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懸賞 懸賞

ジェーン・バーキン(JANE BIRKIN)『ジェーン・B.~私という女(JANE B.)』(1969年)♪

懸賞 2009年 10月 31日 懸賞

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★先述のマリアンヌ・フェイスフル、フランス・ギャル、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ...と皆同い年である私の好きなアーティスト方の中に、ジェーン・バーキンも居られる。初めて知ったのは音楽からだった。同時期に映画『太陽は知っている』の脇役で出演されているのを拝見した(アラン・ドロンとロミー・シュナイダーを観る目的だったのだけれど動くお姿を拝見できて嬉しかった)。私が18歳頃のこと。そして、今も女優ジェーン・バーキンよりも歌手ジェーン・バーキンの方がより好きでいる。セルジュとの出会いは運命だろう!ジェーン・バーキンはイギリス人。まだ女優としても主役を得ていなかった頃。長身で長い脚は当時のロンドン・ファッションにお似合い。けれど、ミニの女王ツィッギー(TWIGGY)が居るし、モデルはワンサカ溢れていた。そのファッションも含めて英国からフランスへジェーン・バーキンは橋渡しをされたお方に想う。メイクもこの当時のジェーンは本来の目の大きさの倍位でアイラインは寝る時も欠かせない(読んだ噂だけれど)という頃。80年代以降だと想う。日本で一気に人気が出てきたのは。特に女性ファンを多く今も持つ理由のひとつに、「自然体で生きる美しさ」のようなお姿に共感できたのだと想う。私はまだ10代で社会に出る手前頃であったので、とても不安な気持ちでいっぱいだった。なので、その時はその「自然体で生きる」という感覚もファンション雑誌で取り上げられている記事を読んでも今ほど理解できない有様。でも、あの綺麗なお声が大好きだった!高音の危うい感じに胸が締めつけられた。才人!セルジュ・ゲンスブールというお方の歌唱指導の賜物なのだろうけれど。

主にジャズをお好きな知人が居て、ロックやポップスと幅広く聴かれる音楽好きのお方。私がフランスの音楽が好きであるということで、ジェーン・バーキンを聴かないといけないだろうと想われたらしい。けれど、「下手過ぎて最後まで聴けなかったです」と笑っておられた。「そうですか...」とそこでまたしても、グッと言葉に出来ない複雑な気持ちが心に残るのだった。感じ方は人それぞれなのだから、そうした意見を聞けて良かったとも想う。けれど、私はジェーン・バーキンは歌が下手なお方ではないと想う。ジャズだとサラ・ヴォーンが好きで詳しくないけれど素晴らしい!ニーナ・シモンも好き!でも、ブロッサム・ディアリーが一等好きだと想う。なにか「ジャズ」とか「クラシック」や「シャンソン」というと高尚な音楽のようで、「ロック」とか「ポップス」、「アイドル」っていうと低俗なイメージをお持ちのお方も居られる。でも、私は好きな音楽を愛でるだけ。そして、私の生きている世界は「俗」である。その日々の中で音楽を聴いてトキメク瞬間が得られたなら、それはどんなジャンルでも素敵ではないだろうか!何もかも、世界中の音楽を聴けるわけではないので、各々の優先順位で好きな音楽を選択されているのだろう。私は幸か不幸か、因果なものでこの得体の知れぬ限りなき魅力を秘めた「音楽」というものと共にいつの間にか生きている。決して、ひと時も離れはしない。私は歌は下手だしリスナー専門!技術的なことなど勉強しようともしないので無知のまま。ただ、「好き!」と想ったアーティストは追い続ける、自然と遠のくことがあっても心の住人たちであり続ける。なので、どうしてもキャリアの長いアーティスト方を先ず挙げてゆくことにもなるのかもしれない。

1969年が歌手としてデビューされた年(ジェーンは22歳か23歳頃)。初めて好きになった曲は『ジェーン・B. 私という女(JANE B.)』。初めて買ったベスト盤に収録されていた。ジェーン・バーキンよりもさらに大好きになるセルジュ・ゲンスブールだけれど、その時はセルジュのことなど何も知らずにいた。随分、年月が流れ、セルジュはこの世に居られないけれど、不思議なものでそんな気がしない。「ポップス」といっても様々。テンポが良くてキャッチーな曲だけではないと想う。私はメロディーがいつの間にか頭や心の中でふと流れ出す、そんな曲たちはスローな曲調でも寂しげでもやはり「美しいポップス」として愛してしまう。

Jane Birkin/Jane.B.


