『レプラコーンという妖精の靴屋さん』~画:ジェイムズ・サント(JAMES SANT)『フェアリー・テイル』♪

懸賞 2010年 05月 06日 懸賞

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★レプラコーンという妖精の靴屋さんがいるらしい。背丈は人の指くらいで、妖精たちが踊りですり減らした靴を修理する、たいそう腕の良い職人さん。このレプラコーンを見つけても、ちょっと目を離すと姿を消してしまうそうだ。人間にはなかなか捕まらないらしく、騙すのも逃げ足も速いという。くしゃみをしているうちに逃げられてしまったという例もあるそうだ...残念☆

この優美な絵画は英国画家ジェイムズ・サント(JAMES SANT)による『フェアリー・テイル』と題された作品。「レプラコーンという妖精の靴屋さん」のお話を優しい母が息子に伝承しているようでもあるので勝手に関連付けました。ジェイムズ・サントの1860年~1916年という生涯のどの時期に描かれたものかは不明(勉強不足)。100年程彼方の英国。やはり空想の異国の旅をしているようです♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-06 11:58 | 音楽・映画・文学★美しい関係

郷ひろみ『恋の弱味』(1976年)★近田春夫&ハルヲフォン『恋の弱味』のカバー(1978年)♪

懸賞 2010年 05月 05日 懸賞

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★5月5日(GOGO!)なので久しぶりの我が永遠のアイドル&スターである郷ひろみ(HIROMI GO)!名曲ヒットは多数あるのだけれど、幼い私でも"カッコいい!"とこの曲を下手なのに口ずさんでいた。ひろみの1976年16枚目シングルで、B面は初主演映画『さらば夏の光よ』のテーマ曲を収録。共に、作詞は橋本淳、作曲は筒美京平。近田春夫&ハルヲフォンは、アルバム『電撃的東京』の2曲目で『恋の弱味』(編曲は近田春夫)をカバーされていた。近田春夫さんにはたいそう感謝している私。まだ洋楽に目覚める前なので毎月のお小遣いは少女マンガに消えていた頃。けれど、ひろみの新曲が出ると知るとシングル盤を買い始めていた頃。そんな情報を逸早く知ることができた番組があった。近田さんの担当されていた「オールナイト・ニッポン」の深夜二部(電波が悪い上、私の同年代で聞いている友人は居なかった)。近田さんはひろみファンでもあるので「ひろみ君の新曲だよ」とかけてくださりコメントもしてくださっていた。発売前にかかったこともあった気がするのだけれど勘違いかも...。その近田さんが「近田春夫&ハルヲフォン」としてひろみのカバーを歌っていると知った時も嬉しかったな。ハルヲフォンのメンバーにはギターで小林克也さんが居られた。

2000年代になって、近田さんの書かれたご本を読んでいるとやはり「郷ひろみ讃歌」されており、私は信用できるお方だ!とあの少女時代のトキメキが蘇るようでもあった。

くどいようだが郷ひろみはすごいと思う。それに異論を唱える人はいないだろう。だが、そのすごさについて語ろうとする時、結局「何だか判らないけどすごい」ということの先に進むのが難しい。・・・・・郷ひろみは謎めいた元気さというものを定着させようと思っているのではないだろうか?それは二枚目なる概念が、もはや世間では決してまっすぐな形では通用しなくなった。故のきびしいプロフェッショナルな読みだと私は思っている。郷ひろみは「何だか判んないけどすごい」人を、クールに演じている。すごいのは、そこなのだ。すごいのはその意思であり、また決して(そういった戦略のあることの)しっぽをつかまれない遂行の見事さである。・・・・・断言する。郷ひろみの目指すのは、トム・ジョーンズとジョン・トラボルタの丁度中間あたりである。 (近田春夫)

このように語っておられ愉快!この「何だか判らないけどすごい」というのはよく耳にすることでもある。時代時代にヒット曲を持ち続け、あの可愛いアイドル時代から今なおスターであり続けるHIROMI GOって?!また「謎めいた元気さ」という表現も流石に近田さん!長年洞察されている鋭さを思うのである。ひろみは日本が不景気な時代にこそ必要とされているのか妙なタイミングでヒット曲と不景気が一致するとも(一概には云えないけれど)。あの輝く「陽」が元気を伝授するのかも。野球を愛し、太陽の似合う郷ひろみは原武裕美(本名)が垣間見られる瞬間でもある。

原武裕美の夢。郷ひろみが夢を果たせること。郷ひろみの夢。素晴らしいミュージカルを作ること。そして、40才になろうが、50才になろうが生きている限り、歌いつづけること。そして、この夢を果たすために、心の欲張り屋であること。心の欲張りを保つために、たくさんの真の友を持つこと。真の友を持つために、人間に対して誠実であること。人間に対して誠実であるために、自分自身に正直であること。自分自身に正直であるために、愛を信じ育むこと。世界に愛を育むために、僕は生きている限り、歌い踊りつづける・・・ (二十才の記 郷ひろみ)

もうすぐデビューされて40年の郷ひろみ(現在54歳にして美麗なり!)。私はひろみが歌い続ける限り「郷ひろみ讃歌」を続けるだろう。まだ一桁の子供だった私が毎日口ずさんでいたひろみの曲たち(当時の昭和の歌謡曲たち)は今も色褪せぬもの。私はすっかり星空の光を愛するようになったけれど、妙な憂愁を伴う、けれど一際輝き続ける星に何かしらのエネルギーを頂いていると感じ夜空を仰ぐ。郷ひろみとはそんな星のようなお方なのだろう!では、郷ひろみの『恋の弱味』(1976年)と近田春夫&ハルヲフォンの『恋の弱味』(1978年)を☆どちらも大好き!




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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-05 02:22 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

マーク・アーモンド(MARC ALMOND)『アイドル(パート1&2)THE IDOL』(1996年)♪

懸賞 2010年 05月 04日 懸賞

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★マーク・アーモンドの1996年アルバム『ファンタスティック・スター(FANTASTIC STAR)』に収録されている曲(シングルにもなった)『アイドル パート1&2 オール・ゴッズ・フォール(THE IDOL PARTS1&2 ALL GODS FALL)』。久しぶりに聴き、やっぱり好き~!ってトキメク。この曲はアイドルやスターという虚実皮膜なポップ・ワールドへの愛を持ってのシニカルさで、マークならではのキラキラしたポップ・サウンドに想う。歌詞に登場する今は居ないスターたち。ルドルフ・ヴァレンチノも居ればエルヴィス・プレスリーにジェイムス・ディーン、マリリン・モンローにビリー・ホリディ、ジャニス・ジョプリンにジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ、オズモンドにキャシディ、マーク・ボランにジョン・レノン、シド・ヴィシャスにカート・コバーン..."名声という名の大きな十字架"というフレーズが好き。"好きだよ"と云い"嫌いだよ"とも。"どんな神もしまいには落ちぶれる"というのがスターの宿命、アイドルの寿命。稀にその域を超えてしまうような人たちも存在する。ミック・ジャガーでありデヴィッド・ボウイはそんな稀有なる存在だと。私の強い思い込みかもしれないけれど、イントロはボウイっぽいし、途中にもマーク・ボランっぽい箇所がある。この1996年という年は英国では「ブリットポップ」全盛の時期であったことも思い出された。マーク流のエレクトリック・グラム・ポップとも云えるような。ギターはニール・X(ジグジグ・スパトニック)だし、プロデュースとシンセサイザーはソフト・セル時代からの盟友マイク・ソーンが担当というのも納得。

このアルバム『ファンタスティック・スター(FANTASTIC STAR)』の他の楽曲もすべてマークならではのポップ・ミュージック!参加ミュージシャンも豪華で、クリス・スペディング、ジョン・ケイル、デヴィッド・ヨハンセンとの共演、そして先述のニール・Xの存在はかなり大きいと再確認でした♪


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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-04 11:36 | 洋楽ロック・ポップス★90年代

『仁義』ジャン=ピエール・メルヴィル~男達の美学~『ギャンブル・プレイ』原作:メルヴィル『賭博師ボブ』

懸賞 2010年 05月 02日 懸賞

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仁義:LE CERCLE ROUGE
1970年・フランス映画 
監督・脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:エリック・ドマルサン
出演:アラン・ドロン、イヴ・モンタン、ジャン・マリア・ヴォロンテ、ブールヴィル(アンドレ・ブールヴィル)、フランソワ・ペリエ、ポール・クローシェ

★運命の輪の如く、偶然BS放送で『仁義』を観た。大好きな映画!なので、もう英語版も含めると結構観ている。生きている間、またこうして観るだろうからきっと50回は観るような気がする(回数はどうでもいいのだけれど)。最初はアラン・ドロンがお目当てだった。勿論、ここでもカッコイイ。そして、イヴ・モンタンの渋さにゾクゾクしてからはモンタン中心に観る時期があった。今もやっぱり、モンタン、渋すぎるくらいにカッコイイ!ブールヴィルもフランソワ・ペリエも、ジャン・マリア・ヴォロンテも...みんなカッコイイ!

こうして、私は「カッコイイ!」ばかり連発してしまう。でも、それぞれのカッコ良さで同じではない。この映画の主要な役の中で、アラン・ドロンは一番お若い。モンタンは一回り以上年上だし、ブールヴィルは遺作だと思う。そして、この名優さま達は他の作品でも共演作が繋がっていて、考え出すと楽しくなるのでノートに書き出してみたりしていた。嗚呼、愉快!もうお一人、ポール・クローシェという名脇役を忘れてはならない!私。フランスのフィルム・ノワールと呼ばれる名作には多数出演されている。でも、主役はアラン・ドロンやリノ・ヴァンチュラだったり、シモーヌ・シニョレやアニー・ジラルドという名女優さまの脇にいる。でも、脇役が一流だとさらに良いわけで...。もう、楽しくって何を書いてるのやら。

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ジャン=ピエール・メルヴィル!この監督は役者としても結構登場されるけれど、このブルー・トーンな映像とストーリー(脚本)は大好き。『サムライ』も『影の軍隊』...も全部。でも、『仁義』はモンタンのあのアル中の震える手、落ちぶれた元刑事。でも、男同士の計画。ここぞ!という時に見事な射的。そして、この1970年という好きな時代に既に中年のモンタン。ペリエもそうだけれど、あのお顔の皺が実に素敵なのだ。私は自分が年を重ねたという事もあるのだけれど、最近皺の渋さに見とれてしまう。大女優のジャンヌ・モローはもうその最高峰だろう。リヴ・ウルマンもいい。もう少しお若いお方だとヴァネッサ・レッドグレーヴ、シャーロット・ランプリングさま...。嘗てはヘルムート・バーガーさまをお目当てに観た『コードネームはエメラルド』。その主演のエド・ハリスがここ数年で私の中で大ブレイクを起こしている。見る度に皺が深く刻まれるトミー・リー・ジョーンズとか。

この『仁義』という邦題は日本人なので分かり易い。原題は赤い輪、運命の宿命の赤い輪。この5人の男達の「仁義」な美学。分け前は要らない(自分との決着をつけたかっただけだと。きゃぁ~素敵★)とモンタン(ジャンセン)!でも、最後まで見届けるからとドロン(コリー)と車で向かう。死を共にすることになるのだけれど。ヴォロンテ(ヴォーグル)は最後近くに「何故、黙っていたのだ。」とブールヴィル(マティ刑事)に訊かれ「仁義だ。」と一言語る。フィルム・ノワールの巨匠のお一人とされているメルヴィルが残した脚本を元に、2002年に『ギャンブル・プレイ』としてニール・ジョーダン監督で映画化された。この映画も大好き!な訳が後から判明。脚本がメルヴィルだもの~!って。ニック・ノルティが落ちぶれたギャンブラー。何か企んでいるぞ?!と追う刑事がチェッキー・カリョ。この追われる男と追う男、実は何か友情で結ばれている。そういう演技はこうした渋い役者でないとカッコ良くはない。そう、エミール・クストリッツァ監督も金庫破りの仲間のお一人として出演していて嬉しい。色々思いついてしまうけれど、繋がっているので楽しくてしかたがない。フランスの脚本がイギリスやアメリカ、ドイツやユーゴの映画人達によって甦った。すっかり、めちゃくちゃな取り留めのない内容を一気に綴っているのだけれど、忘れてはいけないなって思う、もう一つの素晴らしさ。『仁義』の事だけれど、音楽も絶妙!エリック・ドマルサンによるジャズが実にクール。そして、宝石店に押し入り逃亡するまでのあの静寂さ。台詞がない!ドロンもヴォロンテもモンタンも喋らない。勿論、ハラハラさせる効果音もない。あの台詞のない緊張感にドキドキさせられる。絵になる男達でないとあの長さは持たないだろうと思う。と、贔屓目いっぱい!で文句無しの名作を堪能した。また、直ぐにでも観るかも♪

『ギャンブル・プレイ』 監督:ニール・ジョーダン 原作:ジャン=ピエール・メルヴィル

ギャンブル・プレイ:THE GOOD THIEF
2002年・イギリス/フランス/カナダ/アイルランド合作映画
監督:ニール・ジョーダン 原作:ジャン=ピエール・メルヴィル 『賭博師ボブ』 出演:ニック・ノルティ、チェッキー・カリョ、エミール・クストリッツァ、ナッサ・クヒアニチェ、レイフ・ファインズ、ジェラール・ダルモン、サイード・タグマウイ

