カテゴリ:洋楽ロック・ポップス★70年代( 6 )

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キャプテン・ビーフハート(CAPTAIN BEEFHEART)『ディス・イズ・ザ・デイ(THIS IS THE DAY)』(1974年)

懸賞 2010年 10月 02日 懸賞

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★キャプテン・ビーフハート&ザ・マジック・バンド(CAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BAND)というと、フランク・ザッパの盟友であり、デルタ・ブルースからサイケデリック・ミュージック、アートロックにアヴァンギャルド...な稀有なる孤高のアーティストとして今も残された作品たちは色褪せない。私がキャプテン・ビーフハートのレコードを聴き始めたのは20代前半頃。当店主がフランク・ザッパのレコードを色々持っていたので、一緒に中古盤屋さんに行った時にコーナーの横にある「キャプテン・ビーフハート」が気になり始めた。店主はその頃はザッパの方を愛好していたようだったので、私がビーフハート担当となってゆく。担当と云っても、レアなアルバムは貸してもらっていたけれど。そして、ずっと後になって知ったことながら、その頃、既にビーフハートは音楽業界から引退され、本名のドン・ヴァン・ブリートとして画家となっていた。ザッパにしろビーフハートにしろ、当時の日本盤の邦題はユーモアいっぱいで愉しいものだった!特にザッパはその曲名の可笑しさだけで聴いてみたくなるのだった。

ニュー・ウェーヴ大好きでありながら、隠れプログレであった私は、所謂「レコメン系」の音楽をたいそう愛好しており、そんな時期に知り得たキャプテン・ビーフハートであったもので、何の躊躇いもなくすんなりと「凄い!」「なんだろう!このリズムは!」とか狂喜乱舞していた。邦題に『美は乱調なり』と題されたアルバムは80年代の作品で、60年代から活動されてきたベテランのビーフハートながら、そのサウンドは私にはニュー・ウェイヴでもあったように思う。スラップ・ハッピーやヘンリー・カウたちの音楽(「反体制派ロック」とも呼ばれていた)然り、またフランスの音楽に関してはシャンソンからポップから前衛まで聴いてしまうのだけれど、反体制派ロックやアヴァンギャルド・シーンを担ってきたお国と云えばフランスだと思っている。各国入り混じっているのだけれど、60年代にアート・アンサンブル・オブ・シカゴと共演したブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』は今もジャンルを越えた名盤と謳われる。同時期に前衛ジャズのアメリカのアーティスト、ブラジルのアーティストたちを紹介していたのもフランスであった。この辺りの好きな音楽のこともまた追々にと思う。

さて、キャプテン・ビーフハートですが、このお方のヴォーカルが好き!ビーフハートというと変わり者でしょうが、音楽もまたサイケで奇怪で難解な代物というようなイメージが先行していて手に取るチャンスを逃されてしまっているのでは?と思ってみたり。確かに大いなる変わり者で、愛しき変人であるのでしょうが、シンガーとしての優れた楽曲も実は多いのです。恐るべし!YouTubeに私の大好きな曲のライヴ映像がありました!画質も結構綺麗でなんだか感激してしまいました。その曲は『THIS IS THE DAY』で、発表は1974年のアルバム『Unconditionally Guaranteed』に収録されていた曲で、ベスト盤等にも収録されています。

キャプテン・ビーフハートは時々アルバート・フィニと似ていると思うのですが...。音楽産業に馴染めずに苦悩されていた時期があったそうですが、この曲はそんな時期の名曲の一つでもあります。また、キャプテン・ビーフハートはジョー・ストラマーのアイドルでもあったお方。パンクやニュー・ウェイヴというシーンに多大な影響を与えたお方のお一人でもありましょう!

