カテゴリ:郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌( 20 )

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郷ひろみ『HIROMI ON STAGE(ヒロミ・オン・ステージ)』(1974年)には70年代ロックがいっぱい♪

懸賞 2010年 02月 16日 懸賞

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★郷ひろみ(HIROMI GO)の1974年のライヴ・アルバムである『ヒロミ・オン・ステージ(HIROMI ON STAGE)』。このアルバムを購入したのはリアルタイムではなく数年後になって。そして、まだ洋楽を好きになり始めの頃なので、歌われている曲の半分くらい(ひろみのヒット曲だけ)しか分らないのだった。このアルバムを去年とっても久しぶりに聴きたくなって聴いていた。すると!凄い楽曲たちであることに感動してしまった。

いまだにCD化されていないので、その古いレコードの中のカラー・フォト集や歌詞カードを手許に。『HIROMI ON STAGE』は1974年10月20日、大阪PLランドにて収録。歌・構成は郷ひろみ、演奏はアニメーション、プロデューサーは酒井政利。

先ずはオープニング(「オープニング・テーマ」)とだけ題されている45秒のインスト曲で始まる。これはレッド・ツェッペリンの『移民の歌』であった!カッコいい!といきなり感激。ひろみの登場で映像は発売されていないので、当時の光景など知らないのだけれど、勝手に浮かんでくる。そのライヴ会場に居られたひろみファンの声援はこのアルバムに欠かせないもの。あたかもその場を体験しているかのような、正しく臨場感というものがこのアルバムには在る!凄い!2日前に19歳になったばかりのひろみが語り歌う。エルトン・ジョンの『彼女はツイストを踊れない』(日本語でのカバー)。そして、当時の最新ヒット曲かつ歌謡曲史に残る大名曲である『よろしく哀愁』。もうファンの皆様の自然と一体化した声援(掛け声)が凄くワクワクしてしまう。『夢を破らないで』と筒美京平曲が続く。そして、『ジェット』なのであった!ポール・マッカートニーのウィングス時代の名曲の一つを英語でカバー。そして、『イマジネーション』も英語でカバー(グラディス・ナイト&ピップスの)。そしてA面ラストは『メリー・ジェーン』。B面に裏返し針を置くと『裸のビーナス』そして『モナリザの秘密』とひろみのヒット曲が続く。そして、『ザッツ・マイ・ガール』はオズモンズの曲を日本語カバー。次は先述のイントロがキンクスである『花とみつばち』、そして『ユタ』(オズモンズのカバーを英語で)と続く。ここ!!この原曲は今も未聴だけれどいい曲。さらにこの曲の寸前というか最初がなんと!なんと!デヴィッド・ボウイの『サフラジェット・シティ』で始まるというにくいアニメーション!そして、『君は特別』と『小さな体験』と岩谷時子&筒美京平によるひろみのヒット曲で終える。

実際のライヴは倍以上の時間があったと想うけれど、この貴重なライブ・レコーディングは凄いアルバムなのだと今の方が感動できる。それは、私も当時子供だった頃より聴いてきた音楽も随分増えているのだから。レッド・ツェッペリンもエルトン・ジョンもウイングスもデヴィッド・ボウイもオズモンズも知らなかったのだから。ましてや永遠のアイドルであるHIROMI GOと永遠のロック・カリスマであるデヴィッド・ボウイがこのライヴで繋がった。このHIROMIとボウイという基盤は揺るぎようの無いもの!他にも好きな音楽はいっぱいあるけれど、まったく浮気心は皆無である(女性アーティストたちの歌姫は別として)。そして、これはまだ定かではないけれど、多分この頃だったと想う...友人のお姉さんにひろみファンの方が居たので仲良く遊んでもらっていた。明星か平凡か何かだったと想うカラーでのひろみのページに「今年はデビッド・ボウイーに挑戦だ!」というような活字があったのを覚えている。ひろみが挑戦するというデビッド・ボウイーって誰だろう?って想った。なので、ボウイのお名前はひろみによって知ることとなったのである。そして、後にようやくボウイの映像と音楽に遭遇し、一気に洋楽熱は高まったのである。あんなに買っていた少女マンガをレコードに変えることが簡単にできた。ボウイの『ステージ』を買うまでは、持っていた洋楽は母に買って貰ったビートルズのボックスだけだったのだから♪

HIROMI ON STAGE - よろしく哀愁 - 1974年

SIDE A
1.OPENING THEME
2.YOUR SISTER CAN'T TWIST
3.よろしく哀愁
4.夢を破らないで
5.JET
6.IMAGINATION
7.MARY JANE

SIDE B
1.裸のビーナス
2.モナリザの秘密
3.THAT'S MY GIRL
4.花とみつばち
5.UTAH
6.君は特別
7.小さな体験

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-16 11:56 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