★チェッキー・カリョとエミール・クストリッツァが出てると知り観たのだけれど、とっても気に入ってしまったもの。主役のボブはニック・ノルティ。あのしゃがれた声とお年を召され深みを感じるお方だと再認識。友人にファンの方が居るのだけれど、私はようやく彼が好きな理由が少し分かった気がした。男性から見てどこか渋さを感じさせるようなお方に思う。この原作はフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルの『賭博師ボブ』だと後から知り、”カッコイイ"筈だと納得したり。このもう賭博から足を洗おうと決めた中年ボブ。しかし、仲間のトラブルなどもあり、最後の大仕事をカジノで決行する。脇役も私には豪華過ぎて、これは多分笑ったりする場面ではないだろう...と思いながらもクスクスしたり(特にエミール・クストリッツァ監督なのだけれど)、レイフ・ファインズは画商役で騙され損する、そして、長年ボブを追う刑事ロジェのチェッキー・カリョ!このお方、お年を召される毎にダンディというかハンサムだけれど屈折した素敵さで超ミーハー気分で観てしまう。また、このボブとロジェは追われ追う立場ながら、どこか友情めいたものがある。もう、そういうの大好き!なので大満足。 若いヒロイン役のアンを演じるナッサ・クヒアニチェがまた可愛い♪ドイツ人で可愛い容姿とはギャップの個性的な太めのお声。最後は夜明けをボブと一緒に歩いてゆく...エンディングではニック・ノルティの歌声も。犯罪ものだけれど、香る男のロマン。どうした訳かたまらなく好き♪

※上の「仁義」は4年程前に書いたものです。「ギャンブル・プレイ」も同じ頃で、ちょっと此方に纏めて覚え書きしておこうと想います。「また、直ぐにでも観るかも」と書いていましたが、この4年の間にまた2度観ました。イヴ・モンタンは歌手としても俳優としても大好きなのですが、嘗てよりさらにモンタンが好きな私です。モンタンの歌のこと、映画のこと、アラン・ドロンの主演作...好きな作品ばかりなのでまた此方に拙文を記します。それにしても、上のモンタンのお姿!素敵過ぎ☆
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-02 12:55 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『恋するアリス』 編:寺山修司 写真:沢渡朔 ~ 『あの子はとても人見知り』 作:笹原悦子♪

懸賞 2010年 05月 02日 懸賞

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恋するアリス 寺山修司

100人のアリスが恋をしたので
不思議な国は大さわぎ!

チェシャ猫はやきもき
気狂い帽子屋はやきもち
台所でくすぶるやきもつ
まがい海亀はやきもの

しかも
相手はたった一人の詩人だというのです

何をかくそう
その詩人というのは ぼくです

という想いをしました
1000人の女の子の詩をよむのは
1000人の女の子の恋文をよむのと
同じくらいたのしい仕事でした

ルイス・キャロルこと 数学者のドジソンおじさんも言っています
「恋をすれば 誰でも不思議な国へ旅ができるのだ」と

★私は寺山修司が大好きですので、こんな優美な詩も前衛的な戯曲や映画も愛しています。そんな寺山修司が編集した「あなたの詩集」企画シリーズの『恋するアリス』。この「For ladies(フォア・レディース)」のご本は他にも幾つか在庫がありますので、状態をチェックしながら、私が担当のshop BRIGITTE(映画愛好と本のお店)にて登録してゆく予定です。本館のRECORD&CD SHOP VELVET MOONの作業も平行していますので、毎日新たな発見と学びの連続という日々です。本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を鑑賞すること、時空を超えた美しい絵画を眺めること...これまでの私のちっぽけな歩みの中で育まれ、私の生きる糧となり心に栄養をたくさん与えて頂いてきたこれらの愛するものたちに、あらためて感謝したい気持ちです。

この『恋するアリス』の中には素敵な作品が多く掲載されています。巻頭頁の沢渡朔による可愛い「少女アリス」のサマンサちゃんのカラー・フォトも可愛いです。全体のアートディレクトは宇野亜喜良と豪華です。中でもとても好きな詩をもう一つ掲載させて頂きます。私の心を締めつけるのです。こんな女の子が大好きなので、お友だちになりたいと想うのであります♪

あの子はとても人見知り 笹原悦子

死んだ人たちは みんな星になるのだ
と きかされて
あの子は
夜 おもてに出られなくなりました
なぜって
あの子はとても人見知りなのです

●『恋するアリス 寺山修司編 For ladies あなたの詩集7』 写真:沢渡朔 新書館 初版 絶版 (shop BRIGITTE) ↑
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-02 02:55 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ベリッシマ』 監督:ルキノ・ヴィスコンティ 主演:アンナ・マニャーニ★イタリアの名女優♪

懸賞 2010年 05月 02日 懸賞

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ベリッシマ/BELLISSIMA
1951年・イタリア映画
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 助監督:フランチェスコ・ロージ、フランコ・ゼフィレッリ 製作:サルヴォ・ダンジェロ 原作:チェザーレ・ザヴァッティーニ 脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、フランチェスコ・ロージ、ルキノ・ヴィスコンティ 撮影:ピエロ・ポルタルーピ、ポール・ロナルド 衣装デザイン:ピエロ・トージ 音楽:フランコ・マンニーノ 出演:アンナ・マニャーニ、ティーナ・アピチッラ、ワルター・キアーリ、アレッサンドロ・ブラゼッティ

★ルキノ・ヴィスコンティ監督の1951年映画『ベリッシマ』。この映画は80年代に劇場で観たのが最初。そして、イタリアの名女優アンナ・マニャーニ出演作としても初めて観たもの。先ず、ヴィスコンティが大好きなので他の作品のこともと思いながらも好き過ぎて纏まらない...でも、思いつくままに。記しておくと便利なので(頭の整頓に)いつもより細かくスタッフ名を挙げておこう。これがまた、私の好きな美が繋がってゆくのだと再確認。

ラジオで”六歳から八歳までの女の子を一名募集”という知らせ。チネチッタ撮影所内のステラ社の最新作『今日と明日と別の日』の「ベリッシマ(美少女)・コンクール」の特設看板も掲げられている。翌日、わが娘を未来のスターにと夢見て多くの親子連れが集まっている。マッダレーナ(アンナ・マニャーニ)も娘マリア(ティーナ・アピチッラ)に夢を馳せて会場にやって来たのだけれど、肝心のマリアがいない。もうコンクールは始まっている。マリアはプールの傍で泣いている。受付に間に合わないのでマッダレーナはマリアをぶってしまう。しかし、親切な青年アルベルト(ワルター・キアーリ)が現れ一次選考を通過して気をよくするマッダレーナ。この青年は関係者でもあった。二次選考に向けてマリアは、元女優の下で演技指導を受けたりという日々が始まる。お洋服を購入したりとマッダレーナは楽しいのだ。夫は反対しているので口論もあるけれど、マッダレーナは映画が大好きな方(劇中、バート・ランカスターやモンゴメリー・クリフトの映画が流れる)。”バート・ランカスターの声って素敵だわ”と言ったりして愉快(バート・ランカスターは後にヴィスコンティ映画に欠かせないお方ともなる)。

マリアなのだけれど、本人はあまり楽しくもない(多分5歳で幼いうえに大人しい少女)。ケーキのロウソクも上手く消せず、二次選考では泣いてしまった。そして、決定選考試写の日、居ても立ってもおられずマッダレーナは強引に試写の様子を覗う。マリアの泣きじゃくるフィルムを観て大笑いする製作関係者たち。監督(アレッサンドロ・ブラゼッティ監督が実名で出演)だけはマリアに関心を抱いていた。マッダレーナは泣くだけの娘のフィルムを見て呆れるものの、大笑いしている人達が腹立たしくなってくる。遂にはその部屋まで入ってゆくのだ。我が娘が笑い者にされ喜ぶ親はいないだろう!監督はマリアを気に入っていたので製作者たちは先回りして契約書を持って家にやって来ていた。けれど、バスを待つ帰り道、マッダレーナはマリアにとって良いことではないのだと儚き夢が消え去るのだった。そして、そんな契約書などもう要らないのだと夫に彼等を追い返してもらう。人情喜劇でもある素晴らしさ!

この『ベリッシマ』はもう兎に角、このアンナ・マニャーニの魅力全開!天晴れである。デカダンの巨匠ヴィスコンティはこの時期はネオ・レアリスモ(ネオ・リアリズム)。下町の人々の生活や表情が生き生きと描き出されている。”ヴィスコンティは貴族なので一般庶民の生活など分かりはしない”と言われたことがある。けれど、ヴィスコンティは”赤い貴族”とも呼ばれたお方!大好きなので讃えることしか出来ないけれど、『ベニスに死す』や『ルートヴィヒ』だけが名作ではない!私はヴィスコンティから今なお多くのことを学んでいる過程。『若者のすべて ロッコと兄弟たち』を観て心が張り裂けそうだったのだ。何も知らない10代の私の心が、これ程映像を観て衝撃を受けたのはデヴィッド・ボウイのライヴ映像以来のことだった(その前の衝撃は『愛の嵐』)。後に『揺れる大地』を観て心揺さぶられた!今だと、貴族であるヴィスコンティならではの表現世界があるのだろうと思える。常に徹底しているし役者の選択も見事すぎる。”美学者”として私は敬愛しているお方でもある。監督の言葉(ヴィスコンティ語録)が好き。そんなお言葉のひとつを☆

下級階層にあり、娘を女優に仕立てあげようと夢に見る女を、マニャーニはある人間的な豊かさをもって演じてくれた。この庶民的な母親の顔が自由に生き生きとしていたのは、まったくマニャーニのおかげである。私は俳優の個性をそのまま生かしながら登場人物を描き、掘り下げていく。マニャーニはそういう私にうまく応えてくれる女優である。(ルキノ・ヴィスコンティ)

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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-02 02:06 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『春のことば』 ヘルマン・ヘッセ 『人は成熟するにつれて若くなる』★読後の想いと覚え書き♪

懸賞 2010年 05月 01日 懸賞

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春のことば

子どもはみんな知っている 春が何と言っているかを・・・・・
生きよ 伸びよ 花咲け 望め 愛せ
よろこべ 新しい芽を吹け
献身せよ そして生きることを忘れるな!

老人はみんな知っている 春が何と言っているかを・・・・・
老人よ 埋もれよ
おまえの席を元気な子どもたちにゆずれ
献身せよ そして死ぬことを恐れるな!

人間らしく老いること、そしてそれぞれ私たちの年齢にふさわしい心構えと知恵をもつことは、ひとつのむずかしい技術である。たいていの場合、私たちの心は肉体よりも年とっているか、遅れているか、どちらかである。このずれを修正してくれるもののひとつに、内面的な生の感覚のあの動揺、人生のひと区切りや病気の際に私たちを襲うあの根源的な戦慄と不安がある。これらに対して人は自らを卑小に、無力に感じても仕方がないと私は思う。これは、ちょうど子どもたちが、命にかかわる障害を受けたあと、泣いたり衰弱したりすることによって最もよく平衡をとり戻すようなものである。

ヘルマン・ヘッセ 『人は成熟するにつれて若くなる』 訳:岡田朝雄 より

★ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse:1877年7月2日~1962年8月9日)の作品で最初に読んだのは『車輪の下』だった。中学から高校生の時期はドイツ文学が好きで色々図書館で借りたり、文庫を購入したりして読んでいた。次第にフランス文学へと偏り出すのは好きな映画や音楽との関係がかなり大きかったように想う。けれど、やはり好きなものは好きで国籍や言語は気にならない。ゲーテやニーチェはやはり今も好きだし。ヘッセは晩年『ガラス玉演戯』等でノーベル文学賞を受ける。この『人は成熟するにつれて若くなる』は、43歳から40年に渡る「老年」をテーマとしたヘッセが記録した観察で始まるもので、なんとも云えぬ感慨深い響きを私に与えてくださった。もっと私が年老いてゆくとまた違う印象を受けるのだろう。

ヘッセの85年の生涯は決して平穏ではなかった。自殺未遂、反国者扱いを受け、戦時奉仕の激務に加え、父の死、子供の病気、妻の精神病の悪化、そしてヘッセ自身もひどい神経障害にかかり治療を受けなければならなかった。ヘッセはこれらの苦しみの責任を外部へではなく自己の内部に求めるようになったという。その時期の作品が『デミアン(デーミアン)』である。ヘッセは内面への道を歩む求道者的でもあり、西洋文明の行方の懐疑、中国思想や仏教などの東洋思想への傾倒へ。『シッダルタ』はこの時期の代表的な作品。離婚再婚を経る時期の苦悩は『荒野の狼』で顕著である。ナチス時代、「好ましくない作家」という烙印ゆえに出版が不可能となる逆境と困窮の中でも、ドイツからの亡命者に手を差し延べていた。そして、晩年の大作『ガラス玉演戯』の完成へ。繊細な神経で幾度も精神的危機を体験しながらも最後まで反抗する魂に慄く!この『ガラス玉演戯』ではノーベル文学賞以外にも、ゲーテ賞、ラーベ賞、西ドイツ平和功労賞などの栄誉に輝いた。主人公クネヒトは、老いてから精神だけの世界を捨て現実の奉仕の世界へ向かい、ゲーテの言葉「死して成れよ」を実践するかの如く、教え子の若々しき世界に殉じて命を捨てる...美しい!

