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ジェーン・バーキン(JANE BIRKIN)『ラブ・フィフティーン(LOVE FIFTEEN)』(1990年)♪

懸賞 2007年 11月 06日 懸賞

ジェーン・バーキン(JANE BIRKIN)『ラブ・フィフティーン(LOVE FIFTEEN)』(1990年)♪ _c0222662_1224989.jpg

★1990年のジェーン・バーキンのアルバム『AMOURS DES FEINTES(いつわりの愛)』の中のセルジュ・ゲンスブールによる曲。セルジュは死が近づく中、ますます抱え込んだロリータ幻想を歌や映画に刻み込んだように想う。セルジュは好き嫌いの分かれるアーティストのおひとり(私は大好き!)。フランス人の方でもセルジュの訳詩・解釈は困難だという隠された意味合い。フランスの文学の歴史を追ってみても分かるように、猥雑さとインテリとは密着だったりする。”お仏蘭西”な優雅な世界も勿論存在しながらも。そんなところが面白い。永瀧さんの監訳、超訳の天才!サエキさんのこの訳詩が大好き♪セルジュを愛する人たちなら伝わりますよね☆不道徳と批判されても生涯セルジュはロリータを妄想し続けた。スタンはセルジュであるとも想えるのだし..セルジュは酷評・批判されることにはすっかり慣れていただろう。死後、ようやく”やっぱり、セルジュは偉大だった!”って・・・天才とはこういう人生だったりする。

以下は『ラブ・フィフティーン』の後半部より♪

白いテニス・ソックス その上はあらわに
愛しき15才、ジーンズの青
彼女の目が俺に注がれると 俺は感じてしまう
愛しき15才、冷たい一杯のジンのようさ
俺の心の 深層部まで入ってくる
愛しき15才、彼女は清純か?
だれがそれを証明できる?
彼女は俺のユーリディス
俺はオルフェだったのさ
彼女の側をジェームス・ディーン
のような男が通りかかったんだ
そんなわけで、アリスはいなく
なった。それも運命だろう
愛しき15才
俺は永遠の憂鬱をかかえこんだ


『さよならセルジュ』(監訳:永瀧達治 超訳:サエキけんぞう)より。

少女趣味、少女幻想...嫌いなお方は多い。ロリータというと性的な妄想を先行させるお方も多いだろう。私は違う、ただ”少女や少年の儚き刻”が美しい!とずっと想ってきた。何故だかいつになってもそんな想いは深まるばかり。戻れない時間、嘗て誰もが通過してきた僅かな時を。一瞬だからこそ美しいのだろう...それに伴う切なさや愛惜の気持ち。作品の中で表現していたセルジュに乾杯!セルジュは文学という中にも位置するようなアーティストだと想っている。私はずっとセルジュが好きだけれど、まだまだ足らない。なので、もっともっと好きでいたい。残された作品たちや言葉たちの中に、”類は友を呼ぶ”誇り高き幻想がいっぱい。社会に背いているようだけれどセルジュは内向的だ。なので表現や比喩の中で謳う。ルイス・キャロル~ナボコフ~セルジュは国籍を超え、私たちの先導者のよう。私は彼らの愛した世界に、同世代のソフィア・コッポラやギャスパー・ノエ、ルシール・アザリロヴィック達の感覚を併せ持った者のように親近感を覚える。さらに、少年については私の幼少時からの逃れられない大切な世界が付随しているのだけれど...☆

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by musiclove-a-gogo | 2007-11-06 11:02 | シャンソン・フランセーズ

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