同名異曲の『紙ヒコーキ』 歌:郷ひろみ作詞:寺山修司 歌・作:荒井由実 共に1973年の名曲♪ 

懸賞 2010年 02月 06日 懸賞

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★先述の続きのようだけれど、郷ひろみの『愛への出発(スタート)』のアルバムの中に、寺山修司作詞の曲が2曲入っている。一つは『君にお月さまをあげたい』であり、もう一つは『紙ヒコーキ』という曲。シングル盤にはなっていない。私はこの時期のひろみの作品は後追いであるのでこのアルバムを聴いたのは数年遅れていた。そして、まだ寺山修司というお方の事さえ知らない子供だった。不思議な巡り合わせに気付いたのはさらにもっと後のこと。荒井由実(ユーミン)のデビュー・アルバムである『ひこうき雲』の中に『紙ヒコーキ』という曲が入っていると知った。私はユーミンの『ミスリム』が初めて買ったユーミン作品。どちらも名盤だし、どうも私は荒井由実時代の楽曲たちが後のユーミンの多くの名曲たちよりも好きでいる。『紙ヒコーキ』というとユーミンの曲を浮かべるお方は多い。しかし、この同名異曲の『紙ヒコーキ』は表記も同じで発売も同年の1973年である。郷ひろみの『紙ヒコーキ』が収録された『愛への出発(スタート)』は1973年の5月、ユーミンの『ひこうき雲』は1973年の11月のこと。ユーミンは18歳の少女で、郷ひろみは17歳の少年の頃。どちらも今もなお日本のポップス界で活躍され続けていること、共に時代を生きていることを嬉しく想う。ひろみ好きで寺山好き、かつ荒井由実好きの私はこうした符号に歓喜する♪

郷ひろみ/紙ヒコーキ 1973年
寺山修司作詞 宇野誠一郎作曲・編曲
 

ラブレターを書いたんだけど 出すのが恥ずかしいから
紙ヒコーキにして とばしちゃったんだよ

ラララ 恋の紙ヒコーキ
ラララ とんでゆくよ
ラララ 川をこえて
麦畑の方へ

ラブレターの紙ヒコーキは いま頃どこをとんでいるかな
ぼくの心は とべないさびしい

ラララ 恋の紙ヒコーキ
ラララ とんでいけよ
ラララ 月夜の町を
きみの窓まで



※荒井由実(ユーミン)の『紙ヒコーキ』の素敵な映像がございました♪

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by musiclove-a-gogo | 2010-02-06 23:32 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみ『愛への出発(スタート)』(1973年)に収録の寺山修司作詞の『君にお月さまをあげたい』など♪

懸賞 2010年 02月 06日 懸賞

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★「郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌」はいっぱいあるのでちょっと続けます。私は歌謡曲や映画というと70年代作品に大好きなものがとても多い。80年代育ちなので、こうしたお話は少し年上のお姉さんやお兄さんたちとさせて頂けることも多い。洋楽も80年代音楽は別として、何故か70年代が好きらしい。小さかった頃の私の覚えている風景や心模様と関係しているのだろう。

1973年の曲のこと。郷ひろみの1973年のヒット曲というと『愛への出発(スタート)』(1973年3月1日)、『裸のビーナス』(1973年6月21日)、『魅力のマーチ』(1973年9月21日)、『モナリザの秘密』(1973年12月5日)となる。凄い!名曲ばかり。その『愛への出発(スタート)』は同じタイトルであるひろみの2作目のアルバムの1曲目に収録されてもいる。このアルバムがまた凄い!寺山修司が2曲作詞された曲が収録されている。どちらも愛らしい素敵な曲。この2曲は筒美京平作曲ではなく宇野誠一郎によるもの。ひろみが17歳の時のアルバム。岩谷時子&筒美京平コンビの楽曲を中心に、安井かずみ&葵まさひこ、千家和也&馬飼野康二による全12曲が収められている。こんな愛らしい詩を歌える男の子歌手がひろみの他に居ただろうか!ひろみにしか歌えない。それもあの17歳の郷ひろみが歌うからこそ!という珠玉の楽曲たちなのだ。

安井かずみ作詞による『ママに黙って』などたまらない!「少女愛考・少年愛好」の深みに填ってゆく私が、今また郷ひろみへと回帰してゆくことにとても自然の摂理を痛感してもいる。

ママに黙って 君は来たんだ
遠い町を後にして今
遠い夢を 胸に抱きしめ

黒い瞳は 何を夢みてる
ちょっと淋しい きれいな女の子


ああ、素敵!そして、大好きな寺山修司作詞の曲『君にお月さまをあげたい』で心は宙を舞う。

ぼくがバードと言ったら
きみはこたえてくれるかい
鳥と かわいいかわいい鳥と
(鳥!) (鳥!)
(鳥!) (鳥!)
二人の心はとんでいけ

ぼくがムーンと言ったら
きみはこたえてくれるかい
月と 大きな大きな月と
(月!) (月!)
(月!) (月!)
二人は散歩に出かけよう

ぼくがラブと言ったら
きみはこたえてくれるかい
恋と ぼくらのぼくらの恋と
(恋!) (恋!)
(恋!) (恋!)
二人で何をしようかな

ラララ・・・・・

★ああ!愛くるしい!歌詞を打ちながらひろみのあのお声が聞こえる。寺山修司の世界がひろみとドッキングした宝物のような名曲(『紙ヒコーキ』はまた次に)。こんな甘美な甘酸っぱい曲はあの頃のひろみにしか歌えない!カッコいい、ワイルド路線の秀樹には歌えない。五郎にだって歌えない。ジュリーはもっと大人だったし。今のジャニーズのアイドルたちにだって歌えはしないと想う。歌えても似合うか違和感がないかということだけれど。この1973年はひろみはジャニーズに所属。あらためて考えてみる!ジャニー喜多川氏の才能の凄さを!最初のジャニーズ、フォーリーブス、郷ひろみとなる。ひろみの移籍、フォーリーブスの解散後、今日までのジャニーズに於いて唯一の冬の時代と云われる時期となる。けれど、たのきんトリオ、少年隊、シブがき隊....SMAP、嵐と天晴れである!でも、郷ひろみだけなのだ!!グループとしてではない単独でのアイドルは!豪語すべきこと。デビュー曲の『男の子女の子』から今日まで...90枚以上のシングルを発売し、時代時代にヒット曲があり、今なおコンサートを続け会場は満員なのだ。当時少女だったひろみファンの方々にはお子様もおられ二代に渡ってのコンサート会場という姿も多いと想う。