◆ジェーン・バーキンのことを『クララの森・少女愛惜』 ← にも少し綴っているので、あまり重複しないように続けます♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-31 09:45 | シャンソン・フランセーズ

マリアンヌ・フェイスフル(MARIANNE FAITHFULL)『涙あふれて(AS TEARS GO BY)』(1964年)♪

懸賞 2009年 10月 29日 懸賞

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★私が最も大好きな女性ヴォーカルを一人だけ選ぶとしたなら、やはりマリアンヌ・フェイスフル!当時のブリティッシュ・ポップ界はアメリカン・ポップ界のようにしっかりとシステム化というのかな、そういう機能的なものがまだ未完の状態で曖昧だったようだ。そんな当時のロンドンは所謂「スウィンギング・ロンドン」な時代で若者たちが活き活きと音楽業界でも活躍していた頃。マリアンヌ・フェイスフルはそうした時代の中、1964年7月に歌手としてデビューされた(17歳)。その曲は『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)』。曲提供はローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズ(嘗てはキース・リチャードと記されていた)。今でもマリアンヌ・フェイスフルというとこの曲という位有名。しかし、自ら歌手になりたくてなった訳でもなく、可憐な容姿を見初められてのこと。ストーンズの二人が作った曲ということもあり一躍「英国ポップス界の華」となる。けれど、この曲も含めたアイドル時代のマリアンヌのアルバムでのベスト10入りは無い。このシングル『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)』の最高位は全英9位、全米22位とデータにある。またアルバム・デビューは1965年(1st&2nd同時発売)でセカンド・アルバム『MARIANNE FAITHFULL』にこのデビュー曲は収録されている。英国デッカ(DECCA)時代の初期のおよそ1年半程が実質的なアイドル時代とも云える。そして、ストーンズとの交流、とりわけミック・ジャガーとのロマンス、破局...お嬢様アイドルのマリアンヌ様が次第とドラッグ騒ぎにも巻き込まれスキャンダルの女王と転落してゆく。そして、その地獄からの帰還に至るまでには10年もの時が必要であった。ああ!凄まじい人生である!壮絶である!強靭である!素敵である!崇高である!と讃えることしか出来ないお方。

多くのアイドルは長くは続かず何処かに消えて行かれる。たった1曲だけのヒット曲で消えてしまった方も多い。アイドルから幾十年もの間人気と実力を備え続けるお方はそう多くはいない(古今東西のそのような方々は皆凄いのだと想う)。ドラッグやアルコール(煙草もだろう)などですっかりアイドル時代の清楚なお声は潰れての復活であった。でも、そこから以降がアーティスト:マリアンヌ・フェイスフルの今日までの軌跡でもある。しかし、アイドル時代もどん底時代もまたマリアンヌ様の軌跡である。全体を時代と共に見てしまう。大好きなお方の場合はどうしても。歌唱力が素晴らしいというお方でもないけれど、今ではあのお声は「呪詛」とまで云われる程の存在感あるお声。そのお声にはそれまでの生きてこられたものが沁み込んでいるのだと想う。普通ならあの荒廃した時期に消えていただろう。此方では追々に、作品の感想などを綴ってゆきます。私が16歳の時。それ以来、今もずっと大好き!ある意味、ボウイに匹敵する位好きかもしれないとも(ボウイと同い年でもある)...生まれ持った気品や知性はお歳を召されても失うことは永遠にないだろう。経歴や映画のこと等を『クララの森・少女愛惜』 ← にて少し綴っているので、あまり重複しないように続けます♪

◆こちらが ↓ 「Marianne Faithfull/As Tears Go By」です。


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by musiclove-a-gogo | 2009-10-29 09:18 | ガールズ・ポップ★洋楽

シルヴィ・ヴァルタン(SYLVIE VARTAN)『アイドルを探せ(LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER)』(1964年)

懸賞 2009年 10月 28日 懸賞

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★シルヴィ・ヴァルタン(シルビー・バルタン)はフレンチ・ポップス界のクィーンで、今なお本国での人気は物凄いお方。嘗て夫でもあられたジョニー・アリデイも然り!このお二人を欠かしてイェイェ(ye-ye)もフレンチ・ポップスも始まらない。デビューは1961年なのでフランソワーズ・アルディより1年早い。当時17歳。60年代は日本でも大変な人気だったらしく母もレコードを持っていた。人気の火付けとなったのは映画『アイドルを探せ』の出演とその主題歌のヒットからだという。映画にはほんの数分しか出演されないけれど、豪華な顔ぶれの並ぶコミカルで素敵な映画で大好き。この曲の作詞をされているのは、御大シャルル・アズナヴールでご本人も映画にも出演されている。この映画と主題歌のことを『クララの森・少女愛惜』 ← にて以前少し綴っています。

シルヴィ・ヴァルタンのアイドル時代とその後、今日までの歴史は長く音楽も雰囲気も時代ごとに異なる魅力なのですが、60年代のイェイェのアイドル時代は殊に可愛いです。フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、シェイラ...etc.みんな、それぞれ違う可愛らしさ、女の子っぽさ、少女的な雰囲気があるのです。シルヴィの清楚なワンピース姿とブロンドの内巻き変形ボブからセミロングの髪(初期はショートでしたしロングヘアー時代も多いです)はとっても可憐。お声はどこかしっとりした魅力があり、私個人的にはスローな曲調の楽曲がかなり好きです。フレンチ・ポップスはやはり大好きなようです。個人的に蒐集したレコードの半分以上を占めています。ずっと持っていても...と想うので、当店でお好きなお方にお届けできたら幸いかとも想っています。此方でも、シルヴィのシングルやアルバムなどを追々、かなり時間がかかりそうですが綴ってゆこうと想います。