CAPTAIN BEEFHEART/THIS IS THE DAY


※女性ヴォーカル好きでシャンソン・フランセーズ好きの私がキャプテン・ビーフハートも好きだと可笑しいかもしれません。ところが、何の不思議もないと思っています。音楽とはカテゴライズし得ない不思議な繋がりを持っているのですから。フランク・ザッパのバンドに居たエイドリアン・ブリューがデヴィッド・ボウイのバンドのリード・ギターとして加入した70年代後期。そして、幾度も解散と復活を繰り返しながら活動し続ける王者キング・クリムゾンの現在のメンバーでもあります。また、スティーヴ・ヴァイというカッコいいギタリストがミーハー的に好きなのですが、彼もまたザッパのバンドで活躍していた時期があります。こんな薀蓄も積もるくらい、好きな音楽を聴き続けています♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-10-02 01:21 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

ロキシー・ミュージック(ROXY MUSIC)『ストランデッド(STRANDED)』(1973年)♪

懸賞 2010年 03月 23日 懸賞

『ヨーロッパ哀歌(A SONG FOR EUROPE)』

セーヌ河のほとり
ノートル・ダムが
長くさみしい影を落とす

今は悲しみだけ、明日も
今日もない二人に
分かち合えるのは
昨日だけ

訳・今野雄二

★私のレコード棚を眺めると圧倒的に女性ヴォーカルものの占める割合が大きい。でも、ある一角に静かに結構な年月を一緒に過ごしている人達が居る。そこにはロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーの作品達も。デヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュよりも少し遅れて聴き始めた。初めて買ったロキシーのレコードは「フレッシュ&ブラッド」1980年。ここからがリアルタイム。そしてジョンが射殺された年...ラジオで知ったのだった。オールナイトニッポンという番組だったと思う。私は試験中で夜中も勉強していた。酔いどれて悲しい怒りの様なお声に驚いた。内田裕也さんだった、「ジョンが死んだんだよ...」と。そのお声には哀しみとやるせなさと怒りと動揺等が入り混じったものを感じずにはいられなかった。もちろん、私はその後数年ジョンのアルバムに針を下ろすことが出来なかった。直ぐに「ジェラス・ガイ」を追悼曲として発表し、その後あの大ヒット作「アヴァロン」をリリースし解散するロキシー。

なので、ロキシーを好きになって僅かな時間しかバンドは存在しなかった。でも、その後も少しずつ過去の作品を買い集めた。2枚目に買ったのは「サイレン」(ジャケットに写る美しい人魚に扮しているのはかのジェリー・ホール)、そして、この「ストランデッド」。今ではオリジナル・アルバム、ソロ・アルバム共にやっと追いついたという感じ。まだまだ消化しきれてはいないのだ。まだまだ聴きたい!フェリーの美意識に惹かれ続けている。ソロも好きだけれど敢えてこの作品を選ぶのは「A SONG FOR EUROPE」(邦題:ヨーロッパ哀歌)が収録されているから!ロキシーの数ある名曲中、やっぱり一等好きな曲なのだ。そして、続く「MOTHER OF PEARL」~「SUNSET」という幕切れがたまらなく好き!

「A SONG FOR EUROPE」の終盤で繰り返される悲痛な歌唱。特にラテン語とフランス語で歌われるその箇所は意味も分からずとも、何か崩れ行く悲哀の様な世界にただただ引き込まれるのだった。もう二度と帰り来ぬものへの哀惜、残されたのは想い出だけ...こういうロマンが好きな私は必然的にフェリーの詞の世界が好きになる。闇や幻想、夢想家の孤独というだろうか?あまりフェリーの歌唱評価はされないかな?なんて思っているけれど、私はとても凄いと思うのだ。呟くような歌い出しの部分から後半の悲痛な叫びの様なお声、そして口笛。この曲に感動した私は放送部に友人が居たので学校にレコードを持って行きリクエストした。結構採用して貰えていたのだけれどこれは却下されてしまった。「暗い。なんか女々しい感じ。」この様な事を言われたものだ。私はこの女々しいところも好きだったりするのだけれど。まぁ、お昼休みのくつろぎの時間には似合わなかったと今なら思うけれど。

