カテゴリ:洋楽ロック・ポップス★80年代( 5 )

懸賞 懸賞

ハンサムな女性ロッカー★クリッシー・ハインド(CHRISSIE HYNDE)『プリテンダーズ(PRETENDERS)』♪

懸賞 2010年 03月 01日 懸賞

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★「ハンサムな女性」という形容が似合ってしまうプリテンダーズ(PRETENDERS)のクリッシー・ハインド(CHRISSIE HYNDE)!現在58歳なれど相変わらずタイトでカッコイイお方。1979年のキンクスのカバー曲『ストップ・ユア・ソビン(Stop Your Sobbing)』でデビューし、1980年に1stアルバムをリリース。幾度かのメンバー・チェンジを経て今日も健在(一瞬、ジョニー・マーもメンバーだった)。

初めてこのプリテンダーズを知ったのはサンテレビだったかな...MTVではないけれど洋楽のビデオクリップなどと共に紹介してくださる洋楽番組があった。その番組名は失念。英国のバンドやアーティストが多かったように記憶している。学校の授業が6時間目まであると急いで帰宅しないと終ってしまう位の時間帯の放送だったので、毎回観ることは出来なかったし途中からだったりした。運良く私はこの番組でプリテンダーズの動くお姿を拝見でき、ヴォーカルのクリッシー・ハインドにコロリ。男性メンバーの中の紅一点というお方も多いけれど、プリテンダーズの場合は断然!クリッシー・ハインドのバンドであり、バックに男性を従えている、あるいは率いているといった感じ。他のメンバーはその時はまったく目に入らずクリッシー・ハインドに釘付け状態だった。

ずっと後にパンク・ロックのヒストリー企画のような映像を観ることができたのだけれど、クリッシー・ハインドが当時の証言者のお一人として登場され語っておられた。その時に知ったのは、ずっとイギリス人だと想っていたけれどアメリカ生まれ(オハイオ出身で70年代前半に渡英)で、NMEの記者であったという。また、初期のダムド(THE DAMNED)のメンバーでもあったそうだ。キンクスのレイ・デイヴィス、シンプル・マインズのジム・カーとの結婚&離婚もちょっと驚いたりしていたものだ。2005年にプリテンダーズは「ロックの殿堂入り」を果たしている♪


※ああ、素敵☆1981年のライヴでの『ブラス・イン・ポケット(Brass in Pocket)』です♪


※こちらも素敵☆曲は『タトゥード・ラヴ・ボーイズ(Tattooed Love Boys)』(1980年)です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-03-01 10:28 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

好きなギタリスト&アーティスト★マイク・スコット(MIKE SCOTT)『THE WATERBOYS』♪

懸賞 2010年 02月 28日 懸賞

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★ウォーターボーイズ(WATERBOYS)というバンドは、ジャケットに映る前髪の長い美形であろうそのお姿に何かを感じたことによって知り得た。当時好んでいた音楽は今も好きな「愛しのへんてこりん」!そんな私には、このバンドの音は正統派的に想えたものだった。けれど、内から湧き上がるようなものに密かに惹かれてもいたみたい...。この曲『The Whole of the Moon』は1985年のアルバム『THIS IS THE SEA』に収録された代表曲の一つであり名曲だと想う。デビュー・アルバムはミニ・アルバムで、それも含めると3作目となるアルバム。このジャケットが大好き!そして、「アイルランド」というものを意識した最初の頃でもある。WATERBOYSだけではないけれど、同時期に「ケルト」なる世界に魅せられ始めたようにも想う。そもそも「妖精好き」なので繋がってゆくことだったのだとこうした過程を愉しんでもいる。熱心なケルト音楽ファンというよりは「妖精物語」愛好の流れに於いての音楽との出会いという感じに近いような。

この「私の好きなギタリスト&アーティスト」ですが、ギター姿が好きで、かつヴォーカリストとしても好きな(さらに美形に弱い)方々です。実にミーハー的なのですが、ギターと共に脳裏にインプットされている美しき絵のようなものといった感じです♪