ヘッセはドイツ的内面性、ロマン主義的なものを保持しながらも、現実的な自我の分裂に苦しみ向かい合うという姿。85歳のヘッセは、愛してやまなかったモーツァルトのピアノソナタを聴き床につき、そのまま翌朝、脳溢血で永眠されたという。主人公のみならず、ヘッセご自身も「死して成れよ」を実践された様を想うと胸が熱くなる。有終の美と云うのは簡単だけれど、なんという強靭な精神か!老境に入ったヘッセの上のお写真などを拝見すると、生きよう!と想えるし、いつか死が訪れるけれど恐れてはならないのだと僅かながら感じるようになって来た...忍耐力の必要な今の私にとって、この書から得たものは光の賜物のようである。再び、ヘッセと巡り合えたことも何かのご縁だろうと嬉しく想う。

●『人は成熟するにつれて若くなる』 著:ヘルマン・ヘッセ 編:フォルカー・ミヒェルス 訳:岡田朝雄 ↑ レコード&CDショップVELVET MOON(音楽・映画・本のお店)
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-01 14:00 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ヒアシンスと薔薇の花のメルヘン』 ドイツ・ロマン主義の象徴『青い花』★ノヴァーリス(NOVALIS)♪

懸賞 2010年 05月 01日 懸賞

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★ドイツ・ロマン派というとノヴァーリス(NOVALIS:1772年5月2日~1801年3月25日)の『青い花(ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(1801年)の小説は欠かせない。私が「ロマン主義」という言葉から直ぐに想起するお方でもある。29歳という若さでこの『青い花』を未完のまま死に至ったお方。そして、この作家の作品たちと共に常に居るのは少女ゾフィー。12歳の少女と出会い、この幼い許嫁は15歳で死に至る。9歳の頃に病に伏した少年は、その頃から天才的な才能を発揮したというけれど。この少女の死は生涯、ノヴァーリスの作品と結ばれた慈悲偏在無辺の光となる。不思議な霊的な源泉ゾフィーという少女にゲーテも会っているそうだ。特に教養のある少女というのでもないけれど、実年齢より成長したように見える少女であったという。この初恋は儚き刻ながら、ノヴァーリスの死、きっとその後も静かに夜の光の中で渾然と結合しているのだろう。

『ザイスの弟子たち』は1798年に執筆され、これまた未完の書。その中に織り込まれた『ヒアシンスと薔薇の花のメルヘン』。暗い孤独感に包まれ森に佇む美青年ヒアシンスと、お互いに心が通じ合っていた「薔薇の花」と呼ばれる少女。ある老人に「だれにも読めない小さな本」を手渡され、ヒアシンスは美しい薔薇の花のことも忘れたかのように旅に出る。万物の母である、ヴェールを被った女神イージス(イシス)の居場所を求めて。泉と花たちに導かれてイージスの居場所へ辿り着く。壮麗なヴェールをとりのけるとそれは薔薇の花の少女にほかならぬものであった。
(参照:宮下啓三訳)

この別れの後の再会。ここにもやはり少女ゾフィーの姿が見える。このゾフィーは「薔薇の花」にも『青い花』の娘マティルデにも居る。初恋の許嫁への想い、その早過ぎる死は悲痛なものであっただろう。けれど、現実を生き抜くために虚無を克服しようとする様は壮絶であるけれどメルヘンでもある。メルヘンとは甘美なものだけを意味するのではないとも想う。

下賎なものに高い意味を、平凡なものに不思議な姿を、限りあるものを無限なものとして見せる

このように記されている。悲しみの体験と追憶が静謐な美しさで満ちている。このようなロマンが心震えるほど好き。夜の静寂さとロマン派の絆は強い。また深い森も欠かせない。ロマンから光は放たれる。そうして、童話も生まれるのだろうし、アンチ・メルヘンとも呼ばれるカフカへとも繋がる。絶望の果てからの希望を求める姿。メルヘンとはドイツ語派生であり、その深い森の中で、あのナチスの迫害をも乗り越えて今も息吹くので興味は尽きない。お伽話や童話というのは子供のためでもあり大人にも感銘を与えるのだといつも想う。それらの世界とロマン派との絆も強い。そんな世界が大好きなので、束の間のこの季節にそれらを耽読してばかりいる。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-01 13:52 | 音楽・映画・文学★美しい関係

ポール・ギュスターヴ・ドレ:PAUL GUSTAVE DORE 19世紀のフランスの挿絵画家♪

懸賞 2010年 05月 01日 懸賞

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★ポール・ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Dore:1832年1月6日~1888年1月23日)は19世紀のフランスの画家であり彫刻家。51歳という早世ながら多作なお方で、とりわけ挿絵画家としての作品は多数残されている。幼少の頃から描き始めていたそうで、その才能は早くから認められることになり、ダンテ、バルザック、フランソワ・ラブレー、ジョージ・ゴードン・バイロン、エドガー・アラン・ポーの書物に挿絵を描いている。また、イギリス版聖書も手がけさらに評価を高めたようで、ロンドンでの個展も開催されたという。勉強熱心なお方のようであったけれど、時代は普仏戦争。ドレも従軍していたので、祖国が敗れ郷土のストラスブールのアルザスは国土ではなくってしまう。その悲劇も作品となっている。また、彫刻家としてはアレクサンドル・デュマの記念碑が有名。親しい友人であったそうだ。ロマン主義の多くの作品たちは実にドラマティックでもある。惜しくも1888年1月23日に他界され、ペール・ラシェーズ墓地に眠る。

※今回の3点はシャルル・ペローによる童話から。上から「シンデレラ」~「眠れる森の美女」~「赤ずきん」です。

●2009年10月1日に書いたものです。ちょっとブログの整理をしています♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-01 13:34 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『アパートメント』ジル・ミモーニ監督~シャルル・アズナヴール『今ぞ、この時』~『ホワイト・ライズ』♪

懸賞 2010年 05月 01日 懸賞

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アパートメント/L' APPARTEMENT
   1996年・フランス映画
監督:ジル・ミモーニ 脚本:ジル・ミモーニ、ピラール・トマス=ジメネス 撮影:ティエリー・アルボガスト 音楽:ピーター・チェイス 出演:ヴァンサン・カッセル、モニカ・ベルッチ、ロマーヌ・ボーランジェ、ジャン=フィリップ・エコフェ、サンドリーヌ・キベルラン、エヴァ・イオネスコ

★書こうと想っている映画は溜まる一方。これも随分前になるけれど『ホワイト・ライズ』を観て、『アパートメント』を観直した時の印象を。『ホワイト・ライズ』でのジョシュ・ハートネットはなかなか好きだった。ダイアン・クルーガーが好きなので観たのだけれど、ハリウッド・リメイクながら結構愉しめたもの。でも、『アパートメント』を久しぶりに再見すると、やはりこちらの方が断然面白くトリックも結末も悲愴感を残し好きだと再確認した。このフランス映画の『アパートメント』の共演を機に、ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチはご縁が出来ご夫婦となられたのだったと想う。今観ると、みんなお若い!ロマーヌ・ボーランジェ扮するアリス役が実はとても複雑で重要な役。そんな点も『ホワイト・ライズ』の方では違った感じ(リメイクなのだから同じではないのだけれど)。このDVD化のジャケットにも当時のビデオにも表紙に登場しないリュシアン役のジャン=フィリップ・エコフェも重要な役。私はこうしたややこしい展開のサスペンスは好きなのだけれど回転が鈍いので、幾度も観ないと理解できない。よって、これで『アパートメント』は3度観たことになる。秀作だと想う!エヴァ・イオネスコがちょこっと空港の受付で出演しているけれど、このお方はやはり少女時代が良い★

『アパートメント』の劇中で、効果的にかつ印象深く使われている楽曲は、シャルル・アズナヴールの『今ぞ、この時』(名曲!)。『ホワイト・ライズ』では英米のインディーシーンの楽曲たちが多く流れていたけれど、私の大好きなマジー・スターの『フラワーズ・イン・ディセンバー』も使われていてこれはとても嬉しかった!!

それにしても、最近のアメリカ映画はリメイクが目立つように想うのだけれど、音楽だってカバー曲が目立つのと同じなのだろうな。良い作品は受け継がれてゆくものなのだと想う♪

★《アパートメント》の主要な役柄とキャスト★
マックス役:ヴァンサン・カッセル 
リザ役:モニカ・ベルッチ 
アリス役:ロマーヌ・ボーランジェ 
リュシアン役:ジャン=フィリップ・エコフェ 
ミュリエル役:サンドリーヌ・キベルラン 

★《ホワイト・ライズ》の主要な役柄とキャスト★
マシュー役:ジョシュ・ハートネット
リサ役:ダイアン・クルーガー
アレックス役:ローズ・バーン
ルーク役:マシュー・リラード
レベッカ役:ジェシカ・パレ

ホワイト・ライズ/WICKER PARK
   2004年・アメリカ映画
監督:ポール・マクギガン 脚本:ブランドン・ボイス 撮影:ピーター・ソーヴァ 音楽:クリフ・マルティネス 出演:ジョシュ・ハートネット、ダイアン・クルーガー、ローズ・バーン、マシュー・リラード、ジェシカ・パレ

●アパートメント 【VHS】 1996年・フランス映画 (shop BRIGITTE)
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# by musiclove-a-gogo | 2010-05-01 00:02 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『クリスチーネ・F』ウルリッヒ・エデル監督 原作:『かなしみのクリスチアーネ』音楽:デヴィッド・ボウイ

懸賞 2010年 04月 27日 懸賞

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クリスチーネ・F/CHRISTIANE F.  
1981年・西ドイツ映画
監督:ウルリッヒ・エデル 原作:カイ・ヘルマン、ホルスト・リーク 脚本:ヘルマン・バイゲル 音楽:デヴィッド・ボウイ、ユルゲン・クニーパー 出演:ナーチャ・ブルンクホルスト、トーマス・ハルシュタイン、イェンス・クーパル、クリスチーヌ・ライヒェルト、クリスチーヌ・レハル、デヴィッド・ボウイ

★先日の「すきすきーエレポナイト ドイツ特集 "pre WGT2010 special"」とっても楽しかったです!お久しぶりにお会い出来たお友達との語らい、素敵な音楽と空間、まったりした不思議な雰囲気の真夜中の「私の好きなドイツ映画」のレクチャー...レクチャーと云うには程遠いミーハーなおしゃべりタイムとなっていました。けれど、優しき友たちが居てくださったお陰でなんとか!ファスビンダー、ヘルツォーク、シュレンドルフ、ヴェンダース...という監督作品がかなりお気に入りのドイツ映画な私なのですが、初めて劇場(映画館)で鑑賞したドイツ映画は『クリスチーネ・F』でした。まだ10代で原作どころか内容すらよく知らずに、ただ”デヴィッド・ボウイが出演している!”というだけの初見。それでも、分らないけれどもショックを受け何かが突き刺さったようで、直ぐに原作を買いに行き読み終えた後、自分の気持ちがどこにあるのかさえ分らないまま涙したことを覚えています。そんな重いけれど想い出深い映画なのでこのお話と、1977年のボウイのベルリン三部作やブライアン・イーノやロバート・フリップとの制作などのお話を思いつくままにお話していたようです。もっと後から云い忘れたような想いがあれこれとありましたが、貴重なお時間を私に与えてくださった良き友人でもある主催者・スタッフの方々に感謝しています。ありがとうございました!

そこで、劇中ボウイが”デヴィッド・ボウイ”として登場されるライヴ映像を!クリスチーネがレコードをかけているところから始まります。『CHANGES ONE』のボウイのベスト・アルバムが2枚重ねてあります。その後ろのレコードもボウイです。コンサート会場に居るクリスチーネの着ているジャンパーの後ろには「BOWIE」と!どれ程、クリスチーネにとってデヴィッド・ボウイという存在が光り輝くものだったのかと、私も14歳からボウイが好きになったこともあり、この少女にとってボウイという存在が心の拠り所であったのだと共鳴するのです♪



<ボウイを見つめる美少女クリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト) >

★以前綴った映画『クリスチーネ・F』の劇中でのボウイのライヴ映像を再び観ていて涙が止まらないのだった。「ボウイ館」でそのことは触れてはいない。今も目が痛くてたまらないけれど、綴っておかなければ...と想うままに。この映画の中のクリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト)は美少女。その少女が(友人たち少年少女も)転落の道を辿る。この画像は、その大好きなボウイのコンサートの舞台を見つめるクリスチーネ。周りの笑顔のファンとは違う。この眼差しに私は胸が締めつけられる程に感情移入できる。クリスチーネにとってデヴィッド・ボウイとは神に等しいのだ。プラットホームでボウイのコンサートを知る時、クリスチーネは劇中唯一の笑顔を見せる。あの瞬間、あの場面が大好き。また、このボウイのライヴを見つめ微かな笑みのようなものも感じられるけれど、夢か幻か、その場の自分さえ分からない。得たことの無い感情を初めて覚えた時の戸惑いは誰もが体験しているだろう。私はボウイを最前列で拝見したことはないけれど、このクリスチーネの心の拠り所である存在がボウイなのだと共感できる。13歳の美しい少女。私は少女映画(少年も)が好きなので色々なテーマのものを観るけれど、この映画は異色中の異色。おせっかいな説明(教訓)など一切無い。すべて少年少女たちの行動を映す。悲しいのは、大好きなボウイのレコードをお金に換えてまでヘロインという魔に引き寄せられてしまう...。少女たちに笑みを与えることができるのは日常を共に過ごす大人たちではない。ボウイだから感情移入できるのかもしれないけれど、この思春期の心の揺れ、葛藤、不安、孤独感をどのように通過してゆくのかは人それぞれ。立派な大人になれる人もいれば、まだこんな具合の私のような者もいる。少女から大人への通過儀礼に失敗したのだろうか。よく分からないので、こうして想いを綴る。いつになれば解放されるのだろうか。死に至るまでの覚悟が必要なのかもしれない。

2009.4.25.