美術学校出身のアーティストは多い。フェリーもそんなバックボーンから見事な美的感覚に長けたお方。特にロキシーの1stから次々とアルバムのカバーガールに起用するセンスの良さ、黄金期のハリウッド映画からウォーホルに至るアメリカのアートシーン。それらに加え奇抜なアイデアがキラキラ。まだ若かった私はロキシーのアルバムをレジに持って行く時恥ずかしかった。なので、「カントリー・ライフ」を手にしたのはずっと後になってしまった。カリ・アン、アマンダ・リアに続きマリリン・コールが今作のモデルに選ばれた。プレイボーイ誌で当時人気抜群だった方だそうだ。美しく豊かなブロンドの巻き毛と野性的な雰囲気。変わったメイク(このメイクはピエール・ラロシュ:ボウイの「ピンナップス」でも有名)、綺麗な長い足に見とれながらも決して鏡の国へは行けない...。

1972年にボウイの前座としてデビュー。今年フェリーは59歳(2004年7月当時)。ますますダンディズムの漂う素敵なお方。地味ながらも好盤を発表し続けている。私はおそらく「グラムロック」という括りに無関心に近いと思う。当時を知らないからかも知れないけれど、そういうイメージで捉えるには超越したものがあると思うから。ロキシーもボウイもT.レックスも。そうだ!ロキシーの2ndまではかのブライアン・イーノも在籍していた。まだ髪が有った頃。そして、フィル・マンザネラやアンディ・マッケイの存在も忘れてはならない。個人的には天才美少年!と絶賛されていたエディ・ジョブソンの起用も早かったと喜んでいる。1stのプロデュースはピート・シンフィールド(キング・クリムゾンの作詞家として有名!)、そして2ndの途中からはクリス・トーマスが担当。アート・ロック~プログレという流れを汲みながらもフェリーのロマンティシズム溢れる美学はある意味とてもポップ!こういうポップさ、ダンスミュージックがとても好きなのである。

★2004年7月11日に「BRIGITTE」サイト内で綴ったものです。そのサイトを閉鎖してしまったので此方へ。そして、大好きな「A SONG FOR EUROPE(ヨーロッパ哀歌)」より、その素敵な詩の一部を追記いたしました♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-03-23 10:03 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

麗しのロック詩人あるいはパンクの女王★パティ・スミス(PATTI SMITH)に魅せられて♪

懸賞 2010年 03月 02日 懸賞

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★洋楽が好きになり音楽雑誌を読み始めた頃。”音楽専科”という雑誌が好きだったのに廃刊となってしまった。その一冊の中の或る一頁のポートレートが飛び込んで来た。それは、ロバート・メイプルソープが撮ったパティ・スミスだった。私はこうしてまたしても音楽を聴く以前にそのお方の容姿から”好き!”となった。私は女性ながら女性ヴォーカルや女優といった様々なタイプの女性が好きで今に至る。ロック・ヒーローであるデヴィッド・ボウイも永遠のアイドルである郷ひろみ(HIROMI GO)は性別を超越した存在であり続けている。日本には美輪明宏という同じように性別やシャンソンなどのジャンルを超越したお方でどなたとも比較は出来ない大好きな存在のお方も居られる。

何故だか、幼い頃から私はこうした傾向が知らず知らずにある。クラスメイトの女子がある男子生徒をカッコイイと噂話している。ある男性教師を素敵だと楽しそうだったり。私は聞き手で自分からそのように感じた事はなく、感じのいい男の子だなっとお友達として感じるのみ。そして、これまた幼少の頃からの舶来趣向のせいか、異国の人々に憧れを抱いていた。なので、よく親しい友人には”ロンパリ”とか”ヨーロッパかぶれ”と云われていた。でも、回顧してみれば自分でもそんな気がする。