アイドルや歌謡曲を侮ってはいけないと想う。私はひろみが歌う曲の歌詞を当時の子供の心で感じ取っていた。なので、今聴いても新鮮でありある憧憬すら...麻丘めぐみも大好きだった!ひろみより2ヶ月程早くデビューされ、お誕生日も1週間違い。私はこのお二人が大好きだった!あの幼き頃の心のトキメキの刻はもう戻りはしないけれど、今も心にしっかりと居る。『クララの森・少女愛惜』に綴った方が良いようなことが、ひろみに関しては多いのだけれど、ひろみのあの天性の素養(独特のお声も)+ジャニー喜多川+酒井政利という美学の結晶は時代を超えて輝き続けている。そして、寺山修司も「郷ひろみ讃歌」され、筒美京平という日本が誇るポップ職人による多くのヒット曲たちの時代。私がいくらアヴァンギャルドな音楽を聴いても、やはり「ポップ」というものをも求めてしまうのはこうした基盤があるからではないかと想う。今はひろみも「J-ポップ」なのだろうけれど、嘗ての「歌謡曲」が大好きだ!それゆえに、ユーミンたちの新しい都会的な歌たちもあんなに新鮮に想えて聴き入っていたのだろうと♪
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by musiclove-a-gogo | 2010-02-06 11:47 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

奇跡のアルバム★郷ひろみ『HIROMIC WORLD』(1975年)作詞:荒井由実 作曲:筒美京平♪

懸賞 2010年 02月 06日 懸賞

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★先述のイジュランとお誕生日が一緒の我が心の永遠のアイドル&スターである郷ひろみ(HIROMI GO)。このアルバム『HIROMIC WORLD(ヒロミック・ワールド)』は1975年11月21日に発売された6枚目のアルバム。アルバムの全曲の歌詞を荒井由実(ユーミンがご結婚される前)が書かれ、作曲は全て筒美京平。プロデュースはひろみのデビューから今日までの活躍に欠かせないお方である、CBSソニーの音楽プロデューサーの酒井政利&筒美京平。レコーディングは1975年の7月15日から10月25日に赤坂ミュージック・スタジオにて。

このアルバムはひろみファンの皆様の中でも格別お気に入りのお方も多いのではないだろうか。ひろみはシングル・ヒットの多いお方なので、ついついシングルになった曲たちが浮かぶけれど、アルバムとして優れた作品も実に多いお方である。こういう点は見逃されてしまっているように想う。この『HIROMIC WORLD』からのシングル・カット曲はない!凄い!アイドルなのに既にアルバム志向を始めておられたのだ。この1975年というとジャニーズからバーニングへ移籍された年。ひろみの最初の苦難の経験ではないだろうか。酒井氏にそのことで相談に行かれた時に、酒井氏は初めて輝くひろみの表情の曇りを見た日だったという。けれど、その表情も絵になるとも仰っておられた。この『HIROMIC WORLD』が発売される前に、バーニング移籍第一弾となるシングル『花のように鳥のように』(1975年4月21日)、そして『誘われてフラメンコ』(1975年7月21日)、そして『逢えるかもしれない』(1975年10月21日)と名曲シングルを続発している。このアルバムのレコーディング期間中に2枚もシングル発売。驚異のハードスケジュールだっただろう!とびっきりのアイドルだったのだし。そして、このアルバムのレコーディング終盤にひろみは20歳を迎えているのだ。

何故!このアルバムが大好きで仕方がないかと云うと、この優れた楽曲たちはこの刻、あの時だったからこそ作り得たのだということ。15歳でデビューして一躍アイドルの郷ひろみがだんだん大人になってゆく。少年から一歩一歩...これは、全曲の作詞を担当している荒井由実時代のユーミンだからこそ書けたものでもある。アルバム丸ごとのユーミンの少女世界の少年版は後にも先にもこのひろみのアルバムしかないだろう。それも、この時のひろみが残してくださったこと、この奇跡のアルバムは色褪せない。ユーミンは1954年1月19日生まれなのでひろみより一足先に20歳になられ、松任谷正隆氏と婚約されたのが1975年12月。ユーミンと云えば多くの女性アーティストにユーミンならではの少女世界を描いた楽曲を提供され、ご自身でも歌っておられる名曲は多数。日本におけるクィーン・オブ・ポップである。また、日本におけるキング・オブ・ポップはHIROMI GOである!と私は想っているのでこのお二人を敬愛してもいる。凄いのだから!!しかしながら、ひろみのCD化されていないアルバムも多く私は古びたレコードを思い出してはレコードプレーヤーに乗せる。先日も大変な発見をして舞い上がっていたばかり。この『HIROMIC WORLD』は一度だけCD化された。