<『クリスチーネ・F (われら動物園駅の子供たち)』のナーチャ・ブルンクホルスト:NATJA BRUNCKHORST>

★『クリスチーネ・F』は、クリスチアーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの手記『かなしみのクリスチアーネ』、あるいは『われらツォー駅の子供たち(われら動物園駅の子供たち)』を原作とした映画化。何から書き出せばよいだろう...という程、この作品から多岐に渡る想いがある。やはり、この映画を知るきっかけとなったのは、私の何処までもいつまでもヒーローであり続けているデヴィッド・ボウイ様のサントラから。ボウイはこの原作が出版された1977年はベルリンに住んでいた(かの「ベルリン三部作」の名作を作り出した時代)。実在するクリスチーネ.F.は1962年5月20日、北ドイツ生まれ。そして、この1981年の映画の中でクリスチーネに扮するナーチャ・ブルンクホルストは、1966年9月26日、ドイツ・ベルリン生まれ。日本公開は1982年。私は正しく思春期でボウイが出演していなければ観ただろうか...と想ったもの。かなりの衝撃を受けた!そして、陰惨たる想いの中、原作も買って一気に読み終えたものだ。この映画に主演している少年少女たちは初出演の素人の可愛い人たち。また、驚くべきことに、実在のクリスチーネもとても美少女だった!そして、12インチ・シングルをリリースしたりもしていた(そのバックにはアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)に僅か15.6歳の頃にメンバーとなっていたアレキサンダー・ハッケ(Alexander von Borsig)ことボルジヒもおり、当時のボーイフレンドだった)。ハッケはSprung aus den Wolkenにも在籍していた早熟の天才。こんな具合に繋がってゆくので面白い。

13歳の少女の青春映画というにはあまりにも冷徹に監督は描き出す。クリスチーネの現実に向き合うことは死の直前であるという凄まじいもので、監督の姿勢には一切甘えのようなものは感じられない。故に、”ツォー駅の子供達”の心象風景がドキュメンタリーのようにヒリヒリと伝わるように想う。ウルリッヒ・エデル監督作品はこの映画が日本初公開で、その他『ブルックリン最終出口』や『ラスプーチン』など幾つか観ている。また、音楽の担当はボウイの9曲の楽曲の他、ユルゲン・クニーパーが参加している。ヴィム・ヴェンダース作品などでも有名なお方。こんな風に今の私にも大きな影響を与え続けるデヴィッド・ボウイという存在は、いったい何だろう!と不思議で仕方がない。お話が行ったり来たりするけれど、このクリスチーネの友人だったバブシーという少女の死が報道される。この実在のバブシーがまたとても美少女だったので、この早すぎる死(犠牲)が痛く感じられた。クリスチーネはデートレフ(この少年も可愛い)に恋をしている。このボーイフレンドが先に薬物に手を染める。そのお金を調達するために、彼は男娼となっていた...そして、この13~14歳の少年少女たちの生活は薬物依存に突き進んでゆく。これらのお話が全て実話であるということ。そして、実在のクリスチーネがその死を目前にその世界から脱却できたこと、其処に至るまでの心の空虚さや心理状態などを私なりに想う...良かった!死なずに。ボウイは映画の中でも”David Bowie”として出演していて、ベルリン・ツアーの中で『ステーション・トゥ・ステーション』を歌うボウイ(とても素敵♪)を、夢見心地に見上げるクリスチーネの表情が忘れられない。地下鉄のポスターで大好きなデヴィッド・ボウイのコンサートを知る。その時の微笑んだ愛らしい表情!その気持ちは私にもあまりにも伝わるものだったから。

地下鉄のプラットホームに一人残されたクリスチーネの目の前で、公演をしらせるデビッド・ボウイーの大ポスターが貼られる。それを目にした時の彼女の微笑。それは何といったらいいのだろう。実に ― それこそ神に対面した時の笑顔で ― 見事な微笑をうかべ、これが映画を通じて唯一の微笑である。

作詞家の阿久悠氏がパンフレットに寄せたものの中でこのように記されている。さらに、この映画に詩を感じるとも。なので、ポエメンタリーだと興味深いお言葉が記されていた。

家にいる時の私には、デビッド・ボウイーのメロディだけが安らぎだった。彼の曲を聴いているとき、私は”普通の女の子”に戻れた。

このように語るクリスチーネはヘロインに手を出し、転落の道を辿る。その姿をウルリッヒ・エデル監督は淡々と描く。これもまた、感じ方は世代感というもので様々だろうと想う。私は幸いにも薬物に縁のない、バブリーな世代を思春期として過ごしてきた日本人。だからと言って、”私には関係ないわ、こんな荒んだ世界の汚い少女たち”とは想わない!私自身とは違う環境の人々の生活や心をこうして感じることができる。クリスチーネの心の闇や苦悩は分からないかもしれないけれど、想像したり思考したりすることは出来る。もっと、彼女に共感できる少年少女(だった人々も含めて)は、きっと想像以上に沢山世界中にいて今を生きているようにも想う。

2007.12.23.

<映画『クリスチーネ・F』とサウンドトラック>

1981年の西ドイツ映画『クリスチーネ・F』にボウイは本人役として出演し、劇中『Station To Station』を歌うライヴ・シーンで登場。とっても、カッコイイ!!(いつもながら♪)この映画のために、ボウイ自ら写真など資料を提供している。実在のクリスチーネ・F(当時は未成年だったので)こと、クリスチアーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの手記『かなしみのクリスチアーネ』、あるいは『われらツォー駅の子供たち(われら動物園駅の子供たち)』を、ウルリッヒ・エデル監督が映画化したもので日本公開は1982年。映画の中でクリスチーネに扮する少女ナーチャ・ブルンクホルストのことなどを『クララの森・少女愛惜』にて思いつくままに綴ってみた。『ボウイ館』ではそのサントラ盤の内容を記しておこうと想う。※映画の音楽担当は、ボウイの9曲の楽曲とユルゲン・クニーパによるもの。

2007.12.24.

関連:クララの森・少女愛惜 : ボウイを見つめる美少女クリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト) 映画『クリスチーネ・F』より再び♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-27 07:27 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『すきすきーエレポナイト ドイツ特集 "pre WGT2010 special" 』 4月23日(金) 場所:あめりか村SOCIO♪

懸賞 2010年 04月 23日 懸賞

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『すきすきーエレポナイト ドイツ特集 "pre WGT2010 special" 』

4月23日(金)
場所:あめりか村SOCIO

open 22:00- 入場料 1500円 (2drink+エレポ会場内専用通貨付き)

レクチャーショー WGT2010 WGT2010出演アーティストプロモビデオ紹介 など

私もレクチャーすることになりました!
私の好きなドイツ映画とドイツ音楽のことです。
今から考えます。どうか応援よろしくお願いいたします(ペコリ)♪

※決定次第、お知らせさせて頂きます★

【DJ】
12-Matrix
picorin
Helvete
Velvet Moon

【Shop】
Velvet Moon
Candy Jane

今回もDJとVELVET MOONのブースも出させて頂きます♪
DJは今回はジャーマン・オンリー!なので、yamaten und chouchouで参加させて頂きます。

久しぶりの「エレポ・ナイト」☆とっても楽しみです!

皆様、是非ともお越しくださいね。
どうぞ宜しくお願いいたします!!

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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-23 22:00 | 愉快な仲間たちとのパーティー♪

『風が吹くとき』 監督:大島渚 原作:レイモンド・ブリッグス 主題歌:デヴィッド・ボウイ(1986年)♪

懸賞 2010年 04月 17日 懸賞

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風が吹くとき/WHEN THE WIND BLOWS
イギリス映画・1986年
監督:ジミー・T・ムラカミ 日本語監修:大島渚 原作・脚本:レイモンド・ブリッグス
音楽:ロジャー・ウォーターズ 主題歌:デヴィッド・ボウイ
声の出演:ジョン・ミルズ、ペギー・アシュクロフト声の出演(日本語吹替版):森繁久彌、加藤治子

★英国のイラストレーターであり児童文学作家であるレイモンド・ブリッグス(Raymond Briggs)の作品『風が吹くとき』(1982年刊行)の映画化。実写を交えたアニメーション映画で監督はジミー・T・ムラカミ。日本語版の監修・監督は大島渚で、主人公のジムの声は森繁久彌、ヒルダの声は加藤治子。主題歌はデヴィッド・ボウイでエンディング曲他をロジャー・ウォーターズが担当。その他にもジェネシス、ヒュー・コーンウェルなどの曲も使われていた。また、英語版での声優はジョン・ミルズ、ペギー・アシュクロフトと豪華。

私は最初は日本語版で鑑賞したもの。勿論、主題歌がボウイだということで観る使命を勝手に感じていたので。日本での公開は1987年。まだ米ソによる冷戦は終結していない時期だったと振り返る。日本はバブルな状況だった。ここ数日、また胃腸の調子が良くなくて不調な上に、何故だか「戦争」に関する作品にばかり遭遇している。この映画はそんな流れで意識的に観直そうと想って鑑賞した。当時の私と今の私では感じ方もかなり違う...。

お話は、ロンドン郊外の田園地帯で長閑な暮らしをしている老夫婦のジムとヒルダ。ある日、ラジオから「3日以内に戦争が起こる(爆撃される)。」というニュース。国から配給された「核戦争に生き残るための手引書」に従い、屋内にシェルターを作る。食料やお水、紙袋に砂なども用意して。そして、「ミサイルが発射された」というニュースを受け、干したままのお洗濯物が気になるヒルダをジムは急いでシェルターへ。爆撃後のお家の中も外も、周りの自然もすべて真っ黒に焼けてしまった。政府からの救援隊が来ると信じながら二人は放射能に侵され日に日に衰弱してゆく・・・。

柔らかな絵と語り。ジムは第二次世界大戦の折のことも忘れていないのでごっちゃになったりしながらも英軍の勝利を信じているし助けが来ることも信じている。その「核戦争に生き残るための手引書」というマニュアルを信じて行動していたのだけれど、終末へと向かう生とは?と考えさせられる。緊急事態での老夫婦の会話の数々、ヒルダが庭先でたんぽぽの綿毛をそおっと吹くと妖精やお花が舞う...ヒルダの妄想ながらそんなヒルダが私は好き。けれど、すべて焼け尽くされ二人は衰弱してゆく姿は悲しい。

ボウイはこの原作者レイモンド・ブリッグスの『スノーマン』(1978年)の映画化の折も、ナレーション担当と少し出演もされていた。久しぶりにYouTubeよりデヴィッド・ボウイの歌うタイトル曲の『風が吹くとき』のビデオクリップを。最後に小林克也さんの語りも聞けます♪


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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-17 09:36 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『グロリア』監督:ジョン・カサヴェテス(1980年)★ハンサムな女優ジーナ・ローランズに惚れ惚れ♪

懸賞 2010年 04月 14日 懸賞

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グロリア/GLORIA
1980年・アメリカ映画
監督・脚本:ジョン・カサヴェテス 撮影:フレッド・シュラー 音楽:ビル・コンティ
出演:ジーナ・ローランズ、ジョン・アダムス、バック・ヘンリー、ジュリー・カーメン

★素敵なジーナ・ローランズは、ご主人であり監督兼個性派俳優であった故ジョン・カサヴェテス映画には欠かせない存在。『フェイシズ』『こわれゆく女』『オープニング・ナイト』と好きなカサヴェテス映画は多い。全て、このジーナ・ローランズの存在はあまりにも大きい。この『グロリア』で、おそらく私にとっては初めてピストルの似合うハンサムな女性と出会う事になったように思う。勿論スクリーン上での事ながら。

1980年作品でこの時、ジーナ・ローランズは50歳頃。もうすっかり中年なのだけれどクールでタフで知的な凄い女性なのだ。シャロン・ストーン主演でリメイクされているというけれどまだ未見...というか気が進まない。元の『グロリア』でこれ程印象強く焼き付いたかっこいい女性グロリアはジーナ・ローランズの為にカサヴェテスが制作したような傑作なのだから。(でも偏見は良くないので機会が有れば観ようと思う。)

お話は、ひょんな拍子でギャングに両親を殺された少年を任され、マンハッタン中を駆け回る。友人の子供というだけで、このグロリアはあまり子供好きなタイプの女性ではないようなのだ。それが一緒に逃げ回っている内に次第に二人の中の信頼感と愛情の様なものが生まれてくる。ギャングを相手に女性一人が子供を連れて怖じ気づく事もなく、次々と瞬時に頭を回転させ行動する。あまりにも機敏で勇敢なのだ。嘗てギャングのボスの情婦だったグロリアならではの行動でもある。カッコイイ悪女という感じ。性悪では決してないところが魅力だとも思う。額に手を当て考える姿、いざとなれば毅然と腰に手を当て片手にはピストル!そして、あの眼差しの鋭さ。惚れ惚れしてしまう。私なら、ジタバタビクビクで即死間違いない状況...。

最も好きなシーンはやはりラスト!少年フィル(ジョン・アダムス)とグロリア(ジーナ・ローランズ)が再会して抱き合う。まるで本当の親子のように二人ともたまらない笑顔を見せる。フィルが丘からグロリアの姿を見つけ駆け寄る時のスローモーションも粋だし、ビル・コンティの哀愁の旋律も見事な名場面だと思う。他には、シルクのスーツ姿から見える太すぎず細すぎずの締まった脚と美しいブロンドの髪。そんなグロリアが口笛を鳴らしてタクシーを止め、片足でそのドアを開けるシーン。何だかとてもイカスのだ。僅か6歳のフィルに、荷造りをしながら「生きることは大変なの。死んじゃおしまいよ。」と告げるグロリアの言葉に胸を打たれる。ふとした表情や仕草もとても繊細で、カサヴェテスはそれらを上手く描き出しているとも思う。台詞以外の表現の素晴らしさも忘れてはならないと。そして、決して最後まで諦めないグロリアの勇姿に美を感じる。本当に美は様々!ただお上品なものだけが美しいのではない。でも、このクール・ビューティーさは単なる性悪女ではダメ。知性と情熱が不可欠。そして優しさも!