◆ ↓ こちらが、シルヴィが歌う『アイドルを探せ』(19歳頃)で可憐です♪
Sylvie Vartan/La plus belle pour aller danser

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-28 10:31 | シャンソン・フランセーズ

デュラン・デュラン(DURAN DURAN)の『グラビアの美少女(GIRLS ON FILM)』(1981年)♪

懸賞 2009年 10月 27日 懸賞

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★私は80年代初期のニュー・ウェーブ(NewWave)やUKポップスがアメリカのビルボード・チャートに登場していた頃はようやくリアルタイムな時期。まだ学生の身なので音源情報はラジオが主だった。けれど、MTVが放送されたり小林克也さんの番組「ベスト・ヒット・USA」なども楽しみのひとつであった。また、私は関西なのだけれど、当時のUHF放送(チャンネルを覚えていない)で、『電話リクエスト』というような番組があり、『ロック・マガジン』の編集長であった阿木譲さんのコーナーが楽しみで仕方がなかった。ドイツの最新音楽情報などを映像で観ることができたのだ。これらの時代はだいたい同時期だと想うけれど、細かい記憶は定かではない。ホルガー・シューカイのカン(CAN)の製作風景やドイツのあの硬質なエレクトロニック・ダンス・ビート!D.A.F.などもその番組で知った。先日、お亡くなりになられた加藤和彦さんのラジオ番組では最新の英国音楽を紹介してくださるものがあり、そこで、「今のイギリスでは大きく分けて、デヴィッド・ボウイ系かブライアン・フェリー系の二つに分かれる」というようなお話を、あの優しい口調で紹介くださるのだった。そうして、バウハウスとエコー&ザ・バニーメンの音楽が流れ、まったくすべてが新鮮でとにかく感動していた日々。後に、彼等のルックスを知りさらに好きになりレコードも購入するようになった。

そんな頃、デュラン・デュランは何かのテレビで映像から「きゃあ!素敵♪」と10代の少女はドキドキした。ベースのジョン・テイラーがその日から好きになった。学校に行くとそうした情報交換を出来るお友達が違うクラスだけれど一人だけ居たのは幸い。彼女はあまり反応は無かったけれど、私はジョン・テイラーのように前髪を長く伸ばし始めてみたりもした。その頃の多くのクラスメイトは、好きな男の子や先輩、先生、あるいは芸能界ネタやテレビ番組の話題が主で、特に異性の恋話は毎日聞いていた。私はというと、頭には音楽のことでいっぱい。早くお家に帰ってエア・チェックしたりレコードを聴く時間が待ち遠しくてしかたがない。「好きな子いないの?」と訊かれて、クラスの男子を眺めてもピンとは来ないのだった。普通にお友達としては会話していたけれど。また、その頃は大人になってゆく皆の様子、これからの私を考えると真剣に「時よ、止まれ!」と想っていた。ある種の思春期特有の潔癖性のようなものってあると想うけれど、私はとても重症で20代になっても続いていた。そんな時代の英国アイドル・グループがデュラン・デュラン。今もメンバー・チェンジが繰り返されながらも健在であるのは嬉しい。ただのアイドル・グループで何処かに消えてしまわずに(よく少し上の世代の方には「軽薄だ」とも云われたものだ)。私の周りでも次第に人気が出てきた頃、ニック・ローズのファンが最も多かった。私も好きだったけれど(バンドのリーダーだし)。結成当時にはステファン・ダフィー(STEPHEN DUFFY)も居たけれど直ぐに脱退して、ソロ活動を今も地道に続けて居られる。彼がメンバー内では最も端正なお顔立ちをしていたのかもしれない。
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1981年の『GIRLS ON FILM(グラビアの美少女)』のあの、イントロからワクワクする華麗なるダンスミュージック(ポップ・ミュージック)世界。デビュー当時の彼らなのでお若い。『ニュー・ロマンティックス(ニュー・ロマンティック)』と呼称されていた世界に夢を馳せてもいた。ずっと、以前に『デュラン・デュラン:Duran Duran★ニュー・ロマンティックなロンドンを夢見て』と題して綴ったミーハー記事を下に記しておこうと想う。