このアルバムの中に『ウィスキー・ボンボン』という素敵な大好きな曲がある。最近毎日歌っている。逸れるけれど、「ひろみが好き!」となった頃はまだ一桁の子供だった私。何故、うんと年上のひろみなのにテレビを観ては「ひろみ、カワイイ!」って想ったのだろう...私の同時代のアイドルはたのきんトリオや少年隊、中森明菜や小泉今日子という頃。けれど、学友たちが話題にするアイドル話の頃は既に洋楽を聴いていた。最近、苦手だったYouTubeに頭が上らない日々なのだけれど、ひろみの動画を拝見しているとよくコメント欄に外国のお方が「cute!」と書いておられると知る。そう云えば、ある友人がヨーロッパに居られるのだけれど、時々遊びでDJパーティーをされると。ドイツだったと想うけれど、当時ピチカート・ファイヴをかけると大受けするって。そして、帰国した折に郷ひろみとピンク・レディのレコードを持って帰られた。受けるのだそうだ!ひろみはドイツでも大受け!やはり筒美京平や都倉俊一という時代の歌謡曲は名曲がワンサカ!なにを書いているのか分らなくなってきたけれど、この名作アルバム『HIROMIC WORLD』が大好きだ!そうそう、高校生の時の修学旅行でスキーに行った。就寝を共にした数人の女の子たちはなかなか寝ないで隠し持ったお菓子やアルコールなども。私は今もお酒がほとんど飲めないのだけれど、「飲めなくてもこれなら大丈夫!」とウィスキー・ボンボンを貰った。何個食べたのか覚えていないのだけれど、翌日発熱し頭がガンガン!3日間のスキー講習だったけれど、私は初日しか参加できずに違うお部屋で寝込んでしまっていた。この想い出は今でも笑い話としてされる。保健の先生は私のウィスキー・ボンボン熱のこと、いけない女の子たちの秘密を知る由も無いのだった。嗚呼、懐かしき若気の至り♪

郷ひろみ/HIROMIC WORLD 1975年
荒井由実作詞 筒美京平作曲

SIDE A
1..午后のイメージ
2.20歳を過ぎたら
3.恋のハイウェイ
4.宇宙のかなたへ
5.君のおやじ

SIDE B
1.雨にひとり
2.ウィスキー・ボンボン
3.ライトグリーンの休日
4.青ひげの男
5.誰もこない世界へ
6.ガラス張りのエレベーター

★「ひろみ・イン・パリス」という大型ポスターが付いていました♪



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by musiclove-a-gogo | 2010-02-06 00:55 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

『郷ひろみに贈る詩』 詩:寺山修司 

懸賞 2009年 11月 14日 懸賞

「郷ひろみに贈る詩」 詩:寺山修司

ふりむくと
青春な海が見える
青春とは 羅針盤のない航海である

ふりむくと
地平線を染める 夕陽が見える
青春とは 涙ぐむやさしさである

ふりむくと
遠くで振っている 手が見える
青春とは 一日一回のさよならである

(中略)

ふりむくと
半分開いたドアが見える
青春とは 星かぞえて
大人になってゆく 日々のことである

ふりむくな
ふりむくな
うしろには何もない

ひとは どんなさびしいときでも
ふりむくことを止めれば
ほんとの人生を はじめることができるのだ


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★生まれて初めて好きになった遠い彼方で光り輝くスター☆郷ひろみ。15歳の美少年は今54歳にしてなおも美しい。驚異的なストイシズムは郷ひろみ美学である。少年から青年へ...と大人になってゆきながらも多忙なアイドルであり続ける中。ひろみはデビューからずっとCBSソニーの所属。その音楽プロデューサーである酒井政利氏は15才の少年ひろみから今日のひろみ、これからのひろみを見守り続けておられるお方。「ひろみ君の容姿が優先して見誤れることが多い」と嘗て語っておられた。そうであろう!これまでにいないタイプのアイドル登場であり華やかなお衣装がなんでも似合ってしまうスタイル、運動神経、一度聞けば”HIROMI GO”と分かる独特のお声...稀なる素養はある意味武器であるけれど、”ファンション・シンガー”というような形容も耳にしたことがある。

この寺山修司による「郷ひろみに贈る詩」。全部打てなかったけれど、寺山というお方は少年少女の儚き刻、過ぎ行く青春の美しさと寂しさを数々の作品の中で言葉にされてきたお方。歌人であり作家でありながら、演劇や映画など幅広い活動のなかで。少女マンガにもお詳しいお方であったし、流石にちゃんと「郷ひろみ」という美しき少年をも見つめておられた。この詩はひろみが20歳頃に贈られたものだと想う(ちゃんと確認できたらまた追記いたします)。寺山作詞の曲『君にお月さまをあげたい』というひろみの曲もある。シングルになっていない曲、アルバム、ライヴがまたとんでもなく素晴らしいのだ。ファンの皆様は充分にご承知であることだけれど、ひろみの外見で見誤れることが多くそんなことまで気にもされないで来たのも事実だと想う。

ブラウン管越しにあのワクワクしながら微笑んでいた遠い日の私はまだ青春時代に入る前の子供であった。なので、ただ「可愛いひろみ」「綺麗なひろみ」「大好きな楽曲たち」・・・にただただ胸ときめかせていたのだ。今なら、この詩がもっと私の心に響き涙があふれる。寺山修司が好きだということもあるけれど、やさしい眼差しと心が注がれていると。気の小さなひろみ、生真面目なひろみはいつまで経っても汚れた毒を感じない。もう少し毒があれば耽美的な美も醸し出せるお方であろう。けれど、陽光の似合う清々しさと、無国籍でもあるけれどとても古風で律儀な姿勢を失うことなく生きておられる。「郷ひろみ讃歌」なので讃えることしか思いつかない。私は誰にも欠点はあるけれど、できるだけ美点を眺めることが好きなのだ。陽の美が郷ひろみ!そして耽美嗜好に至る経緯はデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティとの出会いが決定打だった。その橋渡しをしてくださったのはひろみが大好きだと自覚した頃と偶然にも同じ時期に耽溺していた少女マンガの世界である。

ひろみの作品のことなどを、どんな形で書いてゆこうか考えているところ。ランダムに気ままにが良いかとも想う。その他は洋楽が多くなってしまうけれど♪

※「逢えるかもしれない」のシングルはなんとなくイメージ的なものです。ひろみの20歳の頃に撮影された、だんだん大人っぽくなり憂いのあるお姿く(21歳になりたてで発売されたもの)です☆
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by musiclove-a-gogo | 2009-11-14 19:50 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