この映画はギャングやサスペンス映画でもあるのでしょうが、私はこのグロリアという女性のタフさや闘いに胸が熱くなる。それは彼女がただ強い女性だとうだけではなく、彼女は自分とも闘っている姿がかっこいいと思えるから。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-14 11:10 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『コレクター』監督:ウィリアム・ワイラー原作:ジョン・ファウルズ音楽:モーリス・ジャール(1965年)♪

懸賞 2010年 04月 12日 懸賞

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コレクター/THE COLLECTOR
1965年・アメリカ映画
監督:ウィリアム・ワイラー 原作:ジョン・ファウルズ 脚本:スタンリー・マン、ジョン・コーン
撮影:ロバート・サーティース 音楽:モーリス・ジャール
出演:テレンス・スタンプ、サマンサ・エッガー、モーリス・ダリモア、モナ・ウォッシュボーン

★80年代にある友人達数人で映画のお話をしていた。”今まで観た中で一番怖かった映画って何?”という質問だった。その中の一人の女性がかなりの感情溢れる表情で挙げたのが、このウィリアム・ワイラー監督の『コレクター』だった。私はその時も今も大好きな作品のひとつ。観返す度にあの時の彼女の様子を思い出すもの("思い出すのも恐ろしい!"といった表情だった)。私は怖がりのくせにサイコ(サスペンスやミステリー等)ものは好きで、逆に鮮血ホラーやスプラッターものが怖くて苦手...アルジェント作品は観たいので観てはいるけれど直視できない場面が多い...ただ美少女観たさというミーハー故にとても覚悟が必要!

この『コレクター』は好き嫌いの分かれる作品のようだけれど、ほとんどの場面はテレンス・スタンプ演じるフレディとサマンサ・エッガー演じるミランダ。カンヌ国際映画祭でお二人とも男優賞と女優賞を獲得されている。蝶のコレクションを子供の頃から続けているフレディは、銀行員ながら職場でも友人はいなくからかわれたりして孤独。ある日、フットボールの賭けが大当たり!7万1千ポンドという大金を手にすることに。そして、古い一軒家を購入する。フレディは少しの躊躇はあったものの今まで抱いていた夢を実現させるために実行する。これは犯罪であり刑が下ることだと理解してもいる。かねてからレディングのバスで幾度か一緒に乗り合わせていたロンドンの画学生ミランダの誘拐。車で追いクロロフォルムを嗅がせてミランダを気絶させ一軒家の母屋に続く地下室へ。目覚めた時のミランダの気持ちはどんなだっただろう!ミランダの立場になって想像する恐怖感、また世の中(人々)に溶け込めないフレディ...。この映画はアメリカ映画ながら舞台はイギリスで主演お二人も英国俳優なので「イギリス映画」でもあると想う(英国タイトルは『The Butterfly Collector』)。

フレディがミランダに長年の蝶のコレクション部屋を見せる場面。珍しい数々の蝶々を綺麗に並べて飾っている。それらを説明する時、蝶を追いかけている時のフレディは目も輝き愉しそう。引き出しの中の蝶のケースにミランダの顔が重なる場面はハッとする。彼女はフレディの世界を死の世界と理解できない。また、ミランダの愛読書である『ライ麦畑でつかまえて』やピカソの絵の世界を理解できないフレディ。こういうことは多分にあること。自らの愛する世界を愛せばよいのだと私は想い、共有できるお方もいれば馬鹿にされることもある。そういうものなので他人に強制したりはしない。けれど、フレディは子供のようであり、コンプレックスもかなり強いようだ。ミランダは自分の意見を言える女性でフレディに歩み寄ろうとさえしていたけれど...最後は肺炎で死んでしまう。ミランダの死、憧れのミランダと過ごした4週間を振り返るフレディ。彼女は死にもう戻っては来ないのだと理解する。しかし、高望みをし過ぎたと他の女性を車で追う...この心の冷徹さはやはり異常である。しかし、モノの蒐集癖のある人々は多い。私も多少そうだし、蝶のコレクターが全て異常者であると想われるのは浅はかだと想う。この映画は今から40年以上前の作品。今の日本、現実の事件としてもあること。しかし、この映画が幾度もDVD化され安易に観ることができるのは芸術作品であるからだろうと想う。フレディの抱いていた来た妄想世界を実行してはいけないけれど、私も常に脳内に陳列される”美しい世界”を持っている。現実を見れば見るほど妄想世界との往来は重要なものに感じている。

モーリス・ジャールの音楽も好きだしファッションも素敵!テレンス・スタンプは好きな英国男優さまでもあるし、サマンサ・エッガーも素晴らしいと想う。フレディのモッズ・スタイルのスーツ姿、ミランダの鮮やかな黄色いお洋服。でも、最も印象に残るのはやはりフレディの目かな。ちょっとした仕草も繊細な演技に想えた。『コレクター』という作品がとても大好きなのである。当時から評価の高い作品で各国の賞にも輝くもの。そうでない微妙な心理を描いた作品はまだまだあり、湾曲され色眼鏡で邪な見方で揶揄される好きな作品たちは報われないなあ...などと想うことも多い。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-12 10:30 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『女の顔』監督:グスタフ・モランデル(1938年)★イングリッド・バーグマン主演の異色スウェーデン映画

懸賞 2010年 04月 12日 懸賞

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女の顔/EN KVINNAS ANSIKTE
1938年・スウェーデン映画
監督:グスタフ・モランデル 原作:フランソワ・ド・クロワセット 脚本:イエスタ・スティヴェンス、スティナ・ベルイマン、ラーンヒルド・プリム、撮影:オーケ・ダールクイスト 音楽:エリック・ベントソン 出演:イングリッド・バーグマン、ヨールイ・リンデベルイ、トーレ・スベンベルイ

★1938年のイングリッド・バーグマンがハリウッド・デビューする前のスウェーデン映画。当時、バーグマンは20歳過ぎでお若い。既に本国では人気の女優さまであったと思うのだけれど、このような役柄を演じておられる辺り、流石!フランス劇の原作を映画化したものだそうだ。1941年にはジョージ・キューカー監督、ジョーン・クロフォード主演の作品もある。

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イングリッド・バーグマン演じるアンナの片方の顔には火傷の痕(酷いケロイド)がある。そのために暗い少女時代を送り、現在も人に言えない仕事をしていた。仲間の男性たちと、人の弱みに付け込んでは大金を得るという、ゆすり屋である。悪人のアンナは男性達に引けを取らないキレ者の存在。あるお金持ちのご夫人が次のターゲット。彼女のご主人は整形外科医のお方で、そのゆすりの場面で出会うことになる。その医師はアンナの顔を見て気の毒に思い整形を勧めるのだった。奇しくも整形手術で美しく生まれ変わったアンナは、ある貴族の甥トルシュテンを殺し財産を奪うという計画のため、執行者として家庭教師を捜していたそのお屋敷に向かうのだけれど、その貴族トルシュテンと恋仲になる。次第に本来の目的を実行することに戸惑い葛藤が起きる。美しく別人のようになったアンナは荒んだ心までも美しさを取り戻して行った。結局、仲間を裏切り、その計画を阻止しようと決意する。

お美しいバーグマンは数々の映画で拝見しているけれど、前半の火傷のお顔のバーグマンは初めて。それでも、セーターにパンツルック姿の颯爽としたお姿は綺麗!巧みに演じ分けているのも流石で、前半のアンナの喋り方などもなかなかカッコよかったりする。鏡を見て映る自分のその姿。その時の仕草や表情などには女心が表れていて可哀相にも思えた。また、この映画はスウェーデン語なので、本国の言葉で特異な役を演じた名女優イングリッド・バーグマンを拝見できたので、もう、それだけでも感激でもあった。それにしても、何を観ても素晴らしい女優さま☆

私がまだ中学生頃だったかと思う。母とお買い物に行くバスの中で、顔の片方に青いアザのようなものに覆われた少女と出会ったことがある。大人しそうなお方で歳も当時の私と然程変わらなかったように思えた。見つめてはいけないと思った。記憶とは不思議なもの。この映画を観て、その名も知らない少女のことを思い出せて嬉しい。

●女の顔 【DVD】 1938年・スウェーデン映画 (shop BRIGITTE)
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-12 10:09 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『チャーリー・ブラウン』 詩:谷川俊太郎 ~ 『CHARLIE BROWN』 SERGE GAINSBOURG(1969年)♪

懸賞 2010年 04月 11日 懸賞

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『チャーリー・ブラウン』 詩:谷川俊太郎

いつきみはひげが生えるの
丸い頭の子
ぼくらがみんな
ゲート・ボールしかしなくなっても
きみは相変わらず野球に夢中

ジャンパーのポケットに手をつっこんで
不死なる敗北を嘆きつつ歩むきみの姿に
スーパーマンは顔を赤らめ
ハムレットは顔をそむける

★すっかり白い冬は過ぎ去り長閑な春の陽気の日曜日。私のこれまでの人生の半分は日曜日や祝日とは無縁の生活を続けていると気づく。それでも、やはり日曜日って好き!子供の頃からずっと。小学生の頃から大好きなスヌーピーとチャーリー・ブラウン、そしてその仲間たちも。みんな愛すべき存在なのだけれど、殊にチャーリー・ブラウンが大好き。女の子はマーシーが好き。思えば、子供の頃からヨーロッパの異国文化に幼い無知な心ながらある憧憬を抱いて来た。今も継続されているけれど、初めて私がアメリカの文化で親しみを持てたのはチャールズ・M・シュルツのコミックの中の少年少女たちとスーパー犬のスヌーピーだった。伊丹から池田行きのバスで1時間弱。すると「スヌーピーの店」があった。お友達と日曜日に幾度か行ったものだ。母にお小遣いを貰ってなので、お店の上の方に陳列されているものは高価で買えない。なので、小銭で買える文房具やハンカチなどを買って帰る。それで充分嬉しかった。中学になっても下敷きなどはまだ使っていた。そして、すっかり年月を経た今も私はチャールズ・M・シュルツのコミックを読み続け、「スヌーピーと仲間たち」から多くのことを学び続けてもいる。コミックではあるけれどアメリカ文学でもあると思う。

上の谷川俊太郎さんの詩も大好き!多くの翻訳をされているので、どの本で読んだのか覚えていないのだけれど、古びたノートに書き残されていた。こんな事が長年続いているので、こうしてブログに書き写す作業をしているようでもある。

愛しき甥たちもまた幼い頃からケーブルTVなどのお陰で『スヌーピー』のお話に詳しくて、共通の話題が持てることを幸せに思っている。上の甥はとても感性的なものが似ているような大の親友なので、一等好きなのはチャーリー・ブラウン。下の甥はライナスらしい。気が弱いけれど心優しき少年チャーリーもまた、私には永遠の少年のお一人なのだろう。セルジュ・ゲンスブールの曲に『チャーリー・ブラウン』(1969年)がある。映画のサントラをセルジュが手掛けたもの。残念ながらその映画は未見なのでいつか観てみたい。セルジュ・ゲンスブールはエロティックなイメージが強いようだけれど、品性を失わないエロス故に文学的でもあるのだし詩的でもある。今の時代とは違う、あの挑発のセルジュの内面には内向する繊細な魂が見える。そんな内向する精神という点でもやはりデヴィッド・ボウイとの共通項を感じてもいる。なので、あんなに素敵なメロディーが生まれるのではないだろうか...と大好きなので贔屓目いっぱいで説得力などないけれど♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-11 11:55 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ファスビンダーのケレル』ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー原作ジャン・ジュネ『ブレストの乱暴者』

懸賞 2010年 04月 10日 懸賞

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ファスビンダーのケレル:QUERELLE
1982年・西ドイツ/フランス合作映画
監督・脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 製作:ディター・シドール原作:ジャン・ジュネ 
撮影:クサファー・シュヴァルツェンベルガー 音楽:ペール・ラーベン 出演:ブラッド・デイヴィス、ジャンヌ・モロー、フランコ・ネロ、ギュンター・カウフマン、ハンノ・ポーシェル

★ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『ケレル』。ちょっと、老年期に入る前のジャンヌ・モローが観たくなって久しぶりに観たもの。今さら、という感じだけれど、豪華国際俳優陣!原作はジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』。そして、ファスビンダー監督の遺作(残念!)。好き嫌いは分かれる作品だろうけれど、私は間違いなく大好き。ジャン・ジュネが好きだということも大きいけれど、この映画はかなりファスビンダーの世界、感性と融合されたものに思う。人口的な雰囲気・空間は意図的なのか、やや不安定な動きをされるかの様な役者方。波止場、水兵たち、売春宿...そこの経営者(男色家ノノ)の妻リジアヌ役がジャンヌ・モロー。退廃的で美しい!