★パンク以降、70年代後期から80年代初頭にかけて特にヨーロッパを中心に様々な音が溢れ出す。New Waveと一括りにされていても。まだ毎月のお小遣いからレコードと音楽雑誌を買うのが精一杯の頃。門限も厳しかったので夜の外出は全く禁止だった。なので、雑誌やラジオなどで次々と紹介される新しいバンドやアーティストたち、特にロンドンに夢を馳せていた。これまた、ルックスから(MTVだろうか?まだブレイク前のテレビで観たライヴ映像だった)直ぐに要チェック!なバンドを発見。デュラン・デュラン☆1stアルバム前だったのかもしれない。ひらひらしたブラウスにレザーパンツ姿(メイクもしていた)の美麗な雰囲気にすっかり釘付け!翌日、学校に行きそのバンドについてお話していた(一人気の合う情報交換できる女子が違うクラスにいた)。もうひとつ反応が薄かった(彼女はワイルドな感じのファンだった)。雑誌やラジオが伝える毎夜のロンドンでのニュー・ロマなクラブ情報を羨ましく読んだり聞いたりしていた。デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック、T.REXなどの70年代初期のグラム・ロックと共に流れるというニュー・ロマンティックと呼ばれていたムーブメント。その中に、デュラン・デュランやヴィサージ(スティーヴ・ストレンジ)や、カルチャー・クラブ(ボーイ・ジョージ)、ウルトラヴォックスやデペッシュ・モードなどの名前も...そして、かなり大ヒットしたスパンダー・バレーやABC、ソフト・セル、ヒューマン・リーグ、クラシックス・ヌヴォー(クラシックス・ヌーヴォー)などの華やかな存在がアメリカのヒットチャートに登場してゆく頃♪

デュラン・デュランは初期からボウイ・フォロワー(ニューウェーヴの父なのでフォロワー多数!)だと公言していた(カバー曲もある)ので、さらにお気に入りに♪それに綺麗なのだ。私はその前にジャパンのファンになっていたけれど、彼らは早過ぎた(またその内登場)。でも、”ロンドンにはどうしてこんなに綺麗な男の人達がいっぱいいるのだろう~♪”と思っていたし、ロンドンとはそういう特別なものに思えた。デュラン・デュランはバーミンガムの出身で、結成は1978年。ボーカルのサイモン・ル・ボン、ベースのジョン・テイラー、ギターのアンディ・テイラー、キーボードのニック・ローズ、ドラムのロジャー・テイラーの5人の頃(この5人での再結成来日公演もお友達と一緒に行き、記憶に新しいもの)が最強かな。私は最初からジョン・テイラーが好き。アルバム『リオ』辺りからだんだん人気も高まり自然と周りにファンの女子が存在していた。ニック・ローズがダントツの人気だったようだ。5人ともそれぞれ素敵だったけれど、私は前髪を長く重めに横に流し、長身で口元の赤い、白いブラウス姿のジョン・テイラーがメンバー中最も好きだった。あの前髪を真似たくて朝ドライヤーで流れを作って登校したものだ(髪が強くはない方なのですぐにそのセットは形を無くしていたけれど)。

MTVが人気のあった頃。音楽番組に来日アーティストが出演したりしていたことを思い出す。「夜のヒットスタジオ」とか好きだったなぁ♪「11P.M.」(表記は合ってるだろうか?)も学校では話題になっていたけれど、とにかく厳しく夜の番組は見せてもらえずにいた。なので、この有名な番組を観たのは数える程だったけれど、リップ・リグ&パニック(だったと思う)のスタジオ・ライヴを途中から少し観たことがある。ファンクやジャズの要素が入った聴いたことのない音楽だった。バウ・ワウ・ワウだったのかな?(どなたか覚えておられたら教えて下さい!)こうして、とても異国に魅せられ新しい続出する音楽たちにとても貪欲になっていた頃が昨日のことのように思えるのだから不思議♪
2007.6.7.

◆一番上の写真が好きなのは、ジョン・テイラーが綺麗だからです(右から二人目のお方)♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-27 07:52 | NEW WAVE★ニュー・ウェーブ

フランス・ギャル(FRANCE GALL)とセルジュ・ゲンスブール(SERGE GAINSBOURG)『PAUVRE LOLA』♪ 

懸賞 2009年 10月 26日 懸賞

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★なんでも脳髄内で連鎖し合う(人は妄想とも仰る)のですが、15歳でデビューというと郷ひろみもだけれどフランス・ギャル!シルヴィ・ヴァルタン(シルビー・バルタン)もフランソワーズ・アルディも10代でデビューされているけれど、この中ではギャルちゃんが最もお若い。1947年生まれで今62歳なのです。けれど、「永遠のアイドル」と呼べるお方はあの時代へ私たちをタイムスリップさせてくださる。現在のフランス・ギャルは最愛の夫や子供を亡くされてから、活動は休止されたまま。15歳で芸能界に入った方々、それもファンに騒がれるハードな日々。そんな人気の陰に如何なる苦悩が隠されていただろう...などと想像する。ゆえに、「頑張って!」と応援したくなる。アイドルはやはり容姿端麗かつ醸し出すオーラに天性のポップ感覚があるお方が多い。私はアイドル以降のフランス・ギャルも好きなのだけれど、アイドル時代、殊にセルジュ・ゲンスブール(セルジュ・ゲンズブール)とのコラボレーションは忘れることは出来ない。セルジュのことは好き嫌いの別れるお方だろう。私の友人にフレンチ・ポップスが好きなのにセルジュはあまり興味はないというお方が幾人か居る。しかし、皆、フランス・ギャルは好きなのだ。何といっても可愛いのだから!