パティ・スミスには少女と大人が同居し、少年のようでもあるけれど限りなく女性的なものを感じる。そのポートレートを見て”美しい!”と思えたのはそんな風に感じたからかもしれない。リアルタイムではないけれど、最初に買ったのは『イースター(Easter)』1978年の3rd・アルバム。デビューは1975年の『ホーセス(Horses)』なので世界的パンク旋風以前のこと。”パンクロックの女王”と謳われるのは然りなのだ。それもデビューは29歳なので決して早くはない。パンクはロンドン発のムーブメントとしてとんでもない衝撃を与えた(リアルタイムの先輩方のお話をお聞きしていると羨ましくなる)。しかし、発はニューヨークなのだ。私はロンドンのクラッシュ以外はほとんどニューヨーク・パンクを先に聴くことになっていった。それはそれらのアーティストの表情や佇まいから感じられるものが私の”好き”な世界を体現しているように映ったのだと思う。パティのレコードを手にする前にランボーを好きになっていた。パティがアルチュール・ランボーを敬愛していると知り、ますます気になる存在となっていった。初期はレニー・ケイ達とのグループ、パティ・スミス・グループという名だった。そして、物静かで神経質そうな美しきギタリスト、レニー・ケイもとても好き(初来日公演には行けなくて残念だった。確かニール・ヤングと同じ日での公演で先にチケットを購入していたので)。ソロ・アルバムも地味ながら時折聴きたくなるものだ。

私は日本人なので日本が好き。日本の美しい言葉や文化が沢山ある。でも、元来の舶来趣味は軌道修正できずに今も進行している。そんな自分を少しは追想できる位の年月と年齢になってきた。すると、私の好きなものの大きなキーとなるものたちが、パリ、ロンドン、ニューヨークにあると気付く。意図している訳でもなかった事柄が自然と結びつき連鎖し合う。時には世紀を超えたものでもある。なんと!素晴らしいことだろう!!とまだまだこの見知らぬ旅は続き、さらに繋がり絡み合い、歓喜と混乱で頭と胸がいっぱいになっていくのだろう。

パティ・スミスと親交の深かった人達やパティのアイドル、またはパティをアイドルとして影響を受けてきたアーティスト達の多くに好きな世界がある。最愛の夫フレッド・スミス(元MC5の”フレッド・ソニック・スミス”)に先立たれ、双子のような親友ロバート・メイプルソープはエイズで亡くなり、ウィリアム・バロウズも亡くなった(追悼アルバムがある)。ジェフ・バックリィやカート・コバーンも亡くなった。子育ての時期が過ぎるとパティはまた表現者として復活し今も現役だ。年は重ねても変わらない。老眼鏡を手にしてポエトリー・リーディング。相変わらず素敵なパティは現在63歳。誠実さと優しさ、激しさと厳しさ、凛々しさと愛らしさすら感じるパンク詩人☆今なお、健在なり!

(追記)
このパティ画像は最初の出会いのお写真ではありません(残念ながらダンボール箱の音楽専科は母に間違って捨てられてしまいました)。2007年6月10日に書いたものに加筆いたしました。


※代表曲のひとつである『ビコーズ・ザ・ナイト(Because the Night)です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-03-02 05:30 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

好きなギタリスト&アーティスト★ピーター・ペレット(PETER PERRETT) 『THE ONLY ONES』♪

懸賞 2010年 02月 25日 懸賞

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★ジ・オンリー・ワンズ(THE ONLY ONES)が好き。私より店主の方がより好きかもしれない。とりわけピーター・ペレット(Peter Perrett)の醸し出す雰囲気や佇まいがたまらなく好き。何というのだろう...良い意味でも良くない意味でも「ナイーヴさ」とか「やさぐれ感」の中に垣間見られる悲哀のようなもの。内省的なものにずっと何かを感じて来た。キース・リチャーズの弟みたいなアーティスト&ギタリストが私は好きでもある。私の一等好きなロック・バンドはやはりローリング・ストーンズ!ストーンズが存在する限り誰もロック・モンスターを超えることなどできはしない。キング・オブ・ロックなのだから。どう考えてみても凄すぎる!ピーター・ペレットは嘗てキース達のドラッグ・ディーラーでもあったというお話も聞いたけれど違和感などない。そうした経緯も含め、けれど今56歳のピーター・ペレットのあの華奢な身体から放たれるスピリッツは衰えてはいない。

THE ONLY ONESは1976年から1982年までの活動。2007年に再結成。その間にも「PETER PERRETT IN THE ONE」(1996年)としての作品もあるし、THE ONLY ONESの前身のようなENGLAND'S GLORYでの作品も残されている。キース・リチャーズ、ルー・リード、ボブ・ディランの影響はその頃から感じられるけれど、THE ONLY ONESはパンク・バンドのようでそうでもないような。なのでパンク・ブームに乗れなかった。彼らにはパンク的なものもありながらどこかグラム・ロックなものも感じる。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランというよりも、ボウイがとても影響を受けたシド・バレット経由のあの感じかな。あの高めの甘いヴォーカルも大好き!彼等の最も有名な曲は『Another Girl, Another Planet』だろう。1978年の1stアルバムに収録されている。後に、サイケデリック・ファーズとのカップリング・シングルとしてもリリースされていた。