リジアヌが劇中で歌う、「誰もが愛するものを殺す」と。ジュネの小説のあの噎せ返る花の匂いが好き。そして、『ファスビンダーのケレル』も熱帯的な空間を彩る色たち(オレンジ、イエロー、ブルー)と共に、犯罪に至るまでの空間が好き。ホモセクシャルの映画が生理的に苦手な友人もいる。ロリータ映画も同様に苦手な友人も。でも、どうしてかとお話を聞くことは私がどうして好きなのか、という事にも繋がる事が多いので楽しいから好き。ニューヨーク・タイムズ紙などは、批判的なコメントでもあった。でも、的確に冒頭の活字に触れて言及されていた。ファスビンダー監督は「《ジュネの原作に基づく映画》とせず、《関する映画》だ」と。なるほど!と思う。ご自分の死を知っていたかのように私はジュネの原作映画というよりも、ご自身も男色家だったファスビンダーならではの遺作に相応しい美しい作品に思える。

※上記のものは3年程前に書いたものです。私は少年少女が主役の映画が大好き!なのですが、比較できない位に「同性愛」を面と向かって描いた映画、あるいはさり気なく描かれた映画にも即!反応してしまいます。それはいったい、いつ頃からなのだろう...何故だろう...と考えてもよく分からないのですが。最近の映画などではゲイである人物を登場させると今っぽい(?)のか、そんな扱いにハテ?と想うことが幾度かありました。男性が男性を、女性が女性を愛して何が悪いのだろう...と想い始めたのはやはり映画や文学からに想えます。興味本位でというのではなくて、鑑賞することで学び考えさせられるのです。露骨な性的描写は特に好みません。むしろ、心の通いを繊細に描いた作品程、感動も大きくいつまでも心に残っている作品が多いです。なので、「寄宿舎もの」の思春期の儚さも好きならば、フィルム・ノワールやハードボイルドの中で描かれる男同士の友情のような作品も大好きです!戦争映画の中で描かれる人間の姿も好きです。私には分らない「男の美学」という世界もまた、大好きな「少女世界」と私の中では無関係ではないようです。そんな訳で「大好きな同性愛映画」も今後、もっと此方で綴ってゆこうと想います♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-10 10:18 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998年)★ヒラリーとジャッキー姉妹の感動のドラマ♪

懸賞 2010年 04月 09日 懸賞

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ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ:HILARY AND JACKIE
1998年・イギリス映画 
監督:アナンド・タッカー 製作:アンドリュー・ペイターソン、ニコラス・ケント 脚本:フランク・コットレル・ボイス撮影:デヴィッド・ジョンソン 音楽:バーリントン・フェロング
出演:エミリー・ワトソン、レイチェル・グリフィス、ジェームズ・フレイン、デヴィッド・モリシー、チャールズ・ダンス、セリア・イムリー

★幾度も観ている大好きな映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』。原題にあるように、"ヒラリーとジャッキー"、この姉妹の子供時代からジャッキーが亡くなるまでの、お互いの人生と姉妹の確執が見事に演じられ描かれている。エミリー・ワトソンは本当に素晴しい女優さま。この『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』では20世紀最高のチェリストと絶賛されていた実在の人物を演じている。安易な役柄ではないと思う。そして、姉であるヒラリー役のレイチェル・グリフィスも地味ながらもいつも上手い!と思わせる素敵な女優さま。

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運命は残酷だ。幼い頃から姉はフルートの実力があったのだけれど、音楽家の道を断念し結婚し子供たちとの生活(ジャッキーからするとその姿はありきたりの平凡な主婦の姿だった)を選ぶ。妹の才能に幼い頃から嫉妬のような思いを抱いていたり、逆に幸せな家庭を持つ姉にジャッキーもある種の嫉妬を抱いていた。でも、結局はお互いに切り離せない血の絆を痛感しているし求め合ってもいるようだ。特にレイチェル・グリフィスの表情はいくつもの場面で感動的。

多発性硬化症という難病がジャッキーを襲う。日に日に思うように動かない身体、聴覚まで薄れていく、その悪化する中での葛藤と苛立ち。そして、エルガーの協奏曲の美しくドラマティックな旋律がさらにシーンを盛り上げるので、息が詰まる程の複雑な感動を受ける。

「何も心配しないでいいのよ。」という言葉。幼い頃二人で海岸で抱き合っていたあの光景は共に永遠のものだったのだろう。最も大切な人、ジャッキーが最期に本当に会いたかったのはヒラリーだったと思う。でも、その直後亡くなってしまう...。

弟と車での帰り道、カーラジオから妹の訃報を知る。その、あのヒラリー、レイチェル・グリフィスの繊細な演技の見事なこと(オーバーアクトではないのでさらに感動が込み上げる)。何度観ても涙に溢れる大好きな作品、心に響き過ぎ苦しいくらいに素晴らしい!

※2005年10月8日に書いたものに画像を追記してみました♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-09 10:33 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ルー・サロメ 善悪の彼岸』★ルー・アンドレアス・サロメを演じた美しきドミニク・サンダ(1977年)♪

懸賞 2010年 04月 08日 懸賞

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ルー・サロメ 善悪の彼岸/AL DI LA DEL BENE E DEL MALE
1977年・イタリア/フランス/西ドイツ合作映画
監督:リリアーナ・カヴァーニ 脚本:リリアーナ・カバーニ、フランコ・アルカッリ、イタロ・モスカーティ 撮影:アルマンド・ナンヌッツィ 音楽:ダニエル・パリス
出演:ドミニク・サンダ、エルランド・ヨセフソン、ロバート・パウエル

【ルー・アンドレアス・サロメ(LOU ANDREAS SALOME)を演じた美しきドミニク・サンダ(DOMINIQUE SANDA)】

ああ、謎に満ちた生よ、わたしはおまえを愛する
  友がその友を愛するように
  おまえの与えてくれるものが歓びであれ、涙であれ
  幸福であれ、苦悩であれ ─
  おまえの悲嘆ともどもおまえを愛する
  そしてもしおまえがわたしを滅ぼそうというのなら
  わたしはおまえの腕から身をもぎ離そう
  友が友の胸から身をふりほどくように ─

  力の限りおまえを抱こう
  おまえの炎をわたしに燃えたたせよ
  灼熱の闘いのさなかになお
  おまえの謎をいや深く窮めたい!

  ああ 百千の歳月を生き 思索しぬきたい!
  さあ 両の腕にわたしを抱きしめておくれ
  そして もはや幸福を恵めなくなったら
  よろしい、おまえの苦悩を与えるがよい     

「生への祈り」 ルー・サロメ

★この詩に感涙した大哲学者ニーチェは曲まで作ったという。ルー・サロメ自身、大学生の時に書いたこの詩を生涯持ち歩いたとも。 この自らの詩、そのものの様に世紀末を生き抜いた美貌の才女。ニーチェの生涯中、もっとも謎とされる時期、このルー・サロメと弟子格の若き哲学者パウル・レーとの「聖三位一体」なる生活。 ニーチェを中心にこのルーの「自由なる生」を美しい映像で描き出したのは、あの『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァーニ監督だ。作品名には『善悪の彼岸』と!そして、ルー・サロメ役はこのお方しか居ないだろう!というドミニク・サンダ様。 この1977年映画を80年代に映画館で観る機会に恵まれた。私の中でルー・サロメという女性はドミニク様と大いに重なり合い、ますます気になる存在となって行った。私は哲学研究者でも何でもない。ただ気になる存在だということ。 それが、ドミニク・サンダ、フリードリッヒ・ニーチェ、ルー・サロメという、私にとって嬉々なる組み合わせによる作品だった。こういう偶然性を愉しみながら今に至る様でもある。私如きが語る事さえ馬鹿げていると思う位、ニーチェはあまりにも難解だ。でも、好きなのだ。

ルーへの失恋から僅か10日で書き上げたと言われる『ツァラトゥストラはかく語りき」』の一部、そして完成。そして以前よりも孤独と苦悩は深まり数年後、彼は狂気に至る。 正気に戻ることなく1900年に世を去る。パウル・レーはというと、ルーとの5年間の 性的関係無しの同棲生活を送ったけれど、東洋語学者フリードリッヒ・カール・アンドレアスとの結婚話を聞き自殺。しかし、この夫とも"性的関係は持たない。他の男性との恋愛も許す。"という条件付きだった。そして、様々な新しい才能たちと親交 を結ぶ。ツェメクという精神科の医学博士との関係は妊娠もあり12年間続く。しかし、当時まだ無名の若き詩人、かのライナー・マリア・リルケと出会う。復活祭的良き関係は4年間。苦悩するリルケに、"その表現の苦闘は一人でこそ行わなければならないのだ"とルーは言い渡す。しかし、1926年、白血病でこの世を去るリルケはルーに手紙を書き続けた。 死の床でも「私のどこがいけなかったかルーに聞いて下さい。」と語ったという。嗚呼!リルケがまた好きな私であるのでここは辛い場面である。

20歳前後に書かれたと思われる「生への祈り」の詩そのものの!改めてこの「自由精神」におののく。頽廃と新しい文化運動や芸術の吹き荒れる世紀末ヨーロッパを生き、晩年はナチズム吹き荒れるゲッティンゲンで精神分析の研究を続け、1937年75歳で生涯を閉じた。晩年の最良の友人であったのはジクムント・フロイト。

「友情の三位一体」と題された写真(左上)。また有名な21歳時の高貴な黒いドレスに身を包む凛々しいお姿。容易にドミニク様を連想させるのだった。カバーニ監督が女性である事、女性による審美眼というものがあるならば、私はどうもこのカバーニ作品達と異常な相性の良さを感じてならない。

ルー・サロメの徹底したエロスの拒否はいったいどこから来るのか?という問題は様々な意見が有るようだ。真実など分からないけれど、ルー・サロメはロシアのペテルスブルグに生まれ、5人の兄達に囲まれて父に溺愛されて育った何不自由ない生活。 そして、当時のロシアでは仮想結婚が流行っていたという。そんな中、ルーは病弱だったけれど革命運動や女性解放運動への関心を強めていった...この様な少女期の環境・状況にもとても興味がある。裕福な生活よりも自己の表現を求めて稀なる女優となったドミニク・サンダ。やはり、他の誰にもこのルー役は適さないだろう!と確信するのだった。

2004.08.15

●追記●
上記は<「宿命の女捨遺」 ~泉のほとりの妖精たち~>と題した中で以前(ブログではなくVelvet Moonサイト内にて2004年8月15日に)書いたもの。ルー・サロメ、ニーチェ、そして映画の中でルー・サロメを演じる稀なる女優☆ドミニク・サンダ様が大好きです!パウル・レー役を演じたロバート・パウエルの最期は悲痛なものだった。彼はホモセクシャルである自分を見つけたのだろう。ニーチェ役を演じたエルランド・ヨセフソンも流石!の演技力と存在感で素晴らしい!と、「完全版」を劇場で再見できました。初見はやはり劇場で1985年。20年以上経過した中でのリバイバル上映(2006年)。当然、私もそれだけ歳を重ねている。ただ美しきドミニク・サンダ様を堪能していた頃とはまた異なる感動を新たに得られた。これだから好きな作品は幾度と観返すのだろうと想います♪
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-08 19:12 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『コルチャック先生』 監督:アンジェイ・ワイダ(1990年)★ヤヌシュ・コルチャックと子供たち♪

懸賞 2010年 04月 08日 懸賞

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コルチャック先生/KORCZAK 
1990年・ポーランド/西ドイツ/フランス合作映画
監督・脚本:アンジェイ・ワイダ 製作:レギーナ・ツィグラー、ヤヌシュ・モルゲンスターン、ダニエル・トスカン・デュ・プランティエ 撮影:ロビー・ミューラー 音楽:ヴォイチェフ・キラール
出演:ヴォイチェフ・プショニャック、エヴァ・ダルコウスカ、ピョートル・コズロウスキー、マルツェナ・トリバラ、ヴォイチェク・クラタ、アダム・シィミオン、アンナ・ネフレベツカ

★ポーランド伝説の人、ヤヌシュ・コルチャック(本名はヘンリク・ゴールドシュミット)の物語。アンジェイ・ワイダ監督は20余年もの構想の後に映画化を実現。この「コルチャック先生」を描くことはワイダ監督の生涯の課題の一つでもあったという。コルチャックを演じる、ワイダ作品ではお馴染みのヴォイチェフ・プショニャックは言葉に出来ない程素晴らしい!それに尽きると言える程。

コルチャックはユダヤ人一家の出身だったけれど、ポーランド人社会の中で多忙に過ごしていた。小児科医(世界初の)として、作家として、孤児院の院長として、子供達の川遊びを見守りながら楽しい日々を。しかし、ナチスの迫害は日増しに激化していた。コルチャックはユダヤ人をあらわす腕章を付けていなかったことから、咎められ拘留される(しかし、その後も腕章を付けることは決してしなかった)。子供達の食料を確保するために、ゲットー内の裕福な人達や慈善家の住まいを訪問しながらも、近づいて来る”死”というものを子供達に理解させるために、お芝居をさせた。タゴールの『郵便局』。コルチャックにとって自分の誇りや名誉はもはや不必要だったので、成金の男性や居酒屋に集う密輸業者達から献金してもらったり。すべて子供達の命のため。

この映画はお涙頂戴ものではない。表象的な博愛主義でもない。コルチャックの孤児達200人をナチスがトレブリンカ収容所へ連れて行く日がやってきた。子供達には用意しておいた一番良い洋服を着せ、ユダヤ人の印「ダビデの星」の旗を高く掲げ、コルチャックは先頭に立ち汽車に乗る。子供達がもっとも彼を必要とする時に傍にいてやること、彼等の尊厳を守ってやることが最後の願いだった。そして、彼は子供たちと共に死を迎えた。モノクロの美しい映像は悲劇を描きながらも、清澄で優しい情感に溢れている。故に、涙が止まらないけれど美しい心に酔う。そして、とても大切なことを教えて頂いたのだと嬉しくなる。そんな大好きな作品。