里中満智子マンガの中の郷ひろみ♪

懸賞 2009年 10月 22日 懸賞

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★昨日の記事に里中満智子さまのお名前を記さなかったのは別に予定が脳内にあるもので。纏まっていないので少しだけ綴っておこうと想う。幼少時の少女マンガ耽溺の日々が始まった私ですが、『なかよし』は大人気の『キャンディ・キャンディ』以外にも、レギュラー的な作家先生方はおられた。殊に里中満智子さまは好きであった。最も有名なのは『アリエスの乙女たち』でしょうが『フレンド』だったかな。思いっきり号泣した私。その中の路美と笑美子の路美(ひろみ捩りと思い込んでいる私)が好きで憧れていた。前後してしまうけれど、『スポット・ライト』の後、『ミスターレディ』(1976年)の連載が始まった。その主人公の太郎と花子の太郎は、「デビューした辺りのひろみ」をモデルにしたような絵である。里中満智子さまはひろみのファンであるとご本人が仰っていたもので、ついつい、作品の中で巻き毛の可愛い少年が出てくると、「あっ!ひろみだ」って思ってしまっていた。『マコとツトムのファースト・キッス』のツトムは『ミスターレディ』の太郎にそっくり、ひろみのような男の子。

『ミスター・レディ、ミスター・マダム』というフランス映画がある。フランスらしいコメディで好きな映画。里中満智子さまは一時期、よくテレビに出演されていた。何年頃だったのだろう...記憶が間違っていなければ「クイズ・ダービー」にも。あの番組は好きで観ていた。ああ、懐かしい!

もう少し時代が進むけれど、ひろみの衣装デザインもされている。これも間違っていたら教えてください。『洪水の前』とか『悲しきメモリー』(共に1977年)など。私は特に『洪水の前』の全身白の美麗なお姿が大好きだった。また、この曲の振り付けも好き。勿論、あのシュっとした綺麗な姿勢のひろみである。すっかり、「郷ひろみ讃歌」な記事が続いているけれど、70年代から80年代のあのヒット曲たちを時代と共に再度眺めてみると驚異的なのだ。ニュー・ミュージックやロック(バンド)が台頭してきた中で、歌謡曲としてヒット曲を生み、かつスターであり続けていたのはひろみとジュリーである!ジュリーはGSの頃からのアイドルで、ひろみより世代は上(ボウイと1つ違いだし)。どちらがどうのではないけれど、私はGS世代ではない(ネオ・GS世代)のでやはり「新御三家」以降と共に少女時代の想い出がいっぱい。女の子アイドルは、ひろみと同期の麻丘めぐみやアグネス・チャン、三人娘(桜田淳子、山口百恵の曲は色々聴いているけれど、森昌子はほとんど知らない)、キャンディーズ(ピンク・レディよりもずっと好きだった!)、松本ちえこ...という70年代アイドルたちが好きであった。中森明菜や小泉今日子の登場時(キョンキョンはひろみと同じ事務所で妹的な存在)だと、松本伊代や伊藤つかさが少女っぽくて好きだった。松田聖子はデビュー前からのひろみファンで豪語していたのでなんとなく危険な気がしていた。危険と云えば!ああ!木ノ内みどりが好きだった!!そして、おにゃんこは絶対に!河合その子ちゃん。彼女ばかり観ていた。バイトが終ってからも隠れるように、CDジャケットの中のお写真を眺めていたものだ(このお二人は共に後藤次利の危険な罠にハマってしまった)。既に洋楽を聴き始めていたので自分で購入することは滅多に無かったけれど、女優としての桜田淳子を継続して応援していたのだけれど...半引退状態が続いているのは残念。ミニスカートの似合うアイドルが好きだったように想う。お声も高めの方が好き。さらに痩身なお方。ちょっと膝をキュっと曲げたり首を傾げたり...そんな小さな振り付けの女の子歌手を観ていると「可愛い!」と、邦楽に疎くなっていながらも気になっては眺めていた。基本的に「女の子(女性)好き」なのは、いつの間にかすっかり年季も入って来たようだ。組み込まれた何かが私の中にある。もう取り除くことも不可能なようだし、別に後戻りなんてしたくもない。

「ひろみ讃歌」はまだ追々。なぜなら、良い楽曲が多いもの!カッコイイし。流石に今はもう54歳。嘗ての「可愛いひろみ」ではないけれど、ストイシズムは「ひろみ美学」である。決して太らない。朝6:00ピッタリに起床してトレーニングを毎日欠かさない。こんなお方は結婚生活は無理だろうとも想う。けれど「郷ひろみ」であるためには正負の法則故に、犠牲にしなくてはならないことも数多いだろう。凡人には分からないスターの宿命を背負っているのである。そうでなければ維持できないだろう。コンサートも全国だし、最近の曲も動きが多いけれど呼吸の乱れなどない。あの姿勢の美しさ、ストイックさを受け継げるとしたら東山君(ヒガシ)だけだろうと想う気持ちは長年変わらないが、まだまだ、ひろみは嶮しい世界で生き続けるであろう。


★里中満智子さまのデザイン衣装で歌う『洪水の前』(1977年・22枚目シングル・ひろみ21歳)の動画もあった。でも、やはりもうあまり無いみたい。「今日の1枚」の画像は『ミスターレディ』の絵をスキャンしました。里中先生はちゃんと額にひろみを入れてくださっていて嬉しいです!太郎なのですが♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-22 08:14 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