古い友人から下の映像を教えて頂いた。カッコいい!70年代当時のライヴ映像。その下のものは1996年のバンド編成で、ついつい、若き美形ギタリストのジェイ・プライス(Jay Price)にも目がゆくけれど、やはりピーター・ペレットはカッコいい!!「カッコイイ!」ことに理屈は似合わない♪


※1978年のTHE ONLY ONESです!


※1996年のサングラス姿のピーター・ペレット!横の美形ジェイ・プライスも素敵です♪


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by musiclove-a-gogo | 2010-02-25 11:02 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

好きなギタリスト&アーティスト★トム・ヴァーライン(TOM VERLAINE)♪

懸賞 2010年 02月 21日 懸賞

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★洋楽との出会いは中学生の時で、最初に購読を楽しみにしていた音楽雑誌は『ロッキング・オン』であり『ミュージック・ライフ』であった。カラーグラビアが多くページ数も多かった『ミュージック・ライフ』では毎年人気投票があった。投票ハガキが付いていたので暫くしてから自分でも書いて投函していた。ヴォーカル部門はなんと云ってもボウイな私。ボウイは常に10位までに居られた。しかし、ギタリスト部門にミック・ロンソンの名が無いのでそのハガキに書いていた。当時はどの部門もクィーンの圧倒的強さで制覇されていたように記憶している。少し前はチープ・トリックやキッスのカラーページも多かったけれど。そのハガキには各部門3名まで記入可能だったと想う。ミック・ロンソン以外に必ず書いていたお方はトム・ヴァーライン(トム・ヴァーレイン)。上位に挙がる方々はキャリアのある今でも名プレーヤーと云われる方々だった。どちらも10位どころかランクインされなかった(今では信じられないけれど!)。その頃の私は好きなギタリストと云えるお方を他に知らない頃で、そう想うとトム・ヴァーラインとの出会いからは結構な年月が経過していることにもなる。

テレヴィジョンの再結成までの活動期間は短かったけれど、70年代当時のお若き日の動画がありましたので掲載させて頂きます。1978年の2ndアルバム『Adventure』に収録の名曲『Foxhole』です。1st『Marquee Moon』も勿論ながら、この2ndも大好きです。また、リチャード・ロイドのギターもソロ・アルバムも好きなので、貴重な映像を拝見でき嬉しいです♪



トム・ヴァーラインを知ったのはソロ・アルバムから。伝説のテレヴィジョンやネオン・ボーイズに出会うまでに少し時間が掛かった。そもそも、名前を知ったのはパティ・スミスのアルバムに参加(クレジット)されていたから。

大学に入ってすぐの事、先輩のお姉さまと出会い意気投合(今はフランスへ)。テープ交換を頻繁にしていた。私がトム・ヴァーラインの曲を入れていたので喜んで下さった。テレヴィジョンも既にお持ちでレアなシングルなども録音してくださった。そして、とっても才女なお方で幅広い知識をお持ち。当然多くの文学作品を読破されていた。ちょうど10歳程年上のお方だったので、教えて頂く事ばかりなのに私がエコ・バニの曲を入れたりすると、気に入ってくださったり、プログレもかなりお詳しいお方だった。北村昌士さんも好きだと仰っていた。”トム・ヴァーラインってヴェルレーヌの英語読みって知ってた?”と教えて頂いた。まだその時はフランス語を全く読めもしない頃だったので、”そうなのですか!!”とヴェルレーヌをちゃんと読もうと思った(こういう単純さの連続で生きている)。ギターの音色も好きだけれど、最初はあの変な歌い方というかお声に魅力を感じた。そして、1stソロ・アルバムのジャケットに写るお写真かな、やっぱり。神経質そうで繊細な感じ、でも穏やかそう。リチャード・ヘルもその後、すぐに好きになったけれど竹馬の友のようなお二人ながら、違うだろうなぁ...と察知できた。個性が強すぎるので共にバンドは長くは一緒でなかった。どちらが凄いとか優れているとか、そういう比較は好きではない。