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★最後の夏を「小さなバラ」で過ごす子どもたち♪

【コルチャック先生(ヤヌシュ・コルチャック)と子供たち】
★アンジェイ・ワイダ監督の映画『コルチャック先生』(1990年・ポーランド作品)のことを、2年程前に綴ったことがある。でも、昨夜『コルチャック先生』(近藤康子著)を再読していると、此方に綴っておこうと想ったことは膨大な想いに膨れ上がり、泣き虫なので何もできない状態となってしまった。少し落ち着いたところ...。ヤヌシュ・コルチャック(本名:ヘンリク・ゴールドシュミット)はポーランドのユダヤ人であり、”子どもの権利条約の精神的な父”と呼ばれる教育者であり医者であり童話作家でもあったお方。トレブリンカ収容所へ送られる貨車に積み込まれる日がやって来た。ひとりの男性が一枚の紙を握りしめコルチャックを呼び止める。”ドクター!ドクター・コルチャック!あなたは残っていいのです。貨車に乗らなくてもよいのです。”とその紙を示す。子供たち(200名)、ステファ夫人、職員、みんながいっせいにコルチャックの顔を見る。200人の凍てつくような視線、放心、不安。コルチャックはただ、”私は子どもたちの父親です。子どもたちをどうして・・・(私だけがどうして)”と腰を曲げ、足を引きずり、貨車に入って行った。あの優しい目が、偽りと邪悪な魂に厳しい挑戦状を投げつけるかのように。子供たちとコルチャックの信頼の絆は永遠に絶たれることはなかった。

コルチャックは1911年から1912年にかけてワルシャワのクロフマルナ通り92番地に「ドム・シェロット(孤児たちの家)」を創った。ホームの母であったのは最期まで子どもたち、コルチャックと一緒だったステファ夫人(ステファニア・ヴィルチンスカ)。この「ドム・シェロット」にやって来る子供たちは原則的に7歳から14歳までの100人。次第に人数は増え、年齢にも多少のずれが生じてゆく。貧民街の浮浪児、親が投獄されている者、親が病気の者、戦争孤児、政治犯の子たち。コルチャックは、子供たちと一緒に集団生活をして初めて、彼ら子どもとはいったい何かを発見したという。

子ども!
彼らは、本当にいくつもの顔を持っている!
たくさんの仮面を上手に着けかえて、名優さながらの演技
仮面は相手の観客しだい、巧みに自在に着けかえていく。観客が、
母親、父親、祖父母、こわい先生、やさしい先生、遊び仲間、金持ち、貧しい人なら それに見合った人物になって登場、
純真かと思うと、ずる賢く
謙虚であって、傲慢
やさしそうで、意地悪
行儀がよくて、いたずらっ子
見事に変身する子どもたち
大人の目を逃れ、大人を騙す
猫かぶりの天才

『いかに子どもを愛するか』 より

1920年10月にポーランド・ソビエト戦争が終わり、新国境が定まりポーランドは東ヨーロッパの大国となる。コルチャックや職員、子供たち孤児は素晴らしい贈りもの「小さなバラ(ルジツカ)」を得る。1921年、ホームの活動も軌道にのってきた頃、亡き娘ルジャ(バラ)を偲ぶ記念としてある父親が贈ったもの。夏季休暇村として過ごしていた。20年後、第二次世界大戦が始まりホームがゲットー内に入る直前、コルチャックは子どもたちとこの「小さなバラ」へ最後の遠足をしている。

二つの”生”があるらしい
彼ら、大人の尊い、立派ないのち
ほんとうの人生
そして
僕ら、子どもの見せかけだけの、いのち
大人の楽しみのための人生
小さくて、かよわい子どもは、大人にとっての
気晴らしにすぎない
そして
こんな浅はかな考えがどこから生まれたのか
子どもは未来の人間にすぎないなどと―
いつか存在に値しようなどと―
いま、現在まで存在しないかのような
これは何を意味するのか
子どもたちは生きていないのか
子どもたちは何も感じていないのか
子どもたちは悩まないのか
大人たちのように

『もう一度、子どもになれたら』 より

1989年11月20日に国際連合総会で「子どもの権利に関する条約」が採択された。コルチャックが亡くなって47年経っていたけれど、”子どもの権利の大憲章”が必要だと強く願っていた、そのお心は国連「子どもの権利条約」に結実した。その尊い訴えが人々の心に響き、届き、受け継がれていったから。これは小説のお話ではない!コルチャックを救おうと人々が彼を収容所から出れるように努める。それらを最期まで拒み続け子どもたちと壮絶な人生を終えた教育者コルチャック(1878~1942)。肩書きなど何とも想わないお方だろうけれど、詩人であったとも想う。とても言葉では語ることのできぬ感銘を私は得ている。どうしても避けては通れないもの...”戦争”という中で生きる人々、肌の色や人種、貧富の差、世間の邪な偏見...それらは大人だけではなく、子どもたち、”生”を受けた時からの苦難でもあるということに疑問を持たずにはいられない。博愛主義や人権などという難しい言葉はどうでもいい☆

※以前に書いたものを纏めました。アンジェイ・ワイダ監督による映画『コルチャック先生』を初めて観た折の衝撃は凄いものでした。観た時期も個人的に良いタイミングであったのだろうとも想えます。それから今もなお、ヤヌシュ・コルチャックに関する書物を読むことが好きであり、どうしても遭遇する「戦争による悲劇」や「ホロコースト」、主に子供たちの多くの犠牲に関するものを優先して読んでしまいます。直ぐに浮かぶのは子供の頃から大好きなアンネ・フランクのあの笑顔。利発な表情と眼差しは随分長く私の心に刻まれたまま...こんな愛らしい少女が何故?!という疑問符ばかりです...なので観たり読んだりしてしまうのでしょう。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-08 11:12 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『イーディ:チャオ!マンハッタン』 主演:イーディ・セジウィック★60年代を駆け抜けた宿命のミューズ♪

懸賞 2010年 04月 06日 懸賞

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イーディ:チャオ!マンハッタン/EDIE IN CHAO! MANHATTAN
1972年・アメリカ映画
監督:ジョン・バルマー、デヴィッド・ワイズマン 脚本:キム・フォウリー、キム・ミルフォード 出演:イーディ・セジウィック、ウェスリー・ヘイズ、イザベル・ジュエル、ロジェ・ヴァディム、アレン・ギンズバーグ、クリスチャン・マルカン

★EDIEあるいはEDITHという女性を知った時、既に彼女はこの世を去っていた。でも、何か掻き立てられるものを感じてしまった。それは在る一枚のモノクロームな写真だった。か細い身体でショートカット(後に銀髪と知る)、レオタードタイツ姿があまりにも美しく、その長い足に見とれた。イーディーなるお方って?その可愛い笑顔でダンスするお写真に息を呑んだ。後に大好きなパティ・スミスも彼女の影響を強く受けていることを知り、さらに気になる存在に(存在していたというのが正しいのだろう。しかし、私の中では今も生きている)。そのお写真はモデル時代Vogue誌のもの、60年代だ。私はお部屋でこっそりとポーズを真似たりしていた。「こんなにダンスって楽しいのかな?」と。ディスコやクラブという場所を知らない少女期の衝撃だった。

そして、その後もイーディーに関する書籍を読んだりしているとアンディ・ウォーホルのファクトリーのミューズだったと知る。60年代を突き抜けたお方が此処にも居たのだった。ドラッグに溺れ身体をボロボロにしていく。当然お仕事も無くなる...荒んだ生活と精神。それでも、綺麗だった、可愛かった。ドラッグと精神病院を出たり入ったり、そんな時期にかのヘルス・エンジェルに拘わったりと散々な日々を送る彼女に久しぶりにお仕事がやって来た。それがこの『イーディ:チャオ!マンハッタン』だ。内容はどうだろう?セックスとドラッグに溺れて破滅への道を歩んでいるイーディーそのものという感じ。後味は決してよいものではなかった。でも、ただ笑うイーディーの顔が忘れられない、綺麗だから。でも、もう待ち受けるものは「死」しか無かった。そんな破滅へと向かうイーディーをドキュメンタリー然と捉えた監督は凄い!でも、1972年制作なのに発表されたのは1982年になってからと暫く封印されていた。

1971年7月にこの映画で知り合った青年とカリフォルニアで結婚生活を送る。幸せな日々は束の間...1971年11月に他界。死因は睡眠薬の多量摂取からだと。陽に焼けた白いウエディング・ドレスを着て幸せそうな笑顔のお写真、これもまた私の脳裏に焼き付いたまま。ウォーホルやディランの寵児であり60年代を体現していた一人の女性。60年代半ばのN.Y.アンダーグラウンドのアートシーン、ポピズムの女神だった。アンディ・ウォーホルは語っていた「イーディーは片時も静止しない。眠っている時でさえ両手を大きく広げて動かしているんだ。すべてがエネルギーって子だった。」と。そんなイーディーをカメラに写すウォーホルは楽しくて仕方なかっただろう。しかし、通常の生活には障害となることも多かったのではないだろうか?なので、駆け抜ける様に28歳の若さで美しいままこの世を去ったのかも...。

ファクトリーのスーパースター達はみんな魅力的だ。ニコもその一員だった。でも、それ以前に、イーディ・セジウィックは時代を作ったのだ。本人のお気持ちは分からないけれどそういう宿命の下にあった稀なる存在だったと思える。華やかな時期のピークは1965年前後だろう。それでもなお、当時を知らない私でも心に刺さった何かが今も取れないままなのだ。此処にもある種の「美」と「運命」に呪われた宿命の女性を見てしまう。

【イーディ・セジウィック:EDIE SEDGWICK★60年代を駆け抜けた宿命のミューズ】
★イーディ(本名イーデス・ミンターン・セジウィック:Edith Minturn Sedgwick 1943年4月20日~1971年11月16日) は、60年代をあまりの速さで駆け抜け、僅か28歳の若さでこの世を去ったミューズ。とても大好きなのでいつもの如く上手くは綴れそうにはないけれど、嘗て勢いで綴った『イーディ:チャオ!マンハッタン』(上記のもの)。イーディの死後完成され長らく埋もれていたもの。イーディは大富豪のお嬢様、それも伝統のある超良家。ドラッグや荒んだ生活と人気の絶頂期も借金まみれだった時期も、いつも実家が取り計らっていたという。寄宿学校に通う頃から拒食症で、19歳で躁鬱病で精神病院に入院(最初の)。詳しく分からないけれど、どうも父フランシスの父権家庭の問題は大きいようだ。イーディの兄も自殺しているし、弟は事故死している。イーディは父親に対する複雑な感情を最期まで心に抱いたまま、この世を去ってしまったように思う。”愛憎”まみれのまま。大人になれずに少女のままこの世を去ったイーディ。

アンディ・ウォーホルのファクトリーに入りスーパースターのお一人となる。ボブ・ディランとの恋の噂もあった。その頃のイーディを描いた映画『ファクトリー・ガール』(2006)では、イーディ役をシエナ・ミラーがダイエットの末、かなり良い雰囲気を出していた(予想以上に)。ルー・リードやボブ・ディランは酷評していたけれど...。イーディを1965年に『ヴォーグ』は”ユースクエイカー”と名づけている。そのレオタード姿のお写真は初めて私がイーディを知ったもの(後追いなのでヴォーグではない)。そしてそして!何と!!まだ無名の頃(ニュージャージー時代)のパティ・スミスはこの22歳のイーディのお写真と出会い、「とても強烈なイメージで、私はまさに”これだ”と思ったわ。時代としっかり結びついた知性とほとばしり、スピード感、私にとってあの写真にはすべてがある!と思ったの。」と語っている。パティがイーディに憧れていたことはその時点では知りもしなかった。でも、今ではパティもイーディもマリアンヌ・フェイスフルもニコも繋がっている、私にとってのある種のイコンとして。同じ時期、ロンドンにはツイッギーが!ジェーン・バーキンやミア・ファローもツイッギーに憧れていたと語っていた。ニューヨークにはイーディが眩いばかりに!パティ・スミスに信号を送ったお方。アンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ』(1965年)のDVD化を熱望している。以前、ウォーホル・フェスティヴァルのような企画で観ることができたのだけれど、何度でも観たい!私が勝手に思う少女像にも色々有るのだけれど、時代やファッションに流されるものではない、普遍的なもの、不滅の少女が大好き♥イーディはもう10代ではなかったけれど時代を彩ったミューズであり、私にとっての美しい少女のおひとりなので「少女イコン」とも云えるお方♪

※2007年8月21日に綴ったものに少し追記いたしました。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-06 18:31 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館(愛しきポップミュージック&ボーカル中心♪)』に改題♪

懸賞 2010年 04月 06日 懸賞

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★いつもご覧頂いている皆様、何かのご縁で訪れてくださった皆様、ありがとうございます!今年の初めに「音楽ブログ」として拙いものですが書き留めてゆこうと始めた当ブログなのですが、やはり、どうしても「音楽」のことだけを書くことができないという性分だと再認識している次第です。なので、ごちゃごちゃと想い出とともに気ままに綴っております。『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館(愛しきポップミュージック&ボーカル中心♪)』とブログ・タイトルを変更いたしました。

