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衝撃的な出会い★ブリジット・フォンテーヌ(BRIGITTE FONTAINE)『ラジオのように』(1969年)♪

懸賞 2005年 01月 03日 懸賞

衝撃的な出会い★ブリジット・フォンテーヌ(BRIGITTE FONTAINE)『ラジオのように』(1969年)♪ _c0222662_14271838.jpg

★リアルタイムではない『ラジオのように』をジャケ買いした。伊丹の星電社の片隅に再発盤が新入荷のコーナーに有ったのだ。不思議な悦ばしき出会いは思いがけずやって来た。とにかく「わぁ~!これ買う!!」という感覚でレジに持っていった様に思う。全くその時はこの作品が名盤だということすら知らなくて、さらにフランス人であるということさえ...。針を下ろして音が流れてきた時のあの奇妙な気持ちを何と喩えればよいのだろう...”なんだろう?この音楽は。”とか”よく分からないけれどかっこいい!”・・・多分このような印象を持った。そして、間章氏のライナーノーツをじっくり拝読していく内にすっかり私はフォンテーヌに魅了されていたのだと思う。あの文章、活字は私にはあまりにも大きなものだった。

当時、英国を中心としたニューウェーヴの音楽が好きでラジオは毎日聴いていた。雑誌も細かくチェックしていた。16歳の私は学校では音楽の会話の出来るお友達がほとんど居なかった。みんな恋愛や日本の音楽やアイドルのことで楽しそうだった。そんなお話を聞きながらも早くお家に帰って好きな音楽が聴きたい!と思ったり、気分が乗らない会話に時間を費やすより図書館で過ごす事を選ぶ様になってしまった。休日は数人で映画に行く事もあったけれど、次第に私の観たい映画では無いことに忠実な態度を取り始めていた。今振り返ってみて、この時期の私はとてつもない速度で音楽や文学や映画といった今の私の宝物たちに接近して行ったと思える。そして、「ブリジット・フォンテーヌ」という風変わりなアーティスト(ヴォーカリスト)の衝撃はデヴィッド・ボウイ様との出会い以来の事。私にとってのあるキーであると言える。そうとしか思えない。「ヴァガボンド」という言葉に憧れたけれど私には持ち合わせてはいないと今も思う...。訳詞を読みながら浮かぶ不可思議な幻想。ラディカルであり猥雑であり、でも、あの優しさは今も私の心に必要なのだ。一等好きな作品は『III』。「はたご屋」ばかりを何度も繰り返し針を置き聴き入った。このままだと狂ってしまうかも?というくらいにその世界に引き込まれてしまった。正しく声の美力なり!というかこのお方は魔力の様だ。今も御大フォンテーヌは健在だけれど、あの空気感はあの時代のものだったのだと思う。誰にも時代の空気感は再現不可能なのだ。特にあの様な時代は...なので一層憧れるのかもしれない。

アレスキーやジャック・イジュラン、ピエール・バルーにも傾倒していく中、セルジュ・ゲンスブールに出会い、バルバラ、カトリーヌ・リベロに出会う。映画ではゴダール!文学はランボーからネルヴァルに向かっていった。この選択肢が今の私に繋がっている大切なキーだと思うし、もうどうしようもない後戻り不可能な組み込まれてしまった何かの様にも。たかが私個人の事ながら、音楽やある一曲が人生を変えるきっかけになる事を私は感じる事が出来たのだ。良かったのか?悪かったのか?はどうでもいい。フォンテーヌのお声は今も時に少女の様に可愛らしく響き、かつ厳しいアナーキストな面持ちも消えてはいない。”過激な優しさ”をこれ程までに表現出来るヴォーカリストを私は知らない。シャンソンというカテゴリーからは大きくはみ出した異端児フォンテーヌ。そんなカテゴリーを軽く飛び越えるフォンテーヌが今も私は大好き!

※2005年1月3日付で書いたものです。『BRIGITTE』の由来はブリジット・バルドー(好きだけれど)ではなく、フォンテーヌ!そして、私の長年の心のミューズのお一人でもある。結局のところ、私はもうすっかり歳を重ねてしまったけれど、今もまだ行ったり来たり...。戻れない時間だけれど想い出は永遠。ノスタルジーに浸っていてはいけないとも想うけれどまだまだ彷徨しているみたい。そんな心を此方でつらつらと綴っているのだろう。人それぞれの”少女観”があるけれど、私は”美しい!”と思えるものや”儚い幻想”のようなものがいつも好きな気がする。『我が心の泉の畔の妖精たち』あるいは時空を超えたミューズたちはまったく変わらない☆

【関連】 ↓ さらに以前書いたものです。

寺山修司 『少女のための恋愛辞典 家のない子も恋をする』

キスと二つ並べて書いてみる。キスキスである。さかさに読むと、スキスキとなる。これもとてもいいな、と男の子は考える。漢字で書くと「好き」という字は女ヘンに子という字。つまり、女の子である。これも、とてもいいな、と男の子は考える。
男の子は、ことし十五歳である。

ラブと二つ並べて書くとラブラブ。さかさに読むと、ブラブラである。何だか知らないけれど、ちよっと恥ずかしい、と男の子は考える。

ブリジット・フォンテーヌが唄っている。

世界のひとが
みんなさむさにふるえている
だから
どこかで火事がある

ハートが燃えると恋なのに、家が燃えると火事なのです。
「家は、恋をすることができないのかな」
と男の子は考えこんでしまった。

(中略)

ダミアはシャンソンで、
「海で死んだ人は、みんな、かもめになってしまう」
と唄いましたが、かもめになれなかった溺死の少女は、いまも海の底に沈んでいます。
だから、ひとは誰でも青い海を見ていると、かなしくなってしまうのです。

★これは寺山修司が子供の頃に、アンブロース・ビアスの『悪魔の辞典』を愛読されており、中に、《恋愛》=患者を結婚させるか、あるいはこの病気を招いた環境から引き離すことによってのみ、治すことのできる一時的精神異常。と記されていたこと、この本のもつ冷ややかな調子に反発し、おとなになったら、ぼくの辞典を作ろうと思ったそうです。でも、できやしないので、恋愛についてのノートに「少女のための恋愛辞典」とつけてみたそうです。因って、これは寺山修司によるアンブロース・ビアスへの回答でもあるというもの。

私もアンブロース・ビアスの『悪魔の辞典』を持っていた。真っ黒な妖しげな御本でちゃんと読まずに古本屋さんに売ってしまった。私よりさらに幼い弟が私の本棚を見ては不気味そうに、こっそり母に告げ口していたらしい。「お姉ちゃん、だんだんおかしくなってる。大丈夫かな...」って。母も多分にそういう意味ではおかしな人だったので、そんな弟の心配心をまた私にこっそり嬉しそうに話すのでした。”シャンソン”というフランスの歌謡を教えてくれたのも母でした。でも、この詩には”ブリジット・フォンテーヌ”という名が出てくる!私のこの趣味サイト『BRIGITTE』とはブリジット・フォンテーヌのお名前から拝借しているもの。なので、この詩はとっても大好き!寺山修司作品には数え切れない程の好きな詩や物語、映画がある私♪

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by musiclove-a-gogo | 2005-01-03 14:26 | シャンソン・フランセーズ

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