セルジュはある種のポップ職人!売れる曲を簡単に書けるし、まったく商業主義から離れた作品もある。頭が良いのだ。まあ、プロという世界。60年代(イェイェ時代)まだ10代の少女フランス・ギャルちゃんとセルジュの共演(デュエット)もある。フランス・ギャルの魅力を語るにはまだまだ尽きないので追々作品と共に此方で。今回はフランス・ギャルの魅力の一つである「キュートな狂い」。愛らしい歌声、優しく甘美な歌声、ちょっと小生意気な歌い方...曲によって様々なのだけれど、時々狂ったような歌声になる。そんなギャルちゃんが大好きで「わあ!また狂ってる。可愛い~!」となる。この「狂い」という言葉は褒め言葉♪

「Serge Gainsbourg et France Gall/Pauvre Lola」という動画があったけれど、埋め込み出来ないみたいなので記しておきます。この曲はセルジュの1964年のアルバム『GAINSBOURG PERCUSSIONS(パーカッションズ)』の中に収録されている曲。動画は1968年時のもの。バックでケタケタと甲高い笑い声の少女がいる。そのお声はフランス・ギャルである。ただ笑っているだけ!ギャルちゃんの天性のお声の魅力をセルジュは素早く見抜いていたのだろう。フランス・ギャルにとってはこれらのアイドル時代はやや封印されている感も強いのですが、どうしたってあのフランス・ギャルはキュート過ぎる。忘れることなどできない。それがアイドルの魅力であり宿命でもあるのかもしれない。偉そうに云ってますが80年代に入ってからのアルバムからのリアルタイムなので、この時期のギャルちゃんはずっとずっと後追い。けれど、大好き☆

その動画は ↓ こちらです。モノクロですが画像はまあまあ良いですよ♪
「Serge Gainsbourg et France Gall/Pauvre Lola」

◆上のお写真はあまり喜べないなあ。セルジュ、ギャルちゃんにくっ付き過ぎ!この前はブリジット・バルドーに失恋していて、ジェーン・バーキンと出会う前。セルジュの後々のあのロリータ・コンプレックスはきっとギャルちゃんが一気に火をつけてしまったのかも...などとも想ったりする。しかし、美女にモテモテのセルジュの華麗なる軌跡には天晴れ!私もカッコイイと想うけれど♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-26 07:50 | シャンソン・フランセーズ

ポップ(POP)が大好きでアヴァンギャルドなへんてこりん音楽も好き♪

懸賞 2009年 10月 24日 懸賞

ポップな音楽と云っても、それはそれは多種多様に存在するうえに、個人の感性によっても受け取り方、感じ方は様々だろう。此処ではあくまでも、「私的ポップ」を愛好(愛考)しよう!と云っても、根はミーハーです!殊に女性アイドルはもう可愛ければ良いわけです。その上に楽曲も良く、お声も好きな場合はもうハマルしかない!そうこうしている内に、音楽のお仕事をするようになってバイトから合わせると、もう20年経過...けれど、実年齢だけが増えるだけで意識がない。なので、今でもアイドルや可愛い少年少女映画には目が無いし、麗しいお方のお姿を拝見してはドキドキする、あの感覚は衰え知らず。お家大好きなので、そういう意味ではやはりオタク気質なのかなあ...あまりよく分からないけれど。細野晴臣氏が何かのご本の中で、90年代以降はやはり違うと。テクノポップやアンビエントな音楽に関するインタビューだったように想う。その真っ只中で活躍されていたお方なので、私には説得力のあるお言葉に想え安堵した。うん、何か違う。ポップもロックも映画も...時代の流れと云えばそれまでだけれど。

此方では60年代から80年代の「ポップ(POP)・ミュージック」や「アイドル」を中心に、メジャーなものからあまり有名ではないけれどユニークだったり、おバカだったりの愛しきポップ・ミュージックを愛でる目的です。気取ったお方にはちょっと馬鹿にされそうなB級ポップスも実はいっぱい。偏愛するものたちですので、好きなアーティストや曲、作品しか取り上げません。HIROMI GOは格別な想いがあります。ひろみは10代の折から洋楽志向なお方ですので、インタビューやライヴ曲など経由で覚えたミュージシャンの名も多いです。

取り合えず、始めてみましたので、どんな風になるのか予想も出来ませんが、どうか宜しくお願いいたします。ロックは英国、ポップスはフランスの音楽が特に好きですので、フレンチ・ポップスが多くなりそうですが、バランスを考えて綴ってみるつもりです。どうぞ、お気軽にコメントやTBにお越し下さい。記事に全く無関係なものは削除させて頂きますのでご遠慮下さい♪

★サイドの固有名詞のカテゴリーの方々は、今後、記事の増える(予定の多い)思い入れの強い方々です。
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-24 02:15 | このブログについて