前代未聞の美少年アイドル郷ひろみの衝撃と少女マンガ耽溺の少女時代始まる♪

懸賞 2009年 10月 21日 懸賞

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★少女時代は儚き刻とは云えど、ここ数日の私はかなり童女時代まで遡っていて、なかなか戻って来れないまま。調べると詳しく分かるのだろうからまた時間がある折にでもと思うけれど、取り合えず記憶と浮かぶ想い出たちに頼って。私が郷ひろみが大好きだと自覚し、洋楽のレコードを毎月買い始めるまでの期間。その刻は正しく私の少女時代である。そして、ほぼ同じ時期に少女マンガを読み始める。最初はお友達のお姉さんに読ませて頂いていたのだけれど、自分で毎月発売日を楽しみに購読開始したのは『なかよし』。そして『りぼん』。既に『キャンディ・キャンディ』(いがらしゆみこ)の連載は始まっていた。なので表紙はほとんどキャンディだった。『りぼん』の方が全体的には好きになっていたのだけれど、『キャンディ・キャンディ』の最終回までは買い続けていた。小学生の高学年になると『少女コミック』や『フレンド』、『マーガレット』も読み始めていた。私が買うこともあればお友達が買うことも。しょっちゅう交換していたのだ。こういう事を思い出しているうちに、それらの少女マンガの中には当時人気のアイドルたちのお写真やポスターや付録が付くこともあったように思う。また、小学生用の学習雑誌にもアイドルたちは共に居た。母の買っていた映画雑誌などにも深く関係していると思われる。

ひろみが『男の子女の子』でデビューした1972年が私にとって幾つも大切な作品があるというのは、萩尾望都さまの『ポーの一族』の連載が始まった年であること、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』の年であることは偶然と云えど運命的な符号。『ポーの一族』も連載の後半から知った。さらに『トーマの心臓』や『11人いる!』、竹宮恵子さまの『ファラオの墓』と後追いながら認知してゆく。まだ幼少の私は連載ものもだけれど、テレビアニメの印象も色濃く焼きついている。『キャンディ・キャンディ』然り、『エースをねらえ!』然り。キャンディのあの愛らしさ、アンソニーの貴公子ぶり、テリーのカッコよさ、岡ひろみの可愛さ、藤堂さんの素敵さ、宗方コーチの翳りの美も好きだったけれど、私には竜崎麗香ことお蝶夫人が大好きだった!学校に行くと大抵の女子は『エースをねらえ!』を観ていて会話の中心でもあった。けれど、「お蝶夫人が美しすぎて大好き!」と云う私は冷ややかに「何故?」という感じであった。彼女たちも好きだと思ってお話したので、その時のガッカリ感は大きかった。お蝶夫人はプライド高く高慢に映ったようだ。私はいつもお友達との少しのズレが常にあったのだ。そして、『ベルサイユのばら』(池田理代子さま)と出会う!勿論、原作マンガは後から読むことになり、私は母に連れられて行ったタカラヅカでの歌劇が最初。お話の内容も知らずに行ったのだけれど、夢のようだった。そして、アニメ、原作という順序。マリー・アントワネットに興味を持つことになったきっかけでもある。主要な登場人物はそれぞれ好きだけれど、やはりオスカルが好きだった。

タカラヅカもそうだけれど、女性が男役を演じる世界を違和感なく「素敵!」と夢みる刻。オスカルが女性であると分かっているし、郷ひろみが男性であることも分かっている。それでもお姿を観ている時にそうした性別はまったくと云って良い程私には関係ないものだった。なので『トーマの心臓』や『風と木の詩』を読んだ時もすんなりその美しく儚い世界に魅入ることができた、何故かは分からないけれど、共通するのは「綺麗」であり「美」なのだろう、私にとっての美しい絵。

私の初めて胸トキメク存在のアイドルは郷ひろみである!これは確信を持って断言できる。けれど、その後はほとんど少女マンガの中の人物たちが続くのだと気付くことができた。デヴィッド・ボウイというこの世の者とは思えない英国のロック・スターの動くお姿を拝見するまでは。そうして、私は一気に洋楽に目覚め、今も音楽や映画に携わるお仕事を続けている。

ようやく、こうしたことを綴れるようになった。児童文学などを読み返す中で、やはり私自身の幼少時の大切なものが甦り、それらはずっと私の心の中に居続けたからであろう。郷ひろみの1972年から1975年辺りまでを少しだけれど綴ってみた。今でもやはりHIROMI GOが好きである私が嬉しいとも想える。次の予定はもう少し先に進んだ時期のことを、やはり記憶を回想しながら記しておこうと思う。忘れていたこと、新たな発見もあり愉しい♪

★今日の画像はオスカルにしよう!また、YouTubeからは『薔薇は美しく散る』を♪

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by musiclove-a-gogo | 2009-10-21 08:00 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみ『花のように 鳥のように』~『誘われてフラメンコ』(1975年)★HIROMI GO & METSの時代♪

懸賞 2009年 10月 20日 懸賞

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私が初めて胸ときめいていたお方である郷ひろみ。すっかり少女時代にタイムスリップしたままのここ数日なのですが、しつこくもう少し続けます。ジャニーズからバーニングに移籍してからの第一弾シングルとなる『花のように 鳥のように』(通算12枚目)と、続く『誘われてフラメンコ』(13枚目)。作曲は筒美京平(名曲を沢山作られてきた凄いお方!)と変わらないけれど、作詞が石坂まさお~橋本淳によるヒット曲です。ひろみのバックで踊っている方々は、一緒に移籍した元JJSのメンバーの6人による「METS(メッツ)」です。ひろみは19歳。美少年から徐々に大人への階段へ...もう、こういう通過儀礼は少年も少女も同じ!誰もがその刻を過ぎゆくのだから。個人差は様々ながら。私はこの辺りから読んでいた少女マンガの記憶の断片が定かではないけれど脳裏に焼きついている。そんな頃であるけれど、まだ一桁代の歳だったもので、そんな記憶はあやしいものでもある。