パティの恋人だったと知り、なんてお似合いなのだろう~と思った。追体験ながら、私の好きなパンク・ロックの多くはニューヨークだった。イギリスのクラッシュは別として。共通して感じられるのは詩人ぽさかな。インテリジェンスとヒリヒリした神経が音から伝わるように思えた。内面は佇まいにも自然と表れるものだろうから、ルックスからも感じられるように思ったものだ。

ひょろりとした細長い体型と首。正しく繊細そうで美しいと思った。後に太ってしまうけれど。来日公演(1987年)を京都で!早くからブラブラ会場付近を歩いていると、本屋さんにギタリストの方がいたのでドキドキして遠目から眺めていた。そして、時間が迫ってきたのでエレベーターに乗ると、なんと!!トム・ヴァーラインご本人が★そういう時って、”絶句!”という状態になりサインを頂くことも可能だったのに握手すら、一言も何も言えずに固まっていたという感じ。まだあまりにも若かった(普通、若い頃は恐れを知らないものなのかもしれないのに)。でも、今でも面と向かうと単語すら出てこないでモゴモゴすることが多い。性格的な問題かな?でも、ビックリ体験とその奇跡的な瞬間に出会えたことは現実のことだったのだと思うとそれだけでも嬉しい♪
(2007年6月5日に書いたものです。)

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-21 10:25 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

ジャパン(JAPAN)『孤独な安らぎ(SOMETIMES I FEEL SO LAW)』(1978年)+蘇る美しき方々と蒼い刻♪ 

懸賞 2010年 01月 27日 懸賞

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★明後日29日は『sub-culture』のパーティーなので今週はNewWave週間と勝手に決めて書いている。次から次へと心の曲たちが蘇り、軽く少女時代にタイムスリップしている。相当な年月の経過にはたと気付いてはみるものの、実年齢だけは増えてゆけども気分はあまり変わってはいない。現実を見つめて生きてゆかねば!と頭では考える。けれどいったい現実って何なのだろう...。でも今、この時を生きている私は事実居る。でも、ずっと大切な心の住人たち(人物に限らない)が居るからこそ、泣いても笑うことをも忘れず生きてゆける。そのようにしてずっと生きてきた気がする。私はもっと強靭な人間になりたいとも願うけれど、毎日は苛酷ですぐ挫けそうになる。人生とはそういうものだ。辛いことの方が多いのだから!泣いた数と歓喜する心の数のバランス。時に不調(協)和音で心がざわめくけれど、こうして心が躍る蘇るあの刻がある。愛するものたちともっともっと向き合い、さらに心に刻んでおきたい。

洋楽のレコードを買い始めてまだ20枚も持っていない頃。しつこいようだけれど、ボウイの『ジギー・スターダスト』がまったく売っていなくて(80年代初めにようやく)、他の気になるレコードを買っていた。ジャパン(JAPAN)の音楽との出会いはそんな頃。それも、初めて買った輸入盤である(それもUS盤だった)。1978年の2ndアルバム『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』。予備知識まったく無しという状況でのジャケ買い。奇しくも私は「耽美派少女のための変態雑誌」とも云われていた『アラン』の発売をまだかまだかと待っている日々と時はほぼ同じ。この『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』以外にも作品はリリースされていたので、好きになり発売を待ってというのは80年代に入ってからだけれど、日本では本国より先に人気があったこともあり、『アラン』仲間(一人だけ)の同級の女の子、そして、エアチェックしたカセットや情報交換の友人(これまた彼女ただ一人)とボウイやジャパンのお話ができた。私はいけないことだったのだろうけれど、ラジカセを学校に持参するようになっていた。重いとか感じもしなかったな。ああ、若気の至り。