フランソワーズ・アルディのデビュー曲『男の子と女の子(1962年)』が日本盤になったのは1973年♪

懸賞 2009年 10月 23日 懸賞

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★私はまだ一桁代の頃に郷ひろみという美少年アイドルを知り大好きになった。随分年月が経った今、ひろみのデビュー曲『男の子女の子(1972年)』という曲名を耳にしたり想い出す折、何故だかフランソワーズ・アルディの1962年の18歳のデビュー曲『男の子と女の子(Tous les garçons et les filles)』が想起される。その逆も当然あるので不思議である。アルディを知り今も、「女性ヴォーカル」というと必ず指折りの最初の方におられる大好きなお方。アルディのデビューは1962年。私の生まれる前に既にデビューされていた。なので、古い作品を後追いしながら新作も追わなければならないのだった。今はどうにか追いついた感じだけれど、まだまだ聴き足りない。レコードで最も棚の幅が大きいのはアルディ。ボウイやセルジュよりも多い。とにかく、すべてが好きなので、内容のダブるベスト盤でも、そのジャケット欲しさに買っていた。かなり散財してきたお方だけれど、なんの後悔もない。ジャケットを時折眺めては素敵なアルディのお姿や眼差しに心癒される。

嘗ては、ひろみの『男の子女の子』はなにかしらアルディの『男の子と女の子』から得られた曲なのだろうなあ...と想っていたのだけれど、なんと!日本盤にこの曲が収録されたのは1973年と10年以上も経ってからのこと。きっと、『さよならを教えて』のヒットが大きいのかもしれない。けれど、古いことだし経緯はよく分からないまま。アルディの日本盤のアルバム(LP)は1972年に初めて発売されていると想う。その中に『男の子と女の子』は収録されてはいない。イエイエ・ブームだったフランスで、その影響が日本にも伝わってくるのだけれど、そうした時間差の妙に惑わされたり、新たな発見をしたり、その頃の時代の空気感を知らないなりに想像したり感じたりするのも愉しい。古い映像で画質は良くないけれど、YouTubeよりフランソワーズ・アルディの『男の子と女の子』を。映像はフランスの名監督でもあるクロード・ルルーシュによるものだそうです♪


◆タイトルは似ているけれど、曲調は違うし年代も違うのだけれど、アルディもひろみも共にデビュー曲であるということと、この時期のひろみは男の子だけれどウィスパー・ヴォイスである。アルディと云えばウィスパー・ヴォイスの代表的なお方でもある。好きな世界を脳内で結び付けてしまう変な癖がいつの間にか出来てしまったようだけれど、とっても愉しい♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-23 11:35 | シャンソン・フランセーズ

里中満智子マンガの中の郷ひろみ♪

懸賞 2009年 10月 22日 懸賞

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★昨日の記事に里中満智子さまのお名前を記さなかったのは別に予定が脳内にあるもので。纏まっていないので少しだけ綴っておこうと想う。幼少時の少女マンガ耽溺の日々が始まった私ですが、『なかよし』は大人気の『キャンディ・キャンディ』以外にも、レギュラー的な作家先生方はおられた。殊に里中満智子さまは好きであった。最も有名なのは『アリエスの乙女たち』でしょうが『フレンド』だったかな。思いっきり号泣した私。その中の路美と笑美子の路美(ひろみ捩りと思い込んでいる私)が好きで憧れていた。前後してしまうけれど、『スポット・ライト』の後、『ミスターレディ』(1976年)の連載が始まった。その主人公の太郎と花子の太郎は、「デビューした辺りのひろみ」をモデルにしたような絵である。里中満智子さまはひろみのファンであるとご本人が仰っていたもので、ついつい、作品の中で巻き毛の可愛い少年が出てくると、「あっ!ひろみだ」って思ってしまっていた。『マコとツトムのファースト・キッス』のツトムは『ミスターレディ』の太郎にそっくり、ひろみのような男の子。

『ミスター・レディ、ミスター・マダム』というフランス映画がある。フランスらしいコメディで好きな映画。里中満智子さまは一時期、よくテレビに出演されていた。何年頃だったのだろう...記憶が間違っていなければ「クイズ・ダービー」にも。あの番組は好きで観ていた。ああ、懐かしい!