※マイク・スコットも素敵ですが、ブロンドのバックヴォーカルの女性も美声です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-02-28 14:10 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

デヴィッド・ボウイ(DAVID BOWIE)『クリスタル・ジャパン』★宝焼酎『純』CM曲とご出演の年(1980年)♪

懸賞 2010年 02月 14日 懸賞

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★デヴィッド・ボウイ(DAVID BOWIE)の『クリスタル・ジャパン(CRYSTAL JAPAN)』は1980年にシングル盤となった曲であり、当時このCMになんと!ボウイがご出演されていたのである。私は洋楽にのめり込む真っ只中であり、かつボウイの『ジギー・スターダスト』のアルバムに遭遇できずに色々と新たな出会いに歓喜していた頃。毎日ラジオを聴きエアチェックは習慣となっていた。カセットテープが今でも大好きなのは多くの音楽との想い出があるからかもしれない。この『純・ロック・ジャパン』あるいは『時代が変わればロックも変わる』という麗しいお姿でブラウン管に登場されたボウイ!この時の私の感動やときめきは言葉では表わせない。でも、今も然程変わってはいないけれど、「きゃあ~☆!」という瞳も心も輝き躍るというような存在。

このコマーシャル出演の情報は、当時クラスメイトに「ボウイ隠密」と云われていた私は事細かに音楽雑誌をチェックしていた頃に。不思議なもので本屋さんでパラパラっと雑誌を眺める時、「デビッド・ボウイー」という活字は直ぐに飛び込んで来るのだった。ボウイの事が少しでも書かれていたら見つけた雑誌は何でも買っていたという頃。そんな中で知り得た情報でドキドキと本当だろうかという想い。父は時代劇と刑事ドラマが好きだった。母は家族ドラマ。そして、吉本新喜劇と松竹新喜劇を毎週観て育った。石原軍団よりも池辺良や高倉健という世界が、または、私の好きな日本の男性像が次第に確立して行った。そして、フランスのフィルムノワールの世界が今も大好きなことにも繋がってゆく。石原プロものというと『太陽にほえろ』が最も馴染みのあるドラマだったけれど、このボウイのCMが毎週確実に観れたのは『西部警察』という石原軍団による刑事ドラマがあり、提供にこの『宝酒造・純』が入っていたことによる。というよりも、私はボウイが出演される『純・ロック・ジャパン』のCMが観たいが為に『西部警察』を観ていたと云える。けれど、毎週観ていると結構面白く、中にお一人だけ大きなバイク(ハーレーだったと想う)に乗って登場し活動する刑事が居られた。それは舘ひろし。抜きんでカッコよかったのでその刑事の登場を待っていた。そして、舘ひろしというお方はクールスというバンドのヴォーカルでもあったということも知る。矢沢永吉のあのキャロルの親衛隊でもあったそうだ。この辺りのことは今もほとんど知らない。

このボウイの『クリスタル・ジャパン』はボウイによる楽曲でインスト。キーボードとシンセサイザーによる主旋律でボウイ流の「雅(みやび)」が奏でられるという美しい曲でもある。このシングルは日本盤にしかなっていない。また、B面も大好きな曲。クルト・ワイル&ベルトルト・ブレヒトによる『アラバマ・ソング(ALABAMA SONG)』を歌うボウイの名曲カバーの一曲が収録されていた。この曲は以前の来日公演でも演奏されたという。私は『シリアス・ムーンライト・ツアー』が最初のボウイ・ライヴ体験なので残念。この当時の家のビデオはどういう訳か小さなビデオテープ対応のもので録画したこのボウイの映像がデッキの故障と同時に観れなくなってしまった。YouTubeで拝見できたので嬉しかったけれど、このシングル・ジャケットにあるヴァージョンは入っていない。贅沢は云わず感謝しなくては!何かの雑誌で「このボウイは田宮二郎に似てる」と書かれていたので、「タイムショック」や「白い巨塔」しか知らなかったけれど東映、東宝時代のお若き姿を後に拝見すると蒼白顔のカッコいいお姿であったと田宮二郎を再認識することにもなった。ああ、やはり日本映画やドラマは「昭和」で時が止まっている私である♪