次はそんな幼少時の少女マンガの世界に耽溺してゆく私を回想しながら綴る予定です♪


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪



★上は『花のように鳥のように』を歌う紅白歌合戦の映像。赤組の素敵なお姉様歌手の皆様のお優しい表情たちも良い雰囲気です。「ひろみくん、可愛いわね♪」という感じだったのでしょう。また、このお衣装も大好きです!ひろみは紫やピンク色のお衣装が結構多かった気がします。男の子がピンク色のお洋服を着るということは、まだ当時の日常では珍しいことだった時代。けれど違和感まったく無し!流石です。下は『誘われてフラメンコ』の夜のヒットスタジオでの映像です。歌い出す前の表情が特に好きです!真面目さが表れています♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-20 07:50 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

郷ひろみの最初に買って貰ったシングルは『裸のビーナス』♪

懸賞 2009年 10月 19日 懸賞

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★あまりにも可愛い!美少年時代の郷ひろみ!なので、続けます。見ていて男性だとかそういう意識が消える存在であった。そういう事は年月を経た今の私の大切なことであり、「美しい!」と想う世界の基本にあるものでもある。古い記憶が色々と甦りドキドキ。女の子(女性)のアイドルや歌手の方が好きだったのだけれど、郷ひろみだけは別格であった。兎に角、大好き!で仕方がなかった。少女マンガでは『なかよし』を読み始めていた頃でもある。ひろみの5枚目のシングルとなる『裸のビーナス』(1973年・17歳)が初めての郷ひろみの入手レコード。まだお小遣いも貰ってはいない歳だったので、ここから暫くは母に買って頂いていた。そして、1974年の大晦日の紅白歌合戦には西城秀樹も初出場となり、晴れて「新御三家」が揃って出場の年。そんな懐かしい映像がYouTubeにあったので嬉しくて仕方がない。この紅白では、ひろみの初期の曲でもとびっきり大好きな『花とみつばち』(1974年・18歳)で8枚目のシングルである。『裸のビーナス』のジャケットのお衣装など、当時のロンドンでのグラムロックな華やかで艶やかな影響が窺える。記憶がハッキリしないのだけれど、この時期だったと思う。『明星』か『平凡』(私は『明星』派であったが、お友達やそのお姉さん達から貸して頂いたりと交換し合っていた)だったのだろう...「今年はデビッド・ボウイーに挑戦だ!」という大きな見出しのひろみのカラーページが掲載されていた。ライヴのお写真が載っていたようにも想うけれど定かではない。私がボウイの名を初めて知ったのは郷ひろみからである!この事実は揺るぎようの無いもの。他にもまだまだ連鎖してゆくのだけれど、取り合えず映像を!なかなかこのようなお衣装の似合うお方は居ないだろう!ひろみは体の線がとても美しい。手足も細くて長く体毛も薄い天性の素材は稀なるもの。やはりジャニー氏の才能がフルに活かされていたとしか想えない。1974年の紅白での『花とみつばち』ではひろみのバックで秀樹と五郎が一緒に踊っている。秀樹は率先して走ってゆかれ同じく白いスーツ姿で素敵。また、五郎は三人の中で最も歌唱力があると云われていたけれど、このようなリズムの曲で踊る姿はイメージになくて、この映像に歓喜していた。「新御三家」は「運動部の秀樹、文化部の五郎、帰宅部のひろみ」とも呼ばれていた。ひろみは運動神経も良いのだけれど...そんなことも懐かしい。素敵な貴重な映像をあげてくださったお方に感謝感激♪


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪



★上の『花とみつばち』での1分27秒~28秒辺り!!飛び上がりそうにキュートです。下の『裸のビーナス』~『誘われてフラメンコ』では58秒辺りの初々しさに胸躍る!紅白では、赤組からも声援が聞こえる。白組の先輩方はちょっと反応に戸惑いが見える気もするけれど、赤組の先輩方はにこやか。多くの方が、この時点で今もなおスターである郷ひろみを想像などしていなかっただろうとも想う。批判的(偏見)なお声もとても大きなものであったのだから。このようなアイドルはこれまで居なかったのだから仕方の無い現象でもあったと想う。同じお衣装をタッキーが着ても綺麗かもしれない。でも、やはりこの「可愛さ!」「キュートさ!」はひろみしか居ないと想う。ジュリーもこの年3度目の出場で姿が見える。ジュリーも好きだったけれど、「可愛い!」と想える存在ではなく「スター」であった。後に、このお二人の対談があった。80年代後半頃かな...。ジュリーは一等賞が好きだと仰っていたけれど、ひろみは二等の方がいいと。50代になりひろみは「郷ひろみを極めたい」と語った。それを願っているファンはどんなに多いことだろう!欲張りな私は俳優のひろみも応援します!
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-19 07:42 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

美少年の原点に郷ひろみ(HIROMI GO)あり♪

懸賞 2009年 10月 18日 懸賞

★今日10月18日は郷ひろみの54歳のお誕生日。あまり、これまで郷ひろみについて綴っていない(「ボウイ館」で好きであることは記しているけれど)。1971年(15歳)から1975年までジャニーズに所属。その後、まだ大きなプロダクションではなかった現在のバーニングにも大きな功績を残したお一人だと想う。確か移籍当時のバーニングは所属スターも少なかった。ジャニー喜多川氏のショックは大きなものだったという。そうであろう!そして当の郷ひろみは母親と自殺まで考えたと云われる程の有る事無い事を書き立てるマスコミに傷ついた大きな年(時期)であったようだ。フォーリーブスの弟的な存在としてデビューし、一躍アイドルとなる。スカウトしたのはジャニー氏であるので流石の審美眼である。後に、元フォーリーブスの江木俊夫が近年、「今でもジャニーさんの理想とするアイドル像は郷ひろみであろう」と語っている。