もう少し時代が進むけれど、ひろみの衣装デザインもされている。これも間違っていたら教えてください。『洪水の前』とか『悲しきメモリー』(共に1977年)など。私は特に『洪水の前』の全身白の美麗なお姿が大好きだった。また、この曲の振り付けも好き。勿論、あのシュっとした綺麗な姿勢のひろみである。すっかり、「郷ひろみ讃歌」な記事が続いているけれど、70年代から80年代のあのヒット曲たちを時代と共に再度眺めてみると驚異的なのだ。ニュー・ミュージックやロック(バンド)が台頭してきた中で、歌謡曲としてヒット曲を生み、かつスターであり続けていたのはひろみとジュリーである!ジュリーはGSの頃からのアイドルで、ひろみより世代は上(ボウイと1つ違いだし)。どちらがどうのではないけれど、私はGS世代ではない(ネオ・GS世代)のでやはり「新御三家」以降と共に少女時代の想い出がいっぱい。女の子アイドルは、ひろみと同期の麻丘めぐみやアグネス・チャン、三人娘(桜田淳子、山口百恵の曲は色々聴いているけれど、森昌子はほとんど知らない)、キャンディーズ(ピンク・レディよりもずっと好きだった!)、松本ちえこ...という70年代アイドルたちが好きであった。中森明菜や小泉今日子の登場時(キョンキョンはひろみと同じ事務所で妹的な存在)だと、松本伊代や伊藤つかさが少女っぽくて好きだった。松田聖子はデビュー前からのひろみファンで豪語していたのでなんとなく危険な気がしていた。危険と云えば!ああ!木ノ内みどりが好きだった!!そして、おにゃんこは絶対に!河合その子ちゃん。彼女ばかり観ていた。バイトが終ってからも隠れるように、CDジャケットの中のお写真を眺めていたものだ(このお二人は共に後藤次利の危険な罠にハマってしまった)。既に洋楽を聴き始めていたので自分で購入することは滅多に無かったけれど、女優としての桜田淳子を継続して応援していたのだけれど...半引退状態が続いているのは残念。ミニスカートの似合うアイドルが好きだったように想う。お声も高めの方が好き。さらに痩身なお方。ちょっと膝をキュっと曲げたり首を傾げたり...そんな小さな振り付けの女の子歌手を観ていると「可愛い!」と、邦楽に疎くなっていながらも気になっては眺めていた。基本的に「女の子(女性)好き」なのは、いつの間にかすっかり年季も入って来たようだ。組み込まれた何かが私の中にある。もう取り除くことも不可能なようだし、別に後戻りなんてしたくもない。

「ひろみ讃歌」はまだ追々。なぜなら、良い楽曲が多いもの!カッコイイし。流石に今はもう54歳。嘗ての「可愛いひろみ」ではないけれど、ストイシズムは「ひろみ美学」である。決して太らない。朝6:00ピッタリに起床してトレーニングを毎日欠かさない。こんなお方は結婚生活は無理だろうとも想う。けれど「郷ひろみ」であるためには正負の法則故に、犠牲にしなくてはならないことも数多いだろう。凡人には分からないスターの宿命を背負っているのである。そうでなければ維持できないだろう。コンサートも全国だし、最近の曲も動きが多いけれど呼吸の乱れなどない。あの姿勢の美しさ、ストイックさを受け継げるとしたら東山君(ヒガシ)だけだろうと想う気持ちは長年変わらないが、まだまだ、ひろみは嶮しい世界で生き続けるであろう。


★里中満智子さまのデザイン衣装で歌う『洪水の前』(1977年・22枚目シングル・ひろみ21歳)の動画もあった。でも、やはりもうあまり無いみたい。「今日の1枚」の画像は『ミスターレディ』の絵をスキャンしました。里中先生はちゃんと額にひろみを入れてくださっていて嬉しいです!太郎なのですが♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-22 08:14 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

前代未聞の美少年アイドル郷ひろみの衝撃と少女マンガ耽溺の少女時代始まる♪

懸賞 2009年 10月 21日 懸賞

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★少女時代は儚き刻とは云えど、ここ数日の私はかなり童女時代まで遡っていて、なかなか戻って来れないまま。調べると詳しく分かるのだろうからまた時間がある折にでもと思うけれど、取り合えず記憶と浮かぶ想い出たちに頼って。私が郷ひろみが大好きだと自覚し、洋楽のレコードを毎月買い始めるまでの期間。その刻は正しく私の少女時代である。そして、ほぼ同じ時期に少女マンガを読み始める。最初はお友達のお姉さんに読ませて頂いていたのだけれど、自分で毎月発売日を楽しみに購読開始したのは『なかよし』。そして『りぼん』。既に『キャンディ・キャンディ』(いがらしゆみこ)の連載は始まっていた。なので表紙はほとんどキャンディだった。『りぼん』の方が全体的には好きになっていたのだけれど、『キャンディ・キャンディ』の最終回までは買い続けていた。小学生の高学年になると『少女コミック』や『フレンド』、『マーガレット』も読み始めていた。私が買うこともあればお友達が買うことも。しょっちゅう交換していたのだ。こういう事を思い出しているうちに、それらの少女マンガの中には当時人気のアイドルたちのお写真やポスターや付録が付くこともあったように思う。また、小学生用の学習雑誌にもアイドルたちは共に居た。母の買っていた映画雑誌などにも深く関係していると思われる。