※なんて!美麗なのでしょう☆我が永遠のカリスマ・ボウイさま♪

(追記)
★このYouTubeで朝からボウイを拝見。今もまた観たくなって観ていた(そんな為にブログに掲載してもいる)。このシルクのシャツも綺麗です。この想い出も蘇ります。このCMが放送中か直後の頃、梅田の阪急三番街の上の方の階にレコード屋さんがあったのでよく行っていた(今は無いけれど)。日曜日に友人と行くと、手の届かない入り口の高い場所に「デビッド・ボウイーが着ていたシャツ!」と飾ってあった。確か100万円と書かれていたと記憶している。私は拝見できるだけでぽお~っという想いだったけれど、クールな友人は「ボウイが着ていたシャツと同じ物で、ボウイが本当に着ていたものかは分らないよ」と興醒めなことを云った。でも、今では私も定かではないなっと想う。当時、この展示されていたシャツの事をご存知のお方も居られると想います。懐かしいです♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-14 10:50 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

ニコ(NICO)『ヒーローズ(HEROES)』(1981年)『DRAMA OF EXILE』よりのボウイのカバー曲♪

懸賞 2009年 05月 06日 懸賞

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★ボウイが大好きで、かつニコが大好きなお方はどれくらいおられるのだろう...。さっぱり検討もつかないけれど、どちらかを強く愛しているお方は友人知人たちの中にもおられる。私はというと、ボウイは格別なので誰とも比較などしないし、できない。けれど、NICO(ニコ)が大好きである!NICOはもう故人となり20年以上を経たけれど、私の中では生き続けていてくださる。此処は「ボウイ館」なので、ニコとボウイの関連というと『ヒーローズ』のカバー。1981年にニコはご自身のアルバム『DRAMA OF EXILE』に収録。そして83年頃から精力的なライヴ活動を行う時期へと。その当時のニコは、”『ヒーローズ』は私のために書かれた”と言っておられ、私はそれを信じていた。来日時(おそらく1986年の方)のインタビューで、”ボウイの『ヒーローズ』はあなたのために書かれたそうですが”と訊かれ、ニコは”彼がそう言ったの?”また、”デヴィッドとは映画的見解がとても近いの(似てるの)”というような内容。ボウイはベルリンでこの曲を作った。そしてニコはベルリン生まれのドイツ人(無国籍なNICOながら)。そして、その当時ボウイとニコはなにかしらの連絡(やり取り)をされたと思う。ニコはバンドをバックにレコーディングを終え、ヨーロッパを中心にその若いアーティストたちをバックにライヴを行っていた。キーボード(シンセサイザー)を担当していた青年はアンディ・クラーク。彼は、ボウイの『SCARY MONSTERS スケアリー・モンスターズ』(1980年)でシンセサイザーを担当している。そのアンディ・クラークはボウイ経由でニコのバンドメンバーに加入したようだ。経緯ははっきりしない。ニコは『ヒーローズ』の歌詞にご自分を投影することができたのかもしれない。ニコは、”彼(ボウイ)が私の過去を取り戻したの”という内容のお話をされたという。私はこの『ヒーローズ』という曲を今もなお聴き飽きることなどなく、力のある曲であると感じ続けている。波乱の人生を歩んだ孤高のニコにとってこの曲の存在は大きなものだったのだと思う。



※『ボウイ館』に綴ったものですが、永久なる心の住人★ニコなので此方にも纏めておきます。

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by musiclove-a-gogo | 2009-05-06 11:22 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