いつまでも現役でスターとして生き続ける郷ひろみはストイックである。完璧主義者と云われるお方で潔癖症でもある。天性の素養に努力が積み重なり今日のHIROMI GOがある!時に自己をパロディ化するような時もあるけれど、高慢ちきでは決して無い。デビューはNHKの大河ドラマ『新・平家物語』の平経盛役(1972年)。同年の8月にシングル『男の子女の子』で音楽デビュー。その年の日本レコード大賞の新人賞に輝いている。1972年!私にとってこの年は何か運命的なものが幾つも重なっている。デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』の年でもある。当然、まだ幼少の私はボウイのお名前すら知らない頃。郷ひろみもその新人賞を受賞した年や紅白初出場の1973年は記憶があまりない。小学生になり少女マンガを読み始めるのだけれど、ほぼ同時期に「郷ひろみが好き!」と意識していたようだ。次第にアイドル雑誌も少女マンガと一緒に買うようになった。けれど、お友だちのお姉さんに見せて頂いたりそんな具合だった。

雑誌の人気投票では確か何年もの間1位だった郷ひろみなのに、私の周りはあまりファンがいなかった。きっともう少しお姉さん達に多かったようだ。私はどうしてか、私よりもずっとお兄さんのような郷ひろみが好きだった。初めて、絵の中の人物ではない「可愛い!」と心がトキメク「男の子」は郷ひろみであった。また、クラスの女子や男子から「女みたい」とか「おかまみたい」とからかわれた。けれど、人気投票では1位であることが私の誇りでもあった。ボウイのこともずっと後に「気持ち悪い」とか「おかまロック」とか云われた。私の少女時代はとにかく批判されからかわれることが日常茶飯事であった。母は似ているので、「ひろみは可愛い」と一緒にテレビを観ることができた。父ですら、番組欄を見ては「今夜ひろみが出るぞ」と教えてくれていた程。弟は、今でもひろみが好きで私より最近の曲に詳しい。オールナイト・ニッポンというラジオ番組の第二部は私の地域では電波が悪くラジカセのアンテナをぐるぐる回しながら聞いていた。何曜日だったかな...近田春夫さんの担当日があり、近田さんはひろみのファンなので、ニュー・シングルが発売になる前に逸早く曲を聴かせてくださるのだった。その電波の悪い音源を必死で聴き入っていた私。深夜起きているといけない子供なのに、私は小学生の頃から夜遅くまで起きていた。部屋の電気がついているので、ご近所の方々は私が遅くまで勉強をしているお利口さんだと想っていたようだ。両親も早く寝るので私が遅くまで起きていることなど知らずにいた。

日本で初めて「可愛い!女の子みたいな男の子」としてのアイドルで、かつヒット曲も継続されたのは郷ひろみだろう。今も54歳になられてもカッコイイと想う。ジャニーズは可愛い男の子たちが続々登場するけれど、郷ひろみが移籍してからは冬の時代が暫く続いたのである。私はたのきんやシブガキ隊、少年隊の世代であるのだけれど、その頃は既に洋楽を主に聴いていた。けれど、ひろみと東山紀之(ヒガシ)は好きで今もやはり好きである。嵐だって好き。J-ポップと呼ばれるようになり、日本のロックな音楽が認知されるようになり、すっかり歌謡曲、歌謡番組はなくなってしまった。それでも、郷ひろみは今もその「歌謡界」でスターであり続けていることは凄いと想うのだ。長年ひろみ・ファンであり続けておられる多くの方と私はちょっと違う。けれど、あんなに新曲の発売にワクワクし、テレビに魅入っていた刻。YouTubeで私の記憶に無かった映像があったもので、歓喜していた!その映像を観てやはり「可愛い!」って胸躍る存在であるのだと再認識できた。郷ひろみは俳優としても多くの映画やドラマ、舞台作品がある。映画もほとんど観ているので俳優としても好きなお方。

青年期以降はバラード曲の方が好きな曲が多いかもしれないけれど、今も街中でひろみの声の曲が流れると嬉しくなる。訃報が飛び込んできた!加藤和彦さんの悲しい死の知らせ。嘗ての奥様であり数々の昭和の名曲の作詞をされたお方でもある故・安井かずみさんも好きだった。とても素敵なお方。郷ひろみの初期の名曲の一つに『よろしく哀愁』がある。その作詞をされていたのは安井かずみさん。

まだまだ取り留めの無いことを綴り続けそうなので、また時々記してゆこうと想う。私にとって、間違いなく「アイドル」という存在であったお方、また、今でもやはり好きであるので。「スターがスターであった時代」、「歌謡曲が歌謡曲であった時代」というような時代が好き。スターは彼方に居られるのが美しい☆


※このYouTubeは、今はもう観れようです。残念です♪

★この映像は1972年のデビュー曲『男の子女の子』(お衣装は『花とみつばち』のもの)だけど、1973年の紅白初出場の折の映像。ひろみを肩車している方々の中に、フォーリーブスのメンバーと野口五郎の姿も見れる。西城秀樹はこの年紅白は落ちてしまい翌年から「新御三家」と呼ばれていた三人が揃って出場することになる♪
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by musiclove-a-gogo | 2009-10-18 07:27 | 郷ひろみ(HIROMI GO)讃歌

懸賞