ジャパンはパンク全盛の折にデビューしている。なんとも不可思議な時代とのズレ。けれど、とんでもなくカッコいい!!と想えたのだ、殊に妖しいメンバーのルックス。デヴィッド・シルヴィアンの髪の長い頃はミック・カーンの方が好きだった。今はデヴィッド・シルヴィアンが大好き!まあ、ジャパンとはシルヴィアンのバンドのようなものでもあったのだし。当時は気付かなかったけれど、シルヴィアンのヴォーカルに何の抵抗もなく、”素敵なお声!”と聴き入っていたのは、既にブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)が好きだったからかもしれない。そうそう!私はブライアン・フェリーも大好きで、これは逸れてしまうけれど、映画好きでもあるもので、「美少年・美青年・美中年・美老人の系譜」らしきものがいつの間にか存在するようになった。勿論ボウイも居られるのだけれど、その源流はダーク・ボガードへと行き着くと気付いた時、想起するお方にブライアン・フェリーが居たのである。理由など分らない。ボウイは直結しないみたい。ヘルムート・バーガーとは直結する。ああ、何を書いているのやら。大変なことになってしまった。ヘルムート様のお名前が出るとニヤけてしまい、浮かぶは初めて観た『雨のエトランゼ』のお姿が!いつも、このジャパンとの出会いの頃を回顧するとこんな具合になってしまう。2年半程前に綴ったものを読み返してみても我ながら呆れる。

ジャパンのこと、シルヴィアンのこと、名曲の数々のこと...追々に。嘗ての日本盤の邦題が好き。邦題で覚えている曲というのは付き合いの長い証でもある。「苦悩」とか「孤独」とか「影」とか「絶望」とか...そんな厭世的な世界に惹かれていた蒼き刻。けれど、私の大切な想い出たちでもある♪



「妖しくも美しき英国バンドJAPAN★最初に貼ったポスター」

★懐かしいようでついこの間のことのようでもある、私的なアイドル(のような)たちや思春期の想い出たち。この英国バンドが登場しなくては!当時、私の自転車で行動出来る範囲のお買い物コースは限られていた。伊丹の星電社か新伊丹の個人のレコード屋さん(店名を失念)、少し遠出をして塚口のミドり電化。ほとんどが日本盤。星電社とミドり電化には隅っこに輸入盤コーナーがあった。最初はそのコーナーを見ることもなく、先ず”デビッド・ボウイー(こういう表記だった)”のコーナーに向かう。何処にもボウイのコーナーは有ったけれど、数枚しかなく全く初期の作品がなかった。でも、毎月のお小遣いから一枚ずつ(高校生になるとお小遣いが増えたので日本盤一枚と少し余りがあったけれど、この頃はまだ一枚だけ)。ミドり電化のお兄さん(お若目のおじ様)は特にウロウロ探してる私に親切にして下さった。「ボウイが好きなんですね。」と言われ「はい、でもまだ少ししか持っていません。」と。「ヒーローズ」をコーナーからお持ち下さり薦めて下さった。そして、購入。段々音楽雑誌で知識だけ増えてゆき、ボウイの初期の作品は無いのでルー・リードやイギー・ポップ(ボウイがプロデュースしたと知ったので)をメモしてお店に行った。「このレコードを探しているのですが...」とそのお方にメモを渡す。「ああ、廃盤ですね。」(この繰り返しが幾度も続いた。)お目当ての作品が買えないので、輸入盤コーナーを見てみた。そこで「JAPAN」(2nd)を見つける。躊躇などなく買った。大当たり~♪