ニコ(NICO)『孤独な少女の唄(Das Lied vom einsamen Mädchen)』(1985年)♪

懸賞 2007年 10月 18日 懸賞

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★ニコ:NICO。クリスタ・パフゲン、クリスタ・ニコ。生まれた時からなのか(宿命というものなのか)。グレゴリー・ペックに似ていたというハンサムな父(ドイツ人ながら反ナチスなお方だった為に殺されてしまう)を、僅か1歳半で失ってしまった。ニコのヴァガボンドな精神の漂流は死に至るまで続いたように想う。ニコの新作は80年代の終わりと共にもう届かない。もうすぐ20年...。残された作品を繰り返し聴くこと、出演された映画(フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』の劇中、マルチェロ・マストロヤンニとの会話の場面で既に”ニコ”と呼ばれている)を観ることは可能。私の好きなひと。私がもっと若い頃、ニコの実年齢よりも老いたような、時に老婆のようなその様相に何か許せない(傲慢な言葉!)ものを感じ、ニコを好きになるのをやめようとしたことがある。何度も。好きなひとを自らの意思で好きでないと想うようなことはニコにしか懐いたことはない。そして、その愚かな試みは、さらに”好き”だという確信のようなものに変わってゆき今に至る。何が言いたいのか?!生まれ持った美をこれ程嫌がったお方はおられないのでは...と想う。美しい高貴なお方が悲劇の最期を遂げることは多いけれど。生まれ持った美しいブロンドの髪を真っ黒に染め始めた。60年代。みんなはその髪の変化、ニコの見かけの変化に、”ニコ、それはないよ。”と非難されたそうだけれど、ニコはそういう言葉を喜んだという。ヴォーグなどのモデル時代。ニコはモデルというお仕事が嫌いで仕方がなかった折に音楽に出逢う。あのハーモニウムはニコのこころのように優しく、時に哀しく響く。あの太くゆったりとした低い唯一無二のお声と共に☆

知ることも見ることもやめて 
誰かの意見を身にまとい
自分のもののように振舞って 
綺麗なのにひとりぼっち 
綺麗なのにひとりぼっち

おもちゃが壊れてしまうまで 
彼女はおもちゃを大切に扱う 
そして 寂しかった
髪が綺麗な金色だったから 
唇が赤いワインのようだったから


ニコは数ヶ国語を話せたけれど、母国語すら完璧ではなかったという。デラシネとしてのニコに相応しい。ニコのあの発音が好き!ドイツ人であることを嫌っていたけれど、最後はドイツ語の曲が多い。祖国を離れてもドイツ人であることをやめることはできない。ニコの歌の中には時折、少女が表れる。それも孤独で死と戯れているかのような雰囲気の。幼い頃の体験、記憶にどうしても戻ってゆく。私の好きな女性アーティストの多くはこのような人達。”綺麗なのにひとりぼっち”なニコ。来日時に、”これまでの人生を後悔してはいない。ただ、女性に生まれてきたこと以外は。”と語っていた。チヤホヤされるその美しさをいつしか憎みだしたのだろう。レズビアンを装ったこともある。あの長く美しい髪を男の子のようにバッサリと切り、全身を黒いセーターとパンツスタイルにしていた50年代。そのお姿も美しい!どう変わっても高貴さを隠すことはできない。嘗てのマネージャーであったアラン・ワイズは、”病的(マニアック)なことは気高い証拠だからね”と語る。ニコというとアンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、過剰なドラッグ浸りの生活、暗黒の女王として語られることが多い。それも然りながら、ニコの詩の中に心を閉ざした少女の姿が見え隠れすることを大切に想う私。此処は「少女愛惜」、私の心の漂流場所のようにも想う。ロリータ映画や少女映画も大好き!でも表象だけの世界では物足りない。私が好きな”少女たち”は時に死と隣り合わせであったり、死により完結されるようなお方も多い。何故だか、何となくそのお気持ちが分かる気がするので怖いけれど、それも私。そして、大好きでたまらない世界は、絢爛豪華な美の光と陰でもあり、可憐さの裏側に隠された孤独な少女の姿だったりする(少年も同様に)。ニコ関連は、また追記したいと想います。

※2007年10月18日に『クララの森・少女愛惜』に綴ったものです♪

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by musiclove-a-gogo | 2007-10-18 06:30 | 洋楽ロック・ポップス★80年代

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