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『イーディ:チャオ!マンハッタン』 主演:イーディ・セジウィック★60年代を駆け抜けた宿命のミューズ♪

懸賞 2010年 04月 06日 懸賞

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イーディ:チャオ!マンハッタン/EDIE IN CHAO! MANHATTAN
1972年・アメリカ映画
監督:ジョン・バルマー、デヴィッド・ワイズマン 脚本:キム・フォウリー、キム・ミルフォード 出演:イーディ・セジウィック、ウェスリー・ヘイズ、イザベル・ジュエル、ロジェ・ヴァディム、アレン・ギンズバーグ、クリスチャン・マルカン

★EDIEあるいはEDITHという女性を知った時、既に彼女はこの世を去っていた。でも、何か掻き立てられるものを感じてしまった。それは在る一枚のモノクロームな写真だった。か細い身体でショートカット(後に銀髪と知る)、レオタードタイツ姿があまりにも美しく、その長い足に見とれた。イーディーなるお方って?その可愛い笑顔でダンスするお写真に息を呑んだ。後に大好きなパティ・スミスも彼女の影響を強く受けていることを知り、さらに気になる存在に(存在していたというのが正しいのだろう。しかし、私の中では今も生きている)。そのお写真はモデル時代Vogue誌のもの、60年代だ。私はお部屋でこっそりとポーズを真似たりしていた。「こんなにダンスって楽しいのかな?」と。ディスコやクラブという場所を知らない少女期の衝撃だった。

そして、その後もイーディーに関する書籍を読んだりしているとアンディ・ウォーホルのファクトリーのミューズだったと知る。60年代を突き抜けたお方が此処にも居たのだった。ドラッグに溺れ身体をボロボロにしていく。当然お仕事も無くなる...荒んだ生活と精神。それでも、綺麗だった、可愛かった。ドラッグと精神病院を出たり入ったり、そんな時期にかのヘルス・エンジェルに拘わったりと散々な日々を送る彼女に久しぶりにお仕事がやって来た。それがこの『イーディ:チャオ!マンハッタン』だ。内容はどうだろう?セックスとドラッグに溺れて破滅への道を歩んでいるイーディーそのものという感じ。後味は決してよいものではなかった。でも、ただ笑うイーディーの顔が忘れられない、綺麗だから。でも、もう待ち受けるものは「死」しか無かった。そんな破滅へと向かうイーディーをドキュメンタリー然と捉えた監督は凄い!でも、1972年制作なのに発表されたのは1982年になってからと暫く封印されていた。

1971年7月にこの映画で知り合った青年とカリフォルニアで結婚生活を送る。幸せな日々は束の間...1971年11月に他界。死因は睡眠薬の多量摂取からだと。陽に焼けた白いウエディング・ドレスを着て幸せそうな笑顔のお写真、これもまた私の脳裏に焼き付いたまま。ウォーホルやディランの寵児であり60年代を体現していた一人の女性。60年代半ばのN.Y.アンダーグラウンドのアートシーン、ポピズムの女神だった。アンディ・ウォーホルは語っていた「イーディーは片時も静止しない。眠っている時でさえ両手を大きく広げて動かしているんだ。すべてがエネルギーって子だった。」と。そんなイーディーをカメラに写すウォーホルは楽しくて仕方なかっただろう。しかし、通常の生活には障害となることも多かったのではないだろうか?なので、駆け抜ける様に28歳の若さで美しいままこの世を去ったのかも...。

ファクトリーのスーパースター達はみんな魅力的だ。ニコもその一員だった。でも、それ以前に、イーディ・セジウィックは時代を作ったのだ。本人のお気持ちは分からないけれどそういう宿命の下にあった稀なる存在だったと思える。華やかな時期のピークは1965年前後だろう。それでもなお、当時を知らない私でも心に刺さった何かが今も取れないままなのだ。此処にもある種の「美」と「運命」に呪われた宿命の女性を見てしまう。

【イーディ・セジウィック:EDIE SEDGWICK★60年代を駆け抜けた宿命のミューズ】
★イーディ(本名イーデス・ミンターン・セジウィック:Edith Minturn Sedgwick 1943年4月20日~1971年11月16日) は、60年代をあまりの速さで駆け抜け、僅か28歳の若さでこの世を去ったミューズ。とても大好きなのでいつもの如く上手くは綴れそうにはないけれど、嘗て勢いで綴った『イーディ:チャオ!マンハッタン』(上記のもの)。イーディの死後完成され長らく埋もれていたもの。イーディは大富豪のお嬢様、それも伝統のある超良家。ドラッグや荒んだ生活と人気の絶頂期も借金まみれだった時期も、いつも実家が取り計らっていたという。寄宿学校に通う頃から拒食症で、19歳で躁鬱病で精神病院に入院(最初の)。詳しく分からないけれど、どうも父フランシスの父権家庭の問題は大きいようだ。イーディの兄も自殺しているし、弟は事故死している。イーディは父親に対する複雑な感情を最期まで心に抱いたまま、この世を去ってしまったように思う。”愛憎”まみれのまま。大人になれずに少女のままこの世を去ったイーディ。

アンディ・ウォーホルのファクトリーに入りスーパースターのお一人となる。ボブ・ディランとの恋の噂もあった。その頃のイーディを描いた映画『ファクトリー・ガール』(2006)では、イーディ役をシエナ・ミラーがダイエットの末、かなり良い雰囲気を出していた(予想以上に)。ルー・リードやボブ・ディランは酷評していたけれど...。イーディを1965年に『ヴォーグ』は”ユースクエイカー”と名づけている。そのレオタード姿のお写真は初めて私がイーディを知ったもの(後追いなのでヴォーグではない)。そしてそして!何と!!まだ無名の頃(ニュージャージー時代)のパティ・スミスはこの22歳のイーディのお写真と出会い、「とても強烈なイメージで、私はまさに”これだ”と思ったわ。時代としっかり結びついた知性とほとばしり、スピード感、私にとってあの写真にはすべてがある!と思ったの。」と語っている。パティがイーディに憧れていたことはその時点では知りもしなかった。でも、今ではパティもイーディもマリアンヌ・フェイスフルもニコも繋がっている、私にとってのある種のイコンとして。同じ時期、ロンドンにはツイッギーが!ジェーン・バーキンやミア・ファローもツイッギーに憧れていたと語っていた。ニューヨークにはイーディが眩いばかりに!パティ・スミスに信号を送ったお方。アンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ』(1965年)のDVD化を熱望している。以前、ウォーホル・フェスティヴァルのような企画で観ることができたのだけれど、何度でも観たい!私が勝手に思う少女像にも色々有るのだけれど、時代やファッションに流されるものではない、普遍的なもの、不滅の少女が大好き♥イーディはもう10代ではなかったけれど時代を彩ったミューズであり、私にとっての美しい少女のおひとりなので「少女イコン」とも云えるお方♪

※2007年8月21日に綴ったものに少し追記いたしました。

by musiclove-a-gogo | 2010-04-06 18:31 | 音楽・映画・文学★美しい関係

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