡る連想ゲーム癖を続けているところ...。

監督がこの映画を描く基とされたものは、シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』なのだそうだ。私は未読ながら、監督はこの『白夜の時を越えて』は、ある世代から次世代へと引き継がれる「かせ」をテーマにしていて、また愛情と別離を描いた作品でもあるのだと語る。

全人類の中で、われわれが100%その存在を認めるのは、愛情を寄せる者だけである

このシモーヌ・ヴェーユの言葉が飛び込んで来たのだという!私も稲妻が走るかのように響いた。そして、さらにこの映画が好きに想え、まだまだ色々なことを考えている。

☆2008年8月22日に書いたもので、映像のみならず音楽もとても美しくて大好きな映画です☆
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by musiclove-a-gogo | 2008-08-22 12:15

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