1978年のアルバム、US盤(後からそういう事を知る)だったので1000円と数百円位だったので、安いと驚いた。日本盤は大抵3000円位だった。音楽雑誌でこのアルバムの邦題を知る、「苦悩の旋律」。きゃぁ~!素敵と思った。ジャケットに映る長髪のデヴィッド・シルヴィアンも綺麗だと思ったけれど、次第にミック・カーンがメンバー中で一番のお気に入りとなっていった。眉毛の無い妖しい感じとかに不思議な魅力を感じたのだろうか...よく分からない。「ミュージック・ライフ」だったと思うけれど、綴じ込みポスターが付いていた号があった。今では切り取ったりしないのだけれど、その当時はそのポスターを切り取り自分のお部屋の壁に貼ったりしていた。私はアーティストのポスターを貼った記憶は数える程。最初は小さめのパネルの郷ひろみ(小学生の頃)、そして、すっかり洋楽ばかり聴くようになってからはこのJAPANが最初。小さめのものだった。そして、ほんの一瞬,GIRLというバンドの縦長のポスターを貼ったこともある。ボウイのポスターは付録には付かないので、母に梅田のポスター専門店まで連れて行って貰った。大きなポスターが2種類売っていた。どちらも欲しかったけれどパネルにしてもらい電車で持って帰るのでどちらか1つ。選んだものは今も私の宝物。velvet moonのお店のオープン時からずっと飾ってあったもの。多くのお客さまから売って下さいとお願いされたけれど、母に買って貰ったものなのでお断りさせて頂いていた。

ある日、父が「郷ひろみから今はデビッド・ボウイーかぁ...(笑)」と言われたことがある。今もHIROMI GOは好きだけれど、あまり知らない。でも、遡れば私はジャニーズ好きなのだ。それは郷ひろみから始まる(フォーリーブスは少しだけ記憶にある)。アランやジュネという雑誌を購入していた。アランには毎号人気投票があった。外人タレントと国内タレントに分かれていた。外人タレントの1位はボウイだった(途中からシルヴィアンに抜かれた)。日本では郷ひろみやジュリーが上位だったので、私は真っ当だったと思う。アランかジュネか忘れたけれど(それもどこかにしまってあるはず)、萩尾望都さまが映画のインタビューに答えるような記事があり、”好きな男優は?”というような質問だった。”デビッド・ボウイー、ピーター・オトゥール、藤岡琢也”だった(オトゥールだけ自信がないけれど、きっとお好きに違いないと思う)。そして、渋いなぁ~さすがだなぁっと、私も藤岡琢也さんが気になるようになっていた。当時はよくドラマやコマーシャルにも出ておられたので。

JAPANは何処へ?...と取り留めの無い思いつくまま綴っているとすっかり”耽美派少女のための変態雑誌”(友人がそう呼んでいた)のお話へ。この雑誌を購入するのは大変だった。その友人も購読者だった。大きな書店にしか置いていなくて、塚口のサンサン・タウンの中の広めの本屋さんにおそらく2冊か3冊程入荷するというもの。それも発売日が未定だった。その友人の方がは塚口に近く有利だった。大抵先に購入し、”売ってたよ”と教えて貰い自転車で大急ぎで買いに行く私だった。残念ながら買えない号もあったけれど貸してもらったりして読んでいた。懐かしいなぁ...。ジュネの方は特に漫画が主体(漫画を断った私なのに)で、今で言うところの、ボーイズ・ラブというジャンルのお話が多かった。

結局、こうして今の私もどうも10代からの延長のまま年を重ねているのを自分で綴っていて痛感する。面白いようでもあり馬鹿みたいでもあるけれど、好きなもの、きっと”美しい”と思う基本的なものは変わらなくて、いつの間にか自分なりの好きな世界が繋がり絡まり深まっているだけなのだろうな...と思う。もう解散してしまったJAPANだけれど、今も大好き!ミック・カーン(とても上手いベーシスト!とも知らず)に憧れ、通販で適当に赤いベースを買って母に叱られた。教本も買ってちょっと音を出して遊んでいたけれど、そのベースが重くて重くて!結局、”JAPANのコピーバンド”(女子ばかりの)の夢もあっさり消え去り、お年玉で購入したそのベースはいつの間にか弟のものになってしまった。そして、私はずっとリスナー専門で今日に至る。
2007.6.29.

(追記)
※あのトキメキたちが蘇り、取り留めのないことになってしまいました。2年半程前に書いたものに一部修正したいです。今でもひろみが大好きです。少しブランクがあったけれど、昨年より再びひろみの新曲をチェックするようになりました。また、JAPANは80年代に入ってからのルックスの方がより好きです。洗練されていったのでしょうね。サウンドはどの時代のJAPANも好きです♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-01-27 19:00 | 洋楽ロック・ポップス★70年代

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