ひろみが『男の子女の子』でデビューした1972年が私にとって幾つも大切な作品があるというのは、萩尾望都さまの『ポーの一族』の連載が始まった年であること、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』の年であることは偶然と云えど運命的な符号。『ポーの一族』も連載の後半から知った。さらに『トーマの心臓』や『11人いる!』、竹宮恵子さまの『ファラオの墓』と後追いながら認知してゆく。まだ幼少の私は連載ものもだけれど、テレビアニメの印象も色濃く焼きついている。『キャンディ・キャンディ』然り、『エースをねらえ!』然り。キャンディのあの愛らしさ、アンソニーの貴公子ぶり、テリーのカッコよさ、岡ひろみの可愛さ、藤堂さんの素敵さ、宗方コーチの翳りの美も好きだったけれど、私には竜崎麗香ことお蝶夫人が大好きだった!学校に行くと大抵の女子は『エースをねらえ!』を観ていて会話の中心でもあった。けれど、「お蝶夫人が美しすぎて大好き!」と云う私は冷ややかに「何故?」という感じであった。彼女たちも好きだと思ってお話したので、その時のガッカリ感は大きかった。お蝶夫人はプライド高く高慢に映ったようだ。私はいつもお友達との少しのズレが常にあったのだ。そして、『ベルサイユのばら』(池田理代子さま)と出会う!勿論、原作マンガは後から読むことになり、私は母に連れられて行ったタカラヅカでの歌劇が最初。お話の内容も知らずに行ったのだけれど、夢のようだった。そして、アニメ、原作という順序。マリー・アントワネットに興味を持つことになったきっかけでもある。主要な登場人物はそれぞれ好きだけれど、やはりオスカルが好きだった。

タカラヅカもそうだけれど、女性が男役を演じる世界を違和感なく「素敵!」と夢みる刻。オスカルが女性であると分かっているし、郷ひろみが男性であることも分かっている。それでもお姿を観ている時にそうした性別はまったくと云って良い程私には関係ないものだった。なので『トーマの心臓』や『風と木の詩』を読んだ時もすんなりその美しく儚い世界に魅入ることができた、何故かは分からないけれど、共通するのは「綺麗」であり「美」なのだろう、私にとっての美しい絵。

私の初めて胸トキメク存在のアイドルは郷ひろみである!これは確信を持って断言できる。けれど、その後はほとんど少女マンガの中の人物たちが続くのだと気付くことができた。デヴィッド・ボウイというこの世の者とは思えない英国のロック・スターの動くお姿を拝見するまでは。そうして、私は一気に洋楽に目覚め、今も音楽や映画に携わるお仕事を続けている。

ようやく、こうしたことを綴れるようになった。児童文学などを読み返す中で、やはり私自身の幼少時の大切なものが甦り、それらはずっと私の心の中に居続けたからであろう。郷ひろみの1972年から1975年辺りまでを少しだけれど綴ってみた。今でもやはりHIROMI GOが好きである私が嬉しいとも想える。次の予定はもう少し先に進んだ時期のことを、やはり記憶を回想しながら記しておこうと思う。忘れていたこと、新たな発見もあり愉しい♪

★今日の画像はオスカルにしよう!また、YouTubeからは『薔薇は美しく散る』を♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-21 08:00 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみ『花のように 鳥のように』~『誘われてフラメンコ』(1975年)★HIROMI GO & METSの時代♪

懸賞 2009年 10月 20日 懸賞

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私が初めて胸ときめいていたお方である郷ひろみ。すっかり少女時代にタイムスリップしたままのここ数日なのですが、しつこくもう少し続けます。ジャニーズからバーニングに移籍してからの第一弾シングルとなる『花のように 鳥のように』(通算12枚目)と、続く『誘われてフラメンコ』(13枚目)。作曲は筒美京平(名曲を沢山作られてきた凄いお方!)と変わらないけれど、作詞が石坂まさお~橋本淳によるヒット曲です。ひろみのバックで踊っている方々は、一緒に移籍した元JJSのメンバーの6人による「METS(メッツ)」です。ひろみは19歳。美少年から徐々に大人への階段へ...もう、こういう通過儀礼は少年も少女も同じ!誰もがその刻を過ぎゆくのだから。個人差は様々ながら。私はこの辺りから読んでいた少女マンガの記憶の断片が定かではないけれど脳裏に焼きついている。そんな頃であるけれど、まだ一桁代の歳だったもので、そんな記憶はあやしいものでもある。

次はそんな幼少時の少女マンガの世界に耽溺してゆく私を回想しながら綴る予定です♪


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪



★上は『花のように鳥のように』を歌う紅白歌合戦の映像。赤組の素敵なお姉様歌手の皆様のお優しい表情たちも良い雰囲気です。「ひろみくん、可愛いわね♪」という感じだったのでしょう。また、このお衣装も大好きです!ひろみは紫やピンク色のお衣装が結構多かった気がします。男の子がピンク色のお洋服を着るということは、まだ当時の日常では珍しいことだった時代。けれど違和感まったく無し!流石です。下は『誘われてフラメンコ』の夜のヒットスタジオでの映像です。歌い出す前の表情が特に好きです!真面目さが表れています♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-20 07:50 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

懸賞