幾度も書いているかと想いますが、私の子供の頃に衝撃を受けた作品や人物や事柄は今の私と切り離すことはできません。小学生の頃の少女マンガや「少年少女世界文学全集」の想い出、あんなに心がトキメク光り輝く少女時代からのアイドル、郷ひろみ(HIROMI GO)から我がカリスマ・ロックスターであるデヴィッド・ボウイやマリアンヌ・フェイスフルの存在!両親の影響も多々あるのですが、映画が大好きになり、アラン・ドロン作品やシャーロット・ランプリング作品を観ているうちに出逢った一等好きな監督であるルキノ・ヴィスコンティの世界!そして、少し遅れて海外文学や音楽(ロックやポップス)に夢中になり、いつの間にかそれら愛する美しき住人たちと共に今も生きています。

どうしようもなく大好きなのです。重度の「大人になりたくない病」であった高校生から25歳頃を今回顧できる歳になりました。愛しき友たちのお陰で自然とその病は少し違ったかたちとなっているようです。「少女愛惜」や「少年少女愛好」と関係しているのだろうとも想えますが、自分の事ほど理解不能な厄介なものはないとも感じています。今の私は「美」を心に抱き、できるだけ心豊かに「人生謳歌」してゆきたいと想っています。おばあさんになっても、ずっと愛してきた「女神たち」はいつまでも私の心の住人であると想います。雑多な事柄が実は不思議な糸で結ばれている様子を心や頭の中で描くことが好きです。きっと、死ぬまで未完成の私の「偏愛の花園」あるいは「美の結晶のような私のお城(王国)」が築かれてゆくようです。不思議なのですが、私はその中には入ることはないようで、その廻りの草花や小石たちと一緒に小径を散歩しているような...そんな雰囲気です。

美しいものを眺めること、鑑賞することで心は満たされます。けれど、時々タイムスリップするもので「美」を崩壊するような邪悪な事柄にも遭遇します。殺戮の歴史に嘗ては目を逸らして生きていましたが、今は「見よう」とします。「見たくないものに目を背けてばかりいたらダメよ」とある友人の言葉。時間が必要でしたが今の私は「光」を求めるためには「闇」も見つめなければと。「人生謳歌」するには同等の悲しみや苦しみも受け入れなければいけないと想います。泣いてばかりいますが、同じ位に笑うことの歓びも得ています。幸せなことだと想います。

子供の頃から「調べもの」が大好きでした。図書館で借りれるだけの御本を持ち帰り机はいっぱいになる。そんな性格は今も変わっていないらしく、もう時間がまったく足りません。でも、自分の器内で特に急いだり焦ったりすることなく、心が向かうもの、心が躍るものをもっともっと追求してゆきたいのです。知らないことばかりで学びの人生の尊さに感謝しています。そんな私ですので、試行錯誤してきましたが、今後は主に「クララの森・少女愛惜」と「永遠のアイドルとガールズポップ愛好館(愛しきポップミュージック&ボーカル中心♪)」の二つのブログを中心に、大好きな音楽のこと、映画のこと、文学のこと、絵画のこと、神話や妖精のお話、少年少女愛好...などをつらつらと綴ってゆこうと想います。以前書いたものに追記をしたり纏める作業もしてゆこうと想います(重複することもあるのですがご了承ください)。

お気軽にコメント(お話)にお越しくださると嬉しいです。
どうぞ、今後とも宜しくお願いいたします!
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-06 08:37 | このブログについて

『にんじん』 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 主演:ロベール・リナン 原作:ジュール・ルナール♪

懸賞 2010年 04月 04日 懸賞

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にんじん/POIL DE CAROTTE
1932年・フランス映画
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール 撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン
出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネイ、ルイ・ゴーチェ、クリスチアーヌ・ドール、コレット・セガル、マキシム・フロミオ、シモーヌ・オーブリ

★ジュール・ルナールの原作もジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画も大好きな『にんじん』。なので、原作と映画が結構頭の中で混合してしまうので覚え書き...。すっかり夫婦仲の冷めてしまった後に生まれた次男のフランソワは「にんじん」と呼ばれている。赤毛でそばかすの多い少年ゆえに。母親は実子でありながら、この少年にだけ、愛情を持てない不幸な女性。長男のフェリックスを非常に可愛がり、長女のエルネスチヌにも優しい。不思議な位に「にんじん」を目の敵にしているのは、夫との愛情とのバランスからかもしれない。原作は特に淡々と簡潔な文体で、かつ鋭敏な観察眼で描写される。この小説はジュール・ルナールの体験(半自伝的)からのお話らしい。

原作より出番の多い映画での少女マチルドとの場面が好き。「にんじん」ことフランソワとマチルドが結婚式ごっこをする場面。音楽を奏でるのは名付け親であるおじさん。このおじさんと少女マチルドは「にんじん」が好きだし彼の笑顔が見れる人たち。もう一人、女中アネットの存在も欠かせない。母親が少年を何度も打つ場面がある。「にんじん」の楽しみを次々と奪い取るし、彼にばかり用事を押し付ける。そんな様子を見兼ねてアネットは主人のルピック氏に真相を話す。これは正しいのだと思える。親が子を必要以上に体罰(折檻)を与えすぎると虐待となる。その様子を知る大人が見て見ぬふりをしてはならないと!村での人望は厚いルピック氏は家では存在感がなく、ろくに会話もしない。あの食卓風景がよく表現している。そんな家族をさらりと描く。ユーモラスにも想える軽妙さは素晴らしいのだけれど、終盤、「にんじん」は池で死のうと考える。少女マチルドに告げると、「池は汚ないし、冷たいわ」と。「結婚できないのは寂しいわ」と語るあの言葉にトキメク!なぜならば、小さなマチルドは”結婚”ということも、”死ぬ”ということも理解していない心で語るので。けれど、彼女に納屋で死ぬということを告げたので、マチルドはおじさんに話す。そして、ルピック氏は息子の死を救うことができた。何も分かっていない少女マチルドは天使のような存在である。二人が花冠をつけて遊ぶ場面はモノクロながら鮮やかに映る♪
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そして、ようやく父と息子の心が通じ合う。父は「フランソワ」と呼ぶ。「にんじんは死んで生き返ったんだ」と。フランソワは父が好きだったけれど、母親が大嫌いであることを告げる。すると、ルピック氏は「わしがママを好きだと思っているのか?」と。その言葉を聞いたフランソワの眼差しは輝き、笑顔が表れる。「これからは二人は仲間だ」とお食事をし、フランソワは「ルピック氏」ではなく「モン・パパ」と云った。当たり前のことに想うのだけれど、複雑なこうした環境は多々あるだろう。

フランソワ少年を演じたロベール・リナンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』や『舞踏会の手帖』にも出演されている。『シュヴァリエの放浪児』、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』は未見なのでいつか観てみたいと想う。けれど、22歳で死去されてしまった時代というのは運命なのか...。また、ルピック氏役のアリ・ボール、おじさん役のルイ・ゴーチェ共に素晴らしい俳優方であり、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の他の作品にも出演されている。※上の挿絵はフェリックス・ヴァロトンによるもの。

★ジュール・ルナール(Jules Renard:1864-1910)はジュウル・ルナアルとされているものもある。外国語の日本語表記は難しい。この自然主義文学とも作風は異なり、なんとも異色の作家と思えるジュール・ルナールの『にんじん』は私が生まれる以前から家の本棚に並んでいた。『少年少女世界文学全集』の「フランス編」の中に。私はというと、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『にんじん』を観たことで、この作家の原作とようやく一致した。ジュール・ルナールの『にんじん』が刊行されたのは1894年。児童文学の中にも入るけれど、年少の子供たちがそのまま読むとかなり怖い場面も多い。暗鬱であり残酷なのは執拗に折檻する母親の姿や無味乾燥な家族の情景だけではなく、にんじんことフランソワ少年の姿にも。作者であるジュール・ルナールの半自伝的な作品ということながら、ルナールは自らの少年時を美化するでもなく描いている。でも、それらの子供たちの姿は普通なのだとも思う。子供は純粋ゆえに残酷なことをしたり云ったりする。

1887年から1910年頃に執筆されたという膨大な『日記』がルナールの死後発表された。これはフランス文学史を少しばかり受講していた折に知ったこと。その日記の全貌は知らないけれど、ルナールの実の父親が病を苦に自殺されたこと、母親もその後井戸に落ちて亡くなっている(事故か自殺とも定かではないようだ)。こうした「事実は小説より奇なり」なことに時々遭遇してはゾクっとする。ルナールの描き方は淡々としていて簡潔。けれど鋭敏な洞察眼が魅力。その視線を見事に、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は脚色し映像化されたと思う。

にんじんを演じるロベール・リナンも素晴らしい!レジスタンスという時代にリナン自身は身を投じ22歳の若さで死に至る。それまでに、『にんじん』以外でもジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品の『我等の仲間』(1936年)、『シュヴァリエの放浪児』(1936年)、『舞踏会の手帖』(1937年)、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』(1935年)にも出演されていた。『シュヴァリエの放浪児』と『家なき児』は未見なので観てみたいと思っているけれど...。

私は今のところ、やはりフランス文学とフランス映画を多く読んだり観たりしてきたよう。”フランス”だからと目くじらを立てて読むのでもなく観るのでもない。そう云えば音楽もやはりフランスの音楽は好きである。意識しなくても気になり興味があるから心が向かうのだろう。長い歴史のフランスという国の残した文化遺産のようなものたちに。その中に、私の好きな「美」が山のようにあるのだから。知らないことだらけなので、まだまだ興味は尽きない。

そんなことで、このルナールの同時代に同じジュールという名の作家がお二人浮かぶ。ジュール・ヴァレス(Jules Valles:1832-1885)とジュール・ヴェルヌ(Jules Verne:1828-1905)である。それぞれ勿論趣は異なるけれど、ヴァレスは自伝小説を書いている。小説家でありパリ・コミューンの闘士でもあったというお方。また、ヴェルヌは最も有名かも知れない。『海底二万海里』(1870年)や『80日間世界一周』(1873年)など、並外れた科学知識と空想力、ドラマティックなお話は人間ドラマであり文明批判をも含むもの。ルナールにしてもヴェルヌにしても、児童文学作家でもあるけれど、其処に留まるものではない。世界中の多くの優れた児童文学及び作家がそうであるように。
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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-04 07:49 | 音楽・映画・文学★美しい関係

『ヴァージン・スーサイズ』 監督:ソフィア・コッポラ 原作:『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』♪

懸賞 2010年 04月 03日 懸賞

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ヴァージン・スーサイズ/THE VIRGIN SUICIDES
1999年・アメリカ映画
監督:ソフィア・コッポラ 製作:フランシス・フォード・コッポラ、ジュリー・コスタンゾ、ダン・ハルステッド、クリス・ハンレイ 原作:ジェフリー・ユージェニデス 『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』 脚本:ソフィア・コッポラ 撮影:エドワード・ラックマン 音楽:エール(AIR)オリジナル・スコア
出演:ジェームズ・ウッズ、キャスリーン・ターナー、キルステン・ダンスト、ハンナ・ホール、ジョシュ・ハートネット、チェルシー・スウェイン、A・J・クック、レスリー・ヘイマン、スコット・グレン、マイケル・パレ、ダニー・デヴィート、ヘイデン・クリステンセン ナレーション:ジョヴァンニ・リビシ

★1970年代、アメリカ郊外の静かな住宅地。両親は保守的で厳しいが、何不自由なく暮らすリズボン家の美しい5人姉妹。ヘビトンボが郊外の街を覆いつくす6月、五女セシリア(ハンナ・ハル)が自殺を図る。新学期が始まり四女ラックス(キルステン・ダンスト)の学園の人気者トリップ(ジョシュ・ハートネット)との過ちが問題となり、リズボン夫妻(ジェームズ・ウッズとキャスリン・ターナー)は彼女たちを部屋に閉じ込めてしまう。そして、残りの姉妹もすべて自殺してしまう。姉妹に憧れていた近所の少年たちの目を通し回想という流れで描かれてゆく。

原作での主人公は美人姉妹に憧れていた男の子達で、20年後の中年になっての回想というもの。この原作をサーストン・ムーア(ソニック・ユース)がソフィア・コッポラに紹介し、ソフィアが脚本・監督(デビュー作)に挑んだ。父であるフランシス・フォード・コッポラもその脚本が気に入り製作に携わっている。儚く不安定に揺れ動く思春期の少女たちを、淡い映像と70年代のアメリカをイメージさせるトッド・ラングレンやハート、ギルバート・オサリバン等の米英の当時のヒット曲たち(オリジナル・スコアはフランスのAIRが担当)が彩る。そして、新旧のキャスティングの見事さ!さらに、瑞々しく美しい衣装を担当したナンシー・スタイナーのセンスも忘れてはならない。私はソフィア・コッポラの感性が好き。ソフィアとの同世代感というのもあるのかもしれない。70年代に子供時代を送った経験、彼女の中には常に「ある少女性」が感じられ、その感覚に私は共感できるような気がする。この5人の姉妹は13歳から17歳と年子。そして、数学教師と敬虔なクリスチャンの両親。70年代のアメリカの自立した強い女性という社会の中、”強く生きるのなんて無理”、あるいは”今のままでいたい。大人になりたくないのに”と苦痛だった少女たちもいたはずだと思う。社会にも自分にも甘えているのかもしれない。でも、私は正しくそうだった。今も解決しないこと。これは実話を元にされたお話なので、色々と考えさせられるものがある。

※ずっと以前に書いたものに少し加筆いたしましたものです。

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# by musiclove-a-gogo | 2010-04-03 11:29 | 音楽・映画・文学★美しい関